▲乗馬時代は静岡県のつま恋で過ごしたアルゼンチンタンゴ
弱き者に優しいタンゴ「騎乗者を1度も落としたことがない」
競走馬時代、脚元の不安と闘いつつ、2度に渡る長期休養を挟みながら、4歳から8歳(現3歳から7歳)まで競走馬生活を続けたアルゼンチンタンゴ。残念ながら重賞のタイトルは奪取できなかったが、ファンの記憶に残る名馬の1頭に違いないと思う。
競走馬を引退後にアルゼンチンタンゴに用意された舞台は、乗馬クラブだった。静岡県掛川市にあるつま恋乗馬倶楽部で、長きに渡って乗馬としての馬生を歩んだのだ。
現在、アルゼンチンタンゴは「タンゴ君を支える会」によってその馬生は支えられているが、その会の会員でアルゼンチンタンゴのFacebookを運営するOさんは、つま恋時代のタンゴをよく知る女性だ。
タンゴとの出会いは、およそ15年前に遡る。Oさんの娘さんが2003年につま恋乗馬倶楽部に通い始めたのがきっかけだった。初めは付き添いで倶楽部に足を運んでいたが、通ううちに馬の可愛さに魅かれていった。
「スポーツは苦手だったので初めは乗馬なんて考えもしなかったのですけど『(馬に乗らず)下から可愛がっていてもわからないよ』と娘に言われまして(笑)。するとぬいぐるみみたいなムクムクの可愛い馬がいて、この馬なら乗ってみたいと。娘の挑発もあって(笑)、それで始めたんです」(Oさん)
こうしてOさんは、40代にして初めて馬に乗ることとなった。最初の9鞍まではぬいぐるみのような馬に乗ってレッスンを受けていたが、10鞍目にタンゴに跨ったのが運命の出会いだった。
タンゴがつま恋乗馬倶楽部から谷口牧場へと移動する2016年9月までのおよそ13年の間は、Oさんにとってかけがえのない日々であった。
▲Oさんはタンゴとの出会いをきっかけに乗馬に没頭することに
「乗馬として調教したインストラクターによると、初めはスイッチが入ると火がついたように走っていたようなんです」(Oさん)
やがて障害飛越競技に出場するようになり、たくさんのリボン(入賞した馬に与えられる)を獲得していったという。そして乗馬という仕事を覚えて理解してからは、老若男女それぞれに合わせて動ける優秀な乗馬として、クラブでなくてはならない存在となった。
2004年5月からはOさんの娘さんとコンビを組み、馬場馬術の試合にも出場するようになった。馬場馬術は技術に応じてクラス分けされているのだが、Oさんの娘さんとタンゴは、当時のJEF第二課目というクラスに出場していた。さらに上のクラスに出場するよう打診されたが、そうなるとタンゴ以外の馬とコンビを組まなければならない。いつしかタンゴの虜となっていた娘さんにとって、タンゴとともに試合に出場しなければ意味がなかったため、その打診を断っている。
「タンゴは自分で経路を回る馬…タンゴマイウェイです」とOさんは言う。
馬場馬術はクラスごとに決められた技を行い、決められた経路を回ってくる競技だ。馬は記憶力に優れていると言われるが、馬の中には何度かこなすうちに技や経路を覚えてしまう場合もあるだろう。タンゴは、しっかりと覚えて自主的に行っていたのかもしれない。
「障害であれ馬場であれ『乗せてやる』というのがタンゴなのかもしれないですね」(Oさん)
タンゴと娘さんのコンビは2007年夏まで続いた。
Oさんは「娘の弟」としてタンゴに接していたが、いつしかOさん自身にとってもタンゴはかけがえのない存在になっていた。
そして「初心者、お年寄り、小さき者、弱き者に優しい」とOさんは、タンゴを絶賛する。
「人への気配りが素晴らしくて、騎乗者を1度も落としたことがありません。タンゴほど誰が乗っても安心できる馬はいませんでした。まるで運転手さん付きの車に乗っている感じと言ったら良いのでしょうか。行き先を伝えてこうしてほしいとこちらの希望を出すと、良いように動いてくれます。駈歩をうまく出せなくても、タンゴに駈歩、駈歩と伝えると『ほい来た!』という感じでしてくれます。自分で馬を動かしているわけではないのかもしれないのですけどね(笑)。
でもこちらのオーダーとタンゴの『やってあげるよ』という心意気がピタリと合った時は本当に最高でした」(Oさん)
▲乗馬時代は「初心者、お年寄り、小さき者、弱き者に優しい」
老若男女問わず、人を気遣って乗せる馬アルゼンチンタンゴ。だが「優等生ではないんですよ」とOさんは言う。
「すごく人間くさいんです(笑)。力のあるインストラクターが乗るとホイホイと動いて、お客さんからは重たくて動かないんですとも言われていました。でもインストラクターのそばを通る時は速く動くんですよね(笑)。
つま恋にはインドアの馬場があるのですけど、入口側を3分2、奥を3分の1と馬場を馬場を仕切って使っていたのですが、タンゴは男として広い所でレッスンしたいんですよ(笑)。私は人馬の出入りもなくて静かな奥の方が好きなんですけど、タンゴは奥で乗ると決まるとええーっ?っという感じで急にテンションが下がるんです。
それで奥に行く時には、ちょっと馬場入りを嫌がったり、間仕切りをしていないと、奥の狭い方で経路を回っていてもここだという時に広い方にちょっと出てみたりするんですよね(笑)。そういう時は仕方ないなーと広い方で1周回って、奥に戻るとかするんですけどね(笑)。
ある意味とっても優等生で、クラブの信頼度ナンバーワン。何かあったらいけないお客様を乗せるのもタンゴなんですけど、奥に行くのいやだとか、広い方にはみ出たとか、何でそういうことをするの?という、あまり害のないことをやらかしてくれるんです(笑)。
馬に乗っていると、乗り手に従わないなどムチが必要になってくるようなひと悶着がわりとあるものなんですけど、タンゴはムチを入れられるくらいならさっさとやるという感じでしたね。お利口なので、インストラクターが何を言っているのか、騎乗者が何を思っているのかをわかって動いているんです。だから乗っていてすごくおもしろいですよ。先ほども言ったように、運転手さん付きの車に乗っているような感じです」(Oさん)
▲「すごく人間くさいんです(笑)。だから乗っていてすごくおもしろいですよ」
アルゼンチンタンゴは、会員の誰からも愛され、安心して乗れる乗馬として活躍し続けた。中でもOさんと娘さんとの関わりは深く、それだけに焼もち焼きな一面を見せることもあった。
「タンゴ以外によく乗っている馬が1頭がいたのですけど、その馬と馬場で一緒になると、その子を意識して鼻息荒くのし歩いているんですよ。1頭ずつ駈歩をしている間も、ギラギラしてその馬を見ているんですよね。あまり鼻息が荒過ぎてハエを吸い込んだこともあって(笑)、ビックリしてタンゴが飛び上がって、ビュッと鼻からハエを吐き出したんです。普通なら馬はかなり取り乱すはずですよね?なのにタンゴは乗っている人が落ちるような態勢を絶対にとらないんです」(Oさん)
2003年に出会って2016年9月にタンゴがつま恋を退厩するまでの間、Oさんにはたくさんの思い出がある。それが言葉となって次から次へとあふれ出てきた。
「タンゴは人にやらされている、働かされていたというわけではなく、とても誇り高く、自分の道をしっかりと歩いてきました。熱い心を聡明さに替えて、乗馬の仕事を理解し生真面目に熱心に人と寄り添って、乗馬としての馬生を勤めあげたのです」
Oさんのこの一言に、タンゴの乗馬としての馬生のすべてが凝縮されているように感じた。
■牧場での様子
(次回につづく)
※アルゼンチンタンゴのFacebook
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