▲ netkeiba Books+ から「完全再現!ディープインパクト・ラストラン」の0章、1章、2章をお届けいたします。(写真:報知新聞/アフロ)
ネット動画でのアクセス数、100万回を優に超えるディープインパクトの引退レース。その実況アナウンスには、今も「泣ける」とのコメントが絶えない。ファンはそこに何を見、何に心打たれたのだろうか? 有馬記念は例年、NHKとフジテレビで実況中継される。本書ではフジテレビの実況放送を文字で再現させながら、改めてディープインパクトという稀代の名馬の足跡、そして彼のみならず、多くの競走馬にとって“引退レース”と位置づけられることの多い有馬記念について、概観してみたい。 (文:netkeiba Books+ 編集部)
第0章 序章 スタート前
(実況アナウンサー、以下アナ)午後3時現在、11万2518人を飲み込んだ中山競馬場。あまたの情念を包んで、師走の中山は最後の衝撃を待っています。第51回有馬記念。出走馬14頭。その中に稀代の名馬、ディープインパクトの姿があります。
―さあ、放送席の解説は、おなじみの吉田均さん、そしてルドルフ2回、そしてオグリキャップで1回。3度、この有馬記念を制してらっしゃる岡部幸雄さんをお迎えしています。よろしくお願いいたします。
― (アナ)まず吉田さん、競馬は出会いと別れの繰り返しではありますが、やはり今年は、うーん、なにか、さみしさが先に立ってしまうような、そんなグランプリではありますね。
―そうですね、さみしさもあるんですけど、やっぱりどんな走りをしてくれるのかなという、ちょっと楽しみもありますしね。
(アナ)最後にねえ。
―ちょっといつもの有馬記念とは、ちょっといつもの有馬記念とは違う気がしますね。
(アナ)さあ、岡部さん、鞍上の武豊ジョッキーはずっと、このディープにまたがり、そして岡部さんがあの、皐月賞、ダービー、菊花賞と一本ずつ指を立てていった、あの姿にあこがれ、無敗の三冠馬になり、そんな中で迎える武ジョッキーの今の心境というのは、どんな風に想像されますか?
―もうほんとに、これで最後だって思いがすごく強いと思うので、しっかり自分に焼き付けておこうって思いじゃないですか?
<中略>
(アナ)さあ、有馬記念のファンファーレです。
―割れんばかりの歓声です。ディープインパクト、これが最後のレース。われわれに最後にどんな走りを見せて、そしてその思い出を胸に刻み込んでくれるんでしょうか?
<中略…。この間に6番馬スイープトウショウがゲート入りを嫌がるハプニングがある>
―さあ、あなたからもらう最後の夢、あなたからもらう最後の勇気。そしてあなたに送る最後の祈り。ラストラン、あなたは伝説になる……。
誰が言ったのやら、「有馬記念のファンファーレは、競馬ファンにとって除夜の鐘のようなもの……」。でもこの言葉はまちがいなく多くの人の胸に刺さる。なにしろ1年の総決算なのだ。
競馬という競技は世界各地で行われているが、日本の有馬記念は世界で最も馬券が売れる、売り上げナンバーワンレースであり、競馬の枠を超えた国民的行事と言い切れる側面が確かにある。
だが、毎年12月の末、厳しい寒さの中で大レースを行う国は実は日本だけの話だ。
日本の競馬界では長年、フランスの“凱旋門賞”にどの日本馬が出場するのかが話題になるが、毎年10月の第1日曜日に催されるこのレースは、ヨーロッパ最大の競技であると同時に事実上、その年のシーズンの“締めくくり”として開催される。
たしかに日本ではサラブレッドの生産地といえば北海道であろうし、ヨーロッパでもアイルランドやスコットランドなどの寒冷地が馬の生産地として名高く、概して馬は寒さに強い。だが、シーズンの長さは馬の疲弊につながりかねない。しかし、日本の古来の風習(?)である“冬のボーナス”のことを考えると、やはり「年末に大レースを打ちたい」という“大人の事情”とやらがあるのかもしれない。実況の中で奇しくも語られる“あまたの情念”の中には、その種の情念も込められているのだろうか?
それはさておき…。
スタート前にもうひとつ。「競馬は出会いと別れの繰り返し」、この言葉についても必ずしも競馬通とは言えない方々のために少し述べておこう。
馬は通常20年から30年は優に生きるし、それ以上の長寿馬も数多い。だが生涯ずっと現役サラブレッドとして走れるわけではない。
「古馬」という言葉がある。
サラブレッドは大きく分けるとすれば、古馬かそうでないかの2種類である。本人にしてみれば「古馬」などと言われ、あまり心地良くはないだろうが、ではいつから「古馬」になるのか? 実は3歳を過ぎた馬、4歳以上の馬はすべて「古馬」となる。そして皐月賞、ダービー、菊花賞はすべて3歳馬しか出走できない。人生(馬生というべきか)でもっとも脂の乗り切った、野球で言えば、“高卒ルーキー”のみが出られるレースなのである。
その後のサラブレッドの運命は、馬それぞれだ。5、6年、いやもっと走り続ける馬もいるが、3歳の時代は永遠に戻らない。そうである以上、ファンは3歳馬にその馬のある種、集大成のようなものを早くも見てしまう。
そもそもサラブレッドは毎年、およそ数千頭単位の馬があらたにデビューする。その中から3歳馬として皐月賞、ダービー、菊花賞のどれかひとつにでも出走できること自体がすごいことであり、しかもその3レースをすべて1着で占めるなど、並大抵のことではない。実況アナウンスが語る、騎手・武豊が「一本ずつ指を立てていった」というのは、そういう意味だ。皐月賞優勝の時点でディープはすでに十分“スター”だった。
ディープインパクト。2005年菊花賞優勝時。
さて、2006年の有馬記念。ここでは、前年のクラシックレースすべてを1着で制した“三冠馬”ディープインパクトが、もちろんダントツの1番人気だった。オッズは、単勝で1.2倍。100円の馬券を買っても120円にしかならないわけで、いわゆる“おいしい”馬券ではない。
だが違うのだ。
たしかに2歳でデビューしてから3歳時の有馬記念まではずっと1着しか知らず、その後、“古馬”になってからもほぼ全レースを1着で走り抜けはした。問題は、その勝ち方だった。
ディープインパクトはこの日を最後に、つまり5歳馬になる前に引退する。ファンにしてみれば、たった2年ほどの付き合いだった。だが、その別れを「新たな出会い、新たな馬たちとの出会い」と割り切るにはあまりにも強烈な思い出が伴っていた。実況アナウンサーが述べた「さみしさが先に立ってしまう」の言葉は、まちがいなくファン共通の思いだった。
その辺りは章を改めて振り返ろう。さあ、スタートゲートがいま開かれる。
(1章につづく)
▲ netkeiba Books+ から「完全再現!ディープインパクト・ラストラン」の0章、1章、2章をお届けいたします。(写真:報知新聞/アフロ)
第1章 スタート
(アナ)第51回有馬記念。ゲートが開いて、スタートが切られました!
―あ〜、スイープトウショウがちょっと出負けした感じ…。スウィフトカレントがスッと後ろに下げていきます。さあ、先頭争い、やはりアドマイヤメインがのしをつけて行くんでしょうか?…… ディープインパクトには明快な“勝ちパターン”があった。スタート直後は、集団の後方を追走するのだが、ゴールに向かう最後の直線の手前、最後のコーナーから一気にエンジンをふかして、大外をまくりあげ、他馬を文字通りごぼう抜き、そのまま一気にゴールを突き抜ける。まさに突き抜ける…。
「とにかく、積んでいるエンジンが違った」元騎手の藤田伸二は著書の中で回想している。
「『どう転んでも、この馬には勝てない』と最初から白旗上げていたから、とりあえず同じレースに出る騎手たちは、俺も含めてみんなディープの2着を狙っていた。道中でディープのそばにいたら、逆に『邪魔せんように』って気を使っていたほどだ」 netkeiba.comでこのレースのデータを見ていただきたい。「通過」という項目がある。これは最後の一周の4つのコーナーを何番目に通過したかを示す。ディープインパクトのそれは「12-12-11-10」。最後の直線に入る手前のコーナーですら全14頭中、10番目に通過したにすぎない。でも結果は2着に3馬身の差をつけて堂々の1着…。
いや、あまり話を先走ってはいけない。まだレースは始まったばかりだ。彼は12番目あたりを走っている…。
少し時計の針を戻そう。そう、ファンに姿を現す前の話。
実はこの稀代の名馬は、最初から“期待の星”というわけではなかった。
まずもって“安かった”。
役所に出向いてMr.ディープインパクト氏の戸籍簿を開くなら、次のような記述に触れるはずだ。
「2002年3月25日生まれ。北海道ノーザンファーム生まれ。
父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア」
日本競走馬協会が主催するサラブレッドのセリ市で、未来の名馬は7000万円で落札された。「十分高い」と思われる向きもあろうが、そうではないのだ。これはこの日に落札された同じ父馬を持つ牡馬14頭のなかでは9番目の値段だった。最高額は3億3500万円、次が2億500万円。対する7000万円、安さは歴然だった。
ノンフィクションライター・島田明宏はその著書の中で、売り手側・ノーザンファーム場長の次のような言葉を紹介している。
「薄毛で、軽く、毛艶も今ひとつで、見栄えのする馬ではなかった。セリというのは、出てきた時点で肉づきがよく、体のしっかりした馬が高く評価されます。その意味で、当時のディープインパクトは、ややインパクトに欠けていましたね」 人によらず、馬も見栄えで大勢を決せられるようだ。だが、サラブレッドの場合、値段の決定的な要因は、まずは父馬に由来する。ディープインパクトの場合なら、それは“サンデーサイレンス”という馬だった。
(2章につづく)
▲ netkeiba Books+ から「完全再現!ディープインパクト・ラストラン」の0章、1章、2章をお届けいたします。(写真:報知新聞/アフロ)
第2章 第3コーナー
(アナ)デルタブルースも先行策。あるいはダイワメジャー。 そしてメイショウサムソン、こういったところも先頭集団。その後ろ、さあ、ディープインパクト、武豊はどの位置取りを取るんでしょうか?
―ディープインパクトは現在、後方3番手でレースを進めています…… 相変わらず彼は12番目あたりを走っている。もう少し昔話を続ける余裕はありそうだ。
そう、サンデーサイレンスの話。
サンデーサイレンスは1986年にアメリカで生まれたサラブレッドで、2002年に日本で亡くなっている。netkeiba.comで彼の項目を見ると、
エクリプス賞年度代表馬(1989年)
エクリプス賞最優秀3歳牡馬(1989年)と記してあり、その後1990年に引退。以降は日本で“種牡馬”として活躍する。
その活躍ぶりは、netkeiba.comではひと言、
JRA総合リーディングサイアー(1995-2007年)と表現されている。
サンデーサイレンス。1989年プリークネスステークスで優勝。写真:AP/アフロ
この辺りの説明は、競馬ライターとして名高い吉沢譲治の言葉がもっとも腑に落ちる。
「アメリカ年度代表馬に輝いたサンデーサイレンスの日本へのトレード。それを野球にたとえるなら、メジャーリーグで現役ばりばりの奪三振王、ホームラン王が、何かの間違いで日本の高校野球に入ったようなものだった。従来の成功種牡馬とはまるでレベルが違った。投げれば三振の山を築き、打てばホームランを量産した。血統常識が次々とくつがえされ、記録もまた次々と塗り替えられた」 ここで“種牡馬”とはなにか?という問題に直面する方もおられよう。
種牡馬(しゅぼば)とは繁殖用の牡馬のことで、要するに種馬(たねうま)だ。競馬界では、この血統が大きく物を言うし、何代にも遡って血筋がチェックされる。その辺の“馬の骨”は絶対に入れない厳しい世界だ。日本で走ったことが一度もないサンデーサイレンスは、ただ仔馬を作るためだけに日本まで連れてこられたのだ。
日本産馬のことを「内国産馬」と呼び、それらを父に持つ馬のことを「父内国産馬」と呼ぶ、日本の競馬界。その当時の状況を同じ本の中で、吉沢は綴る―。
「サンデーサイレンスが日本にやってくる以前の父内国産馬はレベルが低く、海外の大レースで勝つなど夢のまた夢の話で、はるか後方に取り残されたまま敗れて帰国するのが当たり前だった」それが一転する。
「しかし、いまは父の父、あるいは母の父にサンデーサイレンスを持つ馬たちが、海外の大レースを勝って凱旋帰国することをいとも簡単にやってのけている」 “リーディングサイアー”(英語表記はLeading Sire)とは、1シーズンの全ての産駒の獲得賞金合計額による種牡馬の順位のことで、要するに自分の子供たちがいくら稼いだか、その総額で1位になった馬のことである。そのトップの座をサンデーサイレンスは13年続けた。とてつもないDNAの持ち主、それがディープインパクトの父馬だった。
もう少し詳述する。
サンデーサイレンスが登場する前、計10回リーディングサイアーに輝いた馬がいたのだが、ダービー馬を1頭出したのみで、皐月賞・菊花賞には手が届かなかった。ほかにも皐月賞馬を3頭出しても、ダービー馬はゼロという馬もいた。吉沢が綴るとおり、たしかにそういうレベルだった。
それなのにサンデーサイレンスは、皐月賞馬7頭、ダービー馬6頭、菊花賞馬も4頭、これらをいともたやすく世に送り出してしまった…。
要するにディープインパクトは血筋的には何の問題もない。だが、いまひとつ期待薄の仔だった。それが7000万円という価格に現れた。同日に上場されたサンデーサイレンス産駒14頭中の9番目。後ろから5番目というのが、彼のそもそもの“位置取り”だった。
(続きは
『netkeiba Books+』 で)
- 完全再現!ディープインパクト・ラストラン
- 第0章 序章 スタート前
- 第1章 スタート
- 第2章 第3コーナー
- 第3章 第4コーナー
- 第4章 第1・第2コーナー
- 第5章 第3・第4コーナー
- 第6章 最後の直線
- 第7章 終章 ゴール!衝撃の余韻