▲小林智調教師が、JRAではなくフランスでの道を選んだのはなぜなのか? その秘話に迫ります
2008年にフランスの調教師試験に合格し、免許を取得した小林智調教師。なぜJRAではなく、道なき道のフランスを選んだのか? 今回は、小林師がフランスで開業することとなった秘話に迫ります。「“日本人初”っていいじゃない」と、あくまで“一人目”にこだわった小林師。「先生の生き方に一番影響を受けました」と佑介騎手も語る、小林師の生き様とは。(取材・構成:不破由妃子)
(前回のつづき)
人生一度きり、何かを成し遂げなかったらつまらない
佑介 小林先生が歩まれてきた道はまさに“道なき道”だったわけですが、卓越した行動力でここまで切り開いてこられた。だって普通、フランスで調教師になろうなんて思わないですもん。
小林 僕だって最初はJRAの厩務員課程の試験を受けたんだよ。でも3回落ちた(笑)。点数を取れていた自信はあったから、そのうち受かるだろうと思っていたんだけど…。そのときに働いていた牧場(コアレススタッド)の社長さんが世界中に馬を持っている方で、何度か海外研修にも行かせてもらってね。世界を見ているうちに、当時は日本の馬が今ほど海外遠征をする時代ではなかったこともあって、“このままトレセンに入っちゃったら、面白くないんじゃないか”と思い始めて。それで試験を受けるのを止めたんだよね。
佑介 それで言葉も話せないままフランスに?
小林 そうそう。行ったばかりの頃は、「メルシー」と「ボンジュール」くらいしか話せなかった(苦笑)。
佑介 言葉の苦労は僕もわかります。大変とかいう以前の問題ですからね。
小林 でも、佑介くんは覚えるのが早かったよね。物怖じせずに、自分からどんどん喋りにいくから。
佑介 いやぁ、最初は「俺、やっていけるのかな?」って本気で思いましたよ。先生は渡仏されてから語学学校に通われたんですよね。