▲ netkeiba Books+ から「稀代のオールラウンダー アグネスデジタル」の1章、2章をお届けいたします。(写真:2002年のフェブラリーS/下野雄規)
オールラウンダーとして、日本の競馬史に残る一頭がいる。アグネスデジタル。芝・ダート、良馬場・重馬場、右回り・左回りを問わず、距離もマイル〜2000mをこなし、さらには地方でも海外でも頂点を極めた名馬。その数々の栄光は、関係者の度重なる英断によってもたらされたものだった。 競馬の常識を超越し、独特の存在感を示したオールラウンダーの軌跡をいま改めて辿る。(文中敬称略) (文:『netkeiba Books+ 編集部』)
第1章 オールラウンダーとして完成したフェブラリーS
2002年2月17日、フェブラリーS。曇天の東京競馬場に、錚々たるメンバーが集結した。
前年のドバイワールドカップ2着のトゥザヴィクトリー、ダートG1を2勝しているウイングアロー。前哨戦の根岸Sを勝って本格化著しいサウスヴィグラスに、さらには前回覇者のノボトゥルー。地方からは南関東4冠馬のトーシンブリザードと、東京大賞典で中央勢を破ってきたトーホウエンペラーも参戦してきた。
そしてこれらをすべて差し置いて1番人気に支持されたのがアグネスデジタルだ。
大舞台に強い四位洋文を背に、地方→中央→海外とG1を3連勝中で、状態さえ問題なければここも当然好勝負だろうと目されていた。
7万人を超える観衆が見守る中、レースは発走時刻を迎えた。
外枠から好スタートを決めたノボジャックがひっぱる展開になり、武豊騎乗のトゥザヴィクトリーが内目の2番手を進んだ。サウスヴィグラスが続き、ノボトゥルーとトーホウエンペラーは4〜5番手の好位を追走。その後ろ、中断よりやや前の位置にアグネスデジタルは構えた。
海外遠征帰りの懸念はあったが、いまの充実ぶりなら勝てるだろうと、鞍上の四位は自信を持って乗っていた。
各有力馬が思い通りの位置を取れたこともあり、道中大きな動きはなかったが、4コーナー付近から徐々に馬群が凝縮してきた。
直線に入るとトゥザヴィクトリーが抜群の手応えで先頭に並びかけ、呼応するように後続も追い出し始める。
直線半ばでは、トゥザヴィクトリーが2馬身ほど差を広げて先頭を走っていたが、残り200mのハロン棒を過ぎたあたりで脚色が鈍り、内からノボトゥルー、外からアグネスデジタルとトーシンブリザードが強襲してきた。
残り50mで大勢が一気に入れ替わり、最後は馬場の真ん中を突き抜けてきたアグネスデジタルが1馬身差をつけてゴールした。
同じような脚色で追い込んできたトーシンブリザードが2着、3着以下はノボトゥルー、トゥザヴィクトリー、トーホウエンペラーと続いた。有力馬が力を出し切り、ゴール直前まで勝負の行方がわからない見ごたえのあるレースとなった。
勝ったアグネスデジタルは、この勝利でG1の連勝を"4"に伸ばした(南部杯、天皇賞・秋、香港C、フェブラリーS)。中央競馬の芝とダートのG1を両方制したのは、前年のクロフネに続き、史上2頭目の快挙だった。
2002年 フェブラリーS サラブレッドの適性が細分化された現代競馬において、複数のカテゴリでチャンピオンになることはむずかしい。
そこには必ず、距離適性の壁、コース適性の壁、馬場適性の壁が立ちはだかる。だが、アグネスデジタルはその壁を飄々と越えた。
いわゆるオールラウンダーで、あらゆる舞台で栄光を手にした。一方で、凡走も数多くあった。まったくつかみどころのない、不思議な馬である。
ディープインパクトやオルフェーヴル、キタサンブラックなど芝の中長距離路線で堅実な実績を残した馬を「ストレート」な名馬とすると、アグネスデジタルは「変化球」の名馬だろう。"強い"のひとことでは言い尽くせない奥深い魅力がある。
本書では彼の競走成績をたどっていくことで、その魅力を堪能していただきたい。
■プロフィール馬名:アグネスデジタル
生誕:1997年5月15日
生産地:アメリカ合衆国ケンタッキー州
生産者:ラニモードファーム
馬主:渡辺孝男
管理調教師:白井寿昭(栗東
担当厩務員:井上多実男
■血統父:Crafty Prospector
母:Chancey Squaw
母の父:Chief's Crown
(2章につづく)
▲ netkeiba Books+ から「稀代のオールラウンダー アグネスデジタル」の1章、2章をお届けいたします。(写真:2000年のユニコーンS/下野雄規)
第2章 大器の片鱗
アグネスデジタルは、父Crafty Prospector、母の父Chief's Crownという血統で、アメリカ生まれのいわゆるマル外である。Crafty Prospector産駒は、芝よりもダート、中距離よりも短距離を得意としており、アグネスデジタルもデビュー後しばらくは、ダート短距離を中心に使われることになる。
デビューは3歳(※旧馬齢表記)の秋。1999年9月12日、阪神ダート1400m。鞍上は福永祐一だ。先手を取って逃げの手に出るが、武豊騎乗のマチカネランに交わされ7馬身差の2着に敗れた。
3週間後の折り返しの新馬戦(ダート1200m)は、1番人気の支持に応えて圧勝した。
「芝でも大丈夫な走りをしている」
レース後、福永はそう感想を述べた。直後のもみじS(芝1200m)では8着に敗れてしまったが、福永の感触は的確でのちにこの見立ては当たることになる。
ダートに戻して500万下(京都1400m)で2着したあと、陣営はアグネスデジタルを関東で使うことにした。
ジャパンカップウィークの東京競馬場。ダート1600m。このレースから鞍上は的場に変わり、以降的場が引退するまで、全レースでコンビを組むことになる。単勝1.8倍の期待に応えて、2着に1.2秒の差をつけて勝ち上がると、翌月には川崎の全日本3歳優駿(交流G2 ダート1600m。現・全日本2歳優駿)に出走した。
ここでも1番人気に応え、早め先頭から押し切る盤石の内容で勝利した。この勝利で十分な賞金を加算したことにより、当時の外国産馬の最大目標であるNHKマイルカップへ向けて自由にローテーションを組むことが可能になった。
年が明けて、アグネスデジタルは4歳(※旧馬齢表記)になった。
陣営は2月のヒヤシンスS(東京ダート1600m)からの始動を選んだ。いつもどおり好位からのレースをしたが、直線でバランスを崩すもろさを見せ、結果は3着。その後、NHKマイルカップを見据えて、再び芝のレースに挑戦することにした。
クリスタルカップ(中山芝1200m)3着のあと、前哨戦のニュージーランドトロフィー4歳Sも積極的なレースで3着に好走。芝でも十分やれる目処がついた。本番のNHKマイルカップでは4番人気の支持を受けたが、直線で伸びきれず、7着に敗退。この時点ではまだ芝の一流馬と互角に渡り合うには、まだまだ未熟だった。
再びダートに戻り、6月の名古屋優駿(交流G3 名古屋ダート1900m)を勝つと、つづく7月のジャパンダートダービー(交流G1・大井ダート2000m)では1番人気の支持を集めた。だが、結果は14着と惨敗。好位からレースを進めたものの、直線で脚が上がってしまったのだ。
このとき的場は、「アグネスデジタルにとって2000mは長い」と感じていた。さらに、厚く敷かれたダートも合わなかった。
デビューから10カ月で12戦をこなし、4勝。勝ち星はすべてダートだが、芝での内容も悪いわけではなく、陣営は希望を捨ててはいなかった。
白井や的場は、丈夫であること、走り方が変わってきて成長が見られること、素直でおとなしい性格であることなどから、条件を問わず活躍できる素質を感じていた。
アグネスデジタルは、7月のジャパンダートダービーの惨敗後、2カ月の休養を挟み、ユニコーンSから始動した。
当時のユニコーンSは、9月の中山開催、ダート1800mで行われていた。成長著しいアグネスデジタルは、1年前の新馬戦で7馬身差をつけられたマチカネランを破り、3つ目の重賞タイトルを手に入れた。
調教師の白井は、重賞勝利以上の価値を感じていた。というのも、ユニコーンSは当時、破格の出世レースだったからである。なぜなら、下記にある前年までの勝ち馬をみてもらいたい。
第1回 1996年:シンコウウインディ(フェブラリーSなど重賞3勝)
第2回 1997年:タイキシャトル(マイルCS、安田記念など重賞8勝)
第3回 1998年:ウイングアロー(フェブラリーS、JCダートなど重賞8勝)
第4回 1999年:ゴールドティアラ(南部杯など重賞5勝)
すべての勝ち馬がG1ウイナーに出世している。アグネスデジタルには、タイキシャトルのような活躍をしてほしい。白井はそう願っていた。
アグネスデジタル・データ:http://db.netkeiba.com/horse/1997110025/
(続きは
『netkeiba Books+』 で)
- 稀代のオールラウンダー アグネスデジタル
- 第1章 オールラウンダーとして完成したフェブラリーS
- 第2章 大器の片鱗
- 第3章 鬼脚
- 第4章 「納得」の盾制覇
- 第5章 世界を舞台に
- 第6章 必然の復活劇