▲「ATMのキャッシングを停止」「アクセス制限の虚実」依存症対策はどこへ行くか?(撮影:高橋正和)
6月の当コラムでは、カジノ法(IR法)成立後の後続措置として浮上したギャンブル依存症対策の問題点に触れた。当時は野党の対策法案で言及された未成年者の入場制限を主に扱ったが、その後も様々な動きが続いている。7月31日には学識経験者で構成する特定複合観光施設区域整備推進会議が、「『観光先進国』の実現に向けて」と題した取りまとめ事項を政府に報告した。新設予定のカジノについて「世界最高水準の規制」をうたったのが目を引く。
一方、既存の公営競技に絡む依存症対策では、8月29日に「ギャンブル等依存症対策推進関係閣僚会議」が、「ギャンブル等依存症対策の強化について」と題した文書を公表した。当面、競馬業界と関連があるのはもちろん後者で、文書に示された6項目について、本稿で検討していきたい。
ATMのキャッシングを停止へ
「強化について」の冒頭では、公営競技各事業者が既に着手した取り組みと、今後の課題・検討事項を競技ごとに整理している。柱は各競技で大差はなく、(1)相談窓口の明示・相談体制の充実 (2)未成年者に関するアクセス制限 (3)本人・家族申告によるアクセス制限 (4)インターネット投票の在り方 (5)広告の在り方 (6)資金調達制限――という6点から成る。
まず目を引くのは、(6)に絡んだキャッシングの制限である。現在、JRAでは4大競馬場と中京の計5カ所と、ウインズ後楽園(東京)、エクセル伊勢佐木(横浜市)の両施設にATMが設置されており、クレジットカードによるキャッシングが可能となっている。政府の方針では、今年度末をメドに各端末のキャッシング機能を停止するか、それが不可能な場合は端末自体を撤去するとしている。現時点では1場で2〜3台が運用されているが、端末自体を撤去する必要はなく、設定変更で対応するといい、現在は設置者である金融機関と協議中だ。地方競馬でも、競馬場2カ所、場外施設2カ所にATMがあり、JRAと同様の措置が執られることになる。
場内のATMと言えば、筆者は2011年の4月に東京で使用したのが最後だった。東日本大震災直後で、東京開催が復活する1週前の土曜だったが、時間帯が早かった割に長い列ができていて、普段から利用者が多いことをうかがわせた。ただ、問題はキャッシングを利用する人がどの程度の比率を占めるか。データがなく、正確なところは見えないが、大半は自身の口座から資金を引き出していると思われる。そもそも、JRAの売り上げに占める現金投票の比率は年々落ちており、わずか7施設に置かれたATMの用途制限が、業績に与える影響は皆無に等しいと言える。
アクセス制限の虚実
次に、本人や家族の申告に基づくアクセス制限について検討する。(3)との関連で、既に7月から「本人申告による競馬場及び場外馬券売場への入場制限」が実施されていると記載されている。地方でも地方競馬全国協会(NAR)が各施行者にガイドラインを提示し、4月から順次、実施されているという。また、ネット投票に関しても、本人の申告による解約や利用停止の措置が執られた後は、一定期間、本人の申請があっても利用再開を受け付けない措置を検討しているという。
ほぼ同じ文脈だが、(4)との関連では、「本人申告によるネット投票の購入限度額設定」に向けたシステム整備が打ち出された。解約や利用停止なら、特別なシステム構築は必要ないが、限度額設定となると話は違う。特にJRAの巨大なコンピューターシステムに、おいそれと新たな機能を搭載することはできない。そこで、次期のシステム更新期を念頭に、2022年を導入のメドとして言及した。
率直な感想を言えば、書かれた内容が具体的にイメージできない。本人申告は、あるユーザーが自身をギャンブル依存症と自覚し、2度と手を出さないために、事業者にブロックしてもらうという話だ。そういう人も皆無ではなかろう。だが、ギャンブル依存症は患者が症状を自覚すること自体にハードルがある。自覚できる人なら、そもそも依存症と言えるかどうかも疑問だ。実際に問題を起こし、周囲の説得を受け入れて自ら措置を執る、全くのレアケースに対応したものだ。
今後の論点になるのは、家族申告によるアクセス制限やネット投票の限度額設定となろう。問題が起きても、当事者は自覚できず、見かねて家族が動くパターンである。ただ、ここには憲法問題も絡む。私有財産の処分権という基本的人権を、家族の意向だけで制限するのだから、相当に厳格な要件を置き、限定的に運用しなくてはならない。家族の範囲はどこまでか、申告方法や本人の同意手続きなど、精査すべき問題は山積している。
依存症対策の限界
ネット投票の限度額設定に関しては、希望者が自身で行うか、書面などによる申告を受けて管理者側が行うか、2つの方向が検討されているという。どちらを選択するかで、システム更新の費用も異なるため、敏感な問題となってくる。いずれにしても、通常のシステム更新だけで数十億円の経費がかかるところに、新たな出費を強いられる見通しだ。
それにしても、列挙された一連の対策からは、ギャンブル依存症が薬物やアルコールといかに異質であるかがわかる。覚醒剤なら、誰が使用しても心身に有害で、故に所持や使用だけで刑事罰を受ける。ところが、競馬やパチンコの顧客の大部分は、正常な社会生活を送っている。問題行動に走る人はごく一部だから、対策も難しい。少数にフォーカスして網をかけるような対策を出せば、残りの大多数の人々の財産権(処分権)や幸福追求権を侵害することになる。現在までに表面化した対策は、効果以前に、そもそも機能するかどうかも疑わしいものが多い。この部分こそが、依存症対策の根本的な限界と言える。
また、依存症対策に事業者が取り組むこと自体、矛盾をはらんでいる。自動車のアクセルとブレーキを同時に踏むに等しい行為だからだ。筆者は2010年に韓国馬事会(KRA)が運営する依存症対策施設「ユーキャンセンター」を訪ねたことがある。ユーキャンは英語のYou Can で、ソウル市中心とソウル競馬場(京畿道果川市)の中間に位置し、中層ビルの2フロアを使用。常勤の相談員を置き、面談用の個室の他、家族での来場を念頭に、子供向けの遊具やアロマテラピーに使用される香料などもあった。
休業日に訪ねたため、普段の雰囲気はわからなかった。現在は移転して首都圏に3カ所、済州島に1カ所。少し古いデータだが、10年は相談員8人体制で、年間約1400人の相談治療を行った。JRAも7月から、通常の苦情処理などを行う電話応対窓口で、相談があった場合には各地の精神保健センターを紹介するなどの取り組みを始めており、少数だが相談も来ているという。
とは言え、本人が症状を自覚した場合ならともかく、依存症の多くは金銭問題などと絡んで家族や周囲の人が察知する事例が多いはずで、こうした場合にわざわざ事業者の門をたたく局面は想定しにくい。KRAがいち早く、こうした取り組みを始めたのは、韓国社会のギャンブルアレルギーが日本よりはるかに強いためだ。事業者が「やらされている」対策には、どこか欺瞞性を感じてしまう。
「世界で最も厳しい」規制?
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのは、カジノも同じだ。冒頭に触れた7月末の「取りまとめ」では、世界一厳しい規制をうたい、(1)マイナンバーカードも活用した入場回数制限 (2)主に大口顧客に提供されるコンプ(宿泊・食事、利用額に応じたキャッシュバック等のサービス)の規制 (3)1万円単位の入場料徴収 (4)クレジットカードによる賭けの封鎖――などを具体策に掲げた。
こんなカジノに誰が行きたいと思うだろう。霞が関の要路で勤める人物はカジノについて「あんなものは政局でつくっただけ。つぶれるに決まっている」と述べた。「政局」とは、昨年末の国会通過時に、安倍晋三政権が公明党と日本維新の会をてんびんにかけるような姿勢を見せたことを指すが、その程度の理由で賭事産業の生態系を崩壊させるのでは論外だろう。
考えれば考えるほど、今回のカジノ構想はご破算で出直すのが正しい。今後、地域住民の反対などで1カ所もできなければ、日本社会にとってむしろ幸いであると思う。ただ、既に競馬業界にツケは回されている。重要なスポーツイベントとして社会的に認知されている日本ダービーや有馬記念での集中広告の抑制が、前記の依存症対策には盛り込まれている。せっかく、それなりに社会的な認知を受けた競馬が、カジノ問題の流れ弾でレピュテーションリスクを抱える。つくづくはた迷惑な話でしかない。
※次回の更新は10/30(月)18時を予定しています。