▲ netkeiba Books+ から「オルフェーヴル 豪傑は本当にオンナに弱かったのか」の1章、2章をお届けいたします。(写真:2011年の日本ダービー/下野雄規)
こんなことを言うと、すべての競馬ファンに怒られてしまうかもしれないが、時として「馬にしておくのは惜しいな!」と、こちらが口走ってしまいそうな馬がいる。その代表格がオルフェーヴルではないだろうか。
美丈夫で豪快。惚れ惚れするような勇姿ぶりは誰しもが認めるところだ。その一方で、気分屋で荒々しく、騎手さえも振り落とす。かと思えば「ええっ!!何でそうなるの〜?」というレース展開で敗戦をも喫してしまう。
そして、そのすべてが、人の心を持っているのかと思わせるほど、彼は人間的な魅力に溢れている。(文:吉中 由紀)
第1章 彼は気まぐれな天才肌
頭のいい馬というのは、騎手の指示を適確に理解し、瞬時に反応できる馬のことを指すという。いわゆる「秀才型」である。だが、オルフェーヴルのように天才肌の馬は違う。時には突飛な行動に出て、周囲の人々を振り回す。いやそれ以前に、まずは、育てるのが難しい。こういう難物は、まかり間違えば、才能を開花させることなく、無駄に終わってしまうこともある。こんな予測不能な天才馬を、よくぞ伝説の名馬にしてくれたと、池江泰寿調教師、池添謙一騎手には、オルフェーヴルのファンから感謝状を贈りたいくらいだ。
だが、これを転じて歴史上の人間を見ても、織田信長や平清盛など、大器の人物は往々にして、青年時代はウツケか才人か、見分けがつかない行動をするものだ。
もしオルフェーヴルが武将として生まれていたら、大河ドラマに何回も登場するような、屈指の大将となっていたことは間違いないだろう。
人間だったら「モテ男」 大将の器であるだけでなく、いつの時代に生まれたとしても「モテ男」だったことも確かだろう。たとえば、どこかの女性雑誌で「恋人にしたい牡馬ランキング」などというアンケートがあったとしたら、オルフェーヴルは、きっと人気ナンバー1となるのではないだろうか。
では、彼はなぜモテるのか。それは手がかかり、かけた分だけ輝くからだ。「じゃじゃ馬」という言葉を辞書で引くと、「あばれ馬、人の制御に従わずむずかしい人、特に女性を言う」と書いてあるが、こうした女性を乗りこなす「じゃじゃ馬ならし」が男冥利につきるなら、ヤンチャな牡馬を自分に振り向かせて、恋人にするのもまた女冥利につきると言える。
しかも、相手は予測不能な行動をする、天才肌の男だ。女にとって、これほど魅惑的な存在はない。
だが、ひとつ、彼にまつわる、ある“噂”を耳にした。オルフェーヴルは、実は女には、からきし弱かったというのだ。「いや、そんなことはないだろう」と、にわかには信じがたい。万一本当ならば、それこそが彼の最大の弱点だったのかもしれない。豪傑は、実は女性に対しては飼い猫のように可愛らしい存在になってしまうのだろうか。はたして真実はいかにと思い、改めて現役時代のレースを検証してみることにした。
(2章につづく)
▲ netkeiba Books+ から「オルフェーヴル 豪傑は本当にオンナに弱かったのか」の1章、2章をお届けいたします。(写真:2012年の阪神大賞典)
第2章 伝説となった負け戦
本題に入る前に、ひとつだけ伝説の競馬を取り上げたい。それは、あまりにも有名なあのレース。負けてなお、驚愕の的となった2012年の阪神大賞典である。
このレースの前年、2011年にはオルフェーヴルは史上7頭目の三冠を達成した。ディープインパクト以来6年ぶりのことだ。しかも続く有馬記念も制し、同一年のクラシック三冠と有馬記念は、ナリタブライアン以来17年ぶり3頭目という快挙である。そして2012年、本格的なリフレッシュ期間に入っていたオルフェーヴルは、秋のフランス遠征を見据えて3月18日に行われた3000mの阪神大賞典に出走した。
このレースが伝説となったのは、オルフェーヴルが途中で失速し、しかも再びレースに復帰してからは驚異的な速さを見せたからだ。
陸上選手の場合、今日は何メートルの競技だということは分かっている。競馬の騎手ももちろん分かっているが、馬はどうなのだろう。あらかじめ騎手に「今日は長いよー」と教えてもらうわけではなく、当然、騎手の手綱さばきのとおりに走っているのである。
従って、通常ならば、馬が勝手に「とんだ勘違い」をしてレースを止めることなんて、あり得ないと思うのだが、オルフェーヴルはやってしまった。そこがヤンチャさんのヤンチャたる所以だろう。
負けて強さを証明する最強馬 この日のオルフェーヴルは、ゆっくりと休養して元気は溢れている。しばらく競馬に遠ざかっていたからこそ、誰よりも早く走りたいという気負いがあったのだろう。
レース前からイレ込みすぎていることは、池江調教師も池添騎手も把握していた。だが、そこは名手の池添騎手、はやる馬をなんとかなだめながら、3コーナー付近までは3番手の好位置をキープしていた。しかし、隣のナムラクレセントに追い抜かれると、もう我慢できない。オルフェーヴルは、「なにを!お前なんぞに負けないぞ」とばかりにスピードを上げ、一番手に躍り出た。そして、どうやらこの時「勝った!!今日のレースはこれで終わり」と思ったようなのだ。2周目の第3コーナーあたりからはコーナーを曲がろうとする気配すら見せず、外ラチ近くまで失速してしまったのである。
「どんなもんだ。休み明けでも俺の実力を思い知ったか」と得意になりたいオルフェーヴルだったが、実際には、あれよあれよという間にビリから2番目まで後退してしまった。
ここで彼、他の馬たちはまだ本気で走っていることに、ようやく気付く。
「えっ!終わりじゃないの?」と慌てて、大外からすさまじい速さで猛ダッシュ。疾風怒濤とはこのことだ。
そしてついに、最後の直線では大外から先頭にまで並びかかり、先頭のギュスターヴクライに半馬身差まで迫っての2着とあいなった。
とんだ醜態をさらしてしまったオルフェーヴルだったが、奇しくも、他に類を見ない彼の天才ぶりを、この負け戦が証明する形となった。実際、レース後の池添騎手は、この日のオルフェーヴルを称して「化け物だと思った」と語っている。確かに、最後方から馬なりにほかの馬をごぼう抜きにするという離れ業を見せつけたのだ。
もし私がオルフェーヴルの彼女だったら、「なんでそんなに慌てものなの?恥ずかしいじゃない」と言って、コツンとおでこをハジきたい。でもそのあと、「すばらしかったわ、みんなびっくりしてたわよ」と褒めて讃えていただろう。
確かに、このレース当日は、騎手も関係者も何が起きたのかと、血の気の引く思いだっただろう。しかし、今となっては、こんなに痛快なレースはない。当時の映像を何度見ても面白い。そして元気になる。
オルフェーヴルが現役時代の自分を振り返った時、このレースに関しては、「恥ずかしいけど、ちょっと自慢」と思っているのではないだろうか。「あれはあれで、俺らしいし、鮮やかな脚力を見せつけてやった」と彼はそう言いそうだ。
ボケと天才ぶりを存分に発揮した阪神大賞典の後、天皇賞では何が気に入らなかったのか、終始やる気なく惨敗。それでも競馬ファンからの信頼は厚く、次の宝塚記念では単勝1番人気を得た。そして、彼はその期待に応え、みごとなレース展開で5度目のG1制覇を飾ったのである。
(続きは
『netkeiba Books+』 で)
- オルフェーヴル 豪傑は本当にオンナに弱かったのか
- 第1章 彼は気まぐれな天才肌
- 第2章 伝説となった負け戦
- 第3章 最初の女難レースは、隣の美女に目が眩んだのか
- 第4章 ガチンコ女にブッ飛ばされた
- 第5章 3度目の女難レースは潔いほどの完敗だった
- 第6章 かつて姉御に勝利した意外な理由
- 第7章 こんなに面白い馬はもう出ない