◆佐藤裕太調教師、25年越しの夢に「あっぱれ!」 7月25日、船橋競馬場で行われた習志野きらっとスプリントを制したのは、牝馬のスアデラ。2歳時には1番人気に支持されたローレル賞(川崎)で2着、3歳時にも東京プリンセス賞(大井)で2着などがありながら、ここまで重賞タイトルには手が届かないでいた。しかし4歳になった今年、半年の休養から復帰して出走したのは、かねてから陣営が適性があるのではないかと見ていた短距離路線。船橋1200mの特別戦で5馬身差、続く大井1400mの特別戦でも5馬身差の圧勝。そして臨んだ習志野きらっとスプリントでは、抜群のスタートからハナを切ると、直線では後続との差を広げての逃げ切り勝ち。2着馬につけた6馬身という差は、1000m戦ということを考えれば大差と言ってもいい圧勝だった。
デビュー時から期待されていたスアデラにとっては4歳になっての念願の重賞初制覇となったわけだが、この勝利は、管理する佐藤裕太調教師にとっても重賞初制覇となった。
佐藤裕太さんは、2014年6月1日付で調教師となり、同年10月が調教師としての初出走。調教師として4年目での重賞初制覇ならまずは順調といえるだろう。勝利数でも昨年が21勝、そして今年は7月末日現在で20勝と、着実にその数字を伸ばしている。
調教師としての重賞初制覇であったことは確かなのだが、佐藤裕太さんは1993年4月に騎手としてデビューして以来の重賞初制覇でもあった。
2014年5月限りで騎手を引退するまで、21年余りで残した成績は2,876戦179勝(ほかに中央3戦0勝)。年平均にすれば10勝以下。騎手としての成績ではあまり目立つことがなかった佐藤裕太さんだが、存在感を示していたのは、数多くの重賞勝ち馬を出し、長らく地方競馬のトップトレーナーとして活躍した川島正行調教師の、いわば裏方として。近年でいえば、アジュディミツオー、フリオーソをはじめとした地方競馬を代表する活躍馬の調教パートナーをつとめたのが、騎手時代の佐藤裕太さんだった。全盛時の川島正行厩舎を支えたのみならず、船橋競馬の厩舎関係者の信頼も厚く、千葉県騎手会の会長もつとめていた。
佐藤裕太さんと川島正行調教師の関係では、こんな場面に遭遇したことがある。厩舎にうかがって川島調教師のインタビューをしていたところ、その日はたまたま父の日で、朝の調教が一段落したと思われる佐藤裕太さんが、川島調教師に、父の日のプレゼントを渡していった。もちろん二人に血の繋がりはない。誕生日ならあるかもしれないが、仕事における師弟関係で「父の日」にプレゼントを贈るというのはあまりないのではないか。その場面を見て、なるほどこの二人の間には、そういう信頼関係があるのかと思ったものだった。
川島正行調教師が、調教師を引退することなく亡くなられたのが2014年9月7日のこと。佐藤裕太さんが調教師となったのは、前述のとおり、その3カ月前の6月のこと。6月18日には船橋競馬場で騎手としての引退セレモニーが行われた。そのセレモニーで挨拶に立たれた川島正行調教師は、おそらく抗癌剤治療の影響もあったのだろう、しゃべる言葉がやや怪しかったことを記憶している。
厩舎開業のタイミングとしては、川島正行厩舎を引き継いでもよさそうだが、多くの有力馬は、息子であり2007年に厩舎を開業していた川島正一調教師に引き継がれた。
佐藤裕太調教師も厩舎開業時には何頭かを引き継いだが、それ以上に大きかったのは人脈だ。それが、社台ファーム・吉田照哉氏が代表馬主の共有馬、スアデラだ。2015年6月に佐藤裕太厩舎からデビューすると3連勝。いよいよ重賞初挑戦となった11月のローレル賞では1番人気に支持され、厩舎開業からわずか1年余りで重賞初制覇かという期待が膨らんだ。しかし北海道から遠征してきたモダンウーマンに2馬身及ばずの2着。東京プリンセス賞で2着に敗れたときの勝ち馬も、北海道から南関東へ移籍組のリンダリンダだった。
そういう意味では、デビュー時から手がけてきた生え抜きの馬で重賞初制覇を果たしたことは、なおさら大きな喜びとなったことだろう。
習志野きらっとスプリントをスアデラで制し、重賞初制覇となった佐藤裕太調教師(左から3人目)
習志野きらっとスプリントの表彰式後のインタビューでは、「胸がいっぱいで、ジョッキー時代も含めての夢が重賞制覇だったので、スアデラに感謝しています」と語った佐藤裕太調教師だが、思いのほか冷静なようにも思えた。
たしかに、記録として自身の名前が残る重賞勝利は初めてのことだが、調教パートナーとして携わってきた馬たちでは数々の大レース制覇を経験している。「重賞は130回くらい勝ってきていますから」という言葉には、川島正行厩舎での経験と、誇りと、自信が感じられた。
ホースマン生活25年目、あっぱれ!な重賞初制覇となった。