キタサンブラックの引退式が行われた1月7日、京都芝3000メートルの万葉ステークスを、先行したトミケンスラーヴァ(牡8歳、父タイキシャトル、母の父デヒア、美浦・竹内正洋厩舎)が押し切った。52キロという軽ハンデだったとはいえ、流れに味方されたわけではない、強い勝ち方だった。私は、父が短距離王のタイキシャトルというだけで「消し」にしていた。
母の父サクラバクシンオーのキタサンブラックがあれだけ長距離戦で圧勝するシーンを見ていながら、「競馬の常識」の呪縛から抜け出すことができなかったのだ。
確かにキタサンブラックは例外的な存在だった。父や母の父がサクラバクシンオーでありながら、中・長距離戦であれほど強かった馬はほかにいない。
ところが、タイキシャトルは、特に母の父となった場合、長めの距離でもよさのある馬をけっこう出している。ダービー馬ワンアンドオンリー、ダート2100メートルのロジータ記念などを勝ったクラーベセクレタ、青葉賞で2着になったマッハヴェロシティなどなど。
トミケンスラーヴァは、父だけでなく、母の父デヒアもスピード馬だった。
デヒアは、4連勝でアメリカのGIホープフルステークス(サラトガダート1300メートル)を制し、フューチュリティステークス2着を挟んで、GIシャンペンステークス(ベルモントパークダート1600メートル)を4馬身差で圧勝。1993年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬となった。アメリカで種牡馬となり、シャトルでオーストラリアに行ったのち、日本へ。その後、2010年にトルコにわたったのだが、私は2012年夏にアジア競馬会議に出席するためトルコに行き、同国最大のカラシャベイスタッドでこの馬を見ることができた。2年後の2014年5月に心臓発作で世を去ったので、会えたのはラッキーだった。
そうした母系の繁殖牝馬にタイキシャトルを付けたのだから、適距離の幅をひろげることより、持ち味のスピードに磨きをかけることを目的とした配合だったのだろう。
そのトミケンスラーヴァが、今週のアメリカジョッキークラブカップ(1月21日、中山芝2200メートル、4歳以上GII)に中1週で出てくる。
問題は、距離よりも、別定56キロの斤量か。2走前、京都芝2400メートルの古都ステークスを勝ったときは53キロ、昨年の中山金杯でコンマ6秒差6着と頑張ったときは51キロと、ともにハンデに恵まれていた。
8歳という馬齢はどうか。前走後、秋山騎手が「血統的には短距離なのでしょうが、穏やかな馬ですから」とコメントしていたように、距離をこなすうえで、馬齢を重ねることはマイナスばかりではない。
前にも馬齢を人間の年齢に置き換える話をしたが、定説の「馬齢×4=人間の年齢」に従うと、8歳のトミケンは32歳ということになる。しかし、いくら年が明けたばかりで、数週間前まで7歳だったとはいえ、そこまで若くはないだろう。
3歳春のダービーが甲子園球児の18歳とすると、デビューする2歳夏が人間の中学3年生か高校1年生、つまり、15歳か16歳。3歳秋が19歳か20歳。ピークと言われる4歳秋が20代前半、5歳が20代後半、6歳が30代、7歳が40代で、トミケンら8歳は50代といったところではないか。
20代や30代の連中とハンデなしでやり合うのはキツいが、戦い方次第ではノーチャンスではない。
星の数よりメンコの数だ。
先週書くのを忘れたのだが、今年は東西の金杯の単複を、それぞれ1点買いで獲った。30年以上競馬をやってきて、おそらく初めてだと思う。
昔から、馬券師の間では「一年の計は金杯にあり」と言われている。これは「一年の計は元旦にあり」をもじったものだ。「計画は早めに立てろ」をもじったということは、「計画は金杯の結果に従って立てろ」ということか。つまり、「今年は単複で勝負しなさい」と競馬の神様は言っているのだろう。
自分と同世代のトミケンスラーヴァの単複を買って、アメリカジョッキークラブカップを楽しみたい。