クラシックシーズンの到来、競馬が一番輝く時です。春、牡牝4つのクラシックレースの先陣を切る桜花賞は、一瞬にして散る桜の儚さに似ています。人気に応えて勝てたにせよ、その先オークスで磐石かと言うと、必ずしもそう見られてはきませんでした。
桜花賞その一瞬が全てであった牝馬たちを、沢山見てきました。ステップレースが整備されていなかった頃は、特にそういう馬が多かったのです。力の序列がはっきりせず、しかも今よりも出走頭数が多く、ここ一番と思い切った戦い方をするので、本命に推された馬が苦戦することが普通。よほど力が抜けていないと、人気が不安のバロメーターになるばかりでした。
現在では目の不自由な馬がデビューすることはできませんが、昭和46年以前は、片方の目を悪くした馬でもレースに出ていました。
そうした中で、桜花賞で片方の目が見えない馬が一番人気になったことがありました。
生まれてすぐ、牧場で立ち木に目をぶつけて視力を失くしたスタンダードという牝馬でした。旧3歳時に5勝もしていて、昭和38年の桜花賞では本命馬に推し上げられていたのです。ところが、25頭立ての1番枠を引いていました。阪神のマイルのコースはおむすび型で内枠の先行馬は有利ですが、スタートしてから第2角までのポジション争いは激しく、一旦不利をこうむると内枠は逆に致命的。先行馬スタンダードは、外から次々と襲いかかる展開にひるんでずるずる後退し、ゴールしたときには殿の大惨敗に終わってしまいました。見えないがための恐怖、近寄ってくる馬の気配におびえてしまったのでしょう。
この桜花賞は15番人気のミスマサコが追い込んで勝ち、その単勝配当は、ずっと桜花賞史上に残る記録であり続けています。そしてこのレースこそ、私が初めてレース実況をしたクラシックレースで、スタンダードの記憶は幻の本命馬として忘れられないものになりました。