▲26歳で乗馬を引退したアルゼンチンタンゴのその後
私たちが引退した競走馬たちにできること
かつてつま恋乗馬倶楽部には、競馬の世界で活躍した数多くの名馬が、競技馬として、あるいは厩務員など馬の仕事に就く研修生たちの先生として在籍していたことがある。その中に今回の主役アルゼンチンタンゴをはじめ、フジヤマケンザンやメジロデュレン、アサヒエンペラー、ニホンピロブレイブ、ハシノケンシロウ、シャコーグレイド、シクレノンシェリフなど豪華メンバーが名を連ねていた。
だがやがてつま恋の名馬たちは、種牡馬、別の施設での乗馬、あるいは個人の愛馬になるなど、それぞれの道へと旅立っている。最後に残ったのはアルゼンチンタンゴで、前回も紹介したように、優秀な乗馬としてつま恋乗馬倶楽部になくてはならない馬として存在し続けた。
そんなタンゴも年を重ね、26歳の時に乗馬を引退。陰ながらずっとアルゼンチンタンゴを気にかけてきたAさんが発起人となり「タンゴ君を支える会」が発足。つま恋乗馬倶楽部でタンゴとともに時を過ごしてきたOさんとAさんも繋がり、ともにタンゴの馬生を見守り支えてきた。
また会の趣旨に賛同して入会した会員のタンゴへの深い愛情も、タンゴや会運営の大きな力となった。ある時は会の通信用に使ってほしいと、大切に保存していたであろう古い切手や記念切手が送られてきたこともあるという。会員の撮影した温かな視点の写真も送られてくる。皆、タンゴが大好きで、タンゴらしく毎日を過ごしてほしいと願っているのだ。
▲皆、タンゴが大好きで、タンゴらしく毎日を過ごしてほしいと願っている
手元に会員に送られている「タンゴ君通信」がある。そこにはタンゴの近況などの様子がAさんによって綴られているのだが、その筆致は馬に対する尊敬の念にあふれているように感じた。
電話取材中のAさんの言葉の端々からも、やはりタンゴへの深い愛情と敬意を感じた。競馬の世界は、競走馬として稼げなくなればその馬の価値はなくなる。乗馬の世界は、乗馬としてお客様を乗せられなかったり、競技に出られなくなればその馬の価値はなくなる。単純に言えばそういう仕組みになっている。
だがAさんをはじめ競馬や乗馬から引退した馬たちと真剣に向き合っている方々と話をしていつも感じるのは、競馬や乗馬の世界の価値観とはまるで違うということだ。つまりお金を生み出さない存在になっても、その馬の命を尊く思っているということだ。人のために頑張ってきた馬たちに、余生はのんびりと過ごさせてやりたい。そのような純粋な気持ちなのだ。
いやもしかすると、馬を使い捨てにするという感覚がおかしくて、引退した馬たちに余生を送らせたいという気持ちを抱く方が自然なのかもしれない。馬の世界にどっぷり嵌ってしまうとつい忘れがちになってしまう人として当たり前の気持ちを、引退馬の取材のたびに私自身再認識させられている。
Aさんが競馬と出会ったのは、45年以上前に遡る。
「当時高校生の弟に競馬について教わったんです(笑)。ある日突然、競馬って面白くて素晴らしいと。競馬新聞の読み方からいろいろなことを教えてもらって、スピードシンボリが勝った有馬記念を当てたんですよ。お姉さんセンスあるよとか言われて(笑)。
それから家族が嵌って、しばらくは土日は真剣に検討をして、私が東銀座の場外馬券売り場に馬券を買いに行っては楽しんでいました」
ある時、引退した競走馬の厳しい現実を知った。
「ハイセイコーが出てきてわりとすぐ、弟がお姉さん大変だよ、馬って故郷に帰ったとか言っているけど、ずっと生きているわけではなくて、ほとんど処分されるんだってと。何も知らなかったので驚きました。勝った負けたとお金を賭けているのは不純ではないかと、ちょっとだけ辞めたんです。
でもよく考えてみたら、賭け金もどこかに回って馬たちが生きているんだろうと思いまして、それからはとにかく複勝で応援馬券を買っていました」
応援してきた馬の中で、Aさんの心を鷲掴みにしたのがライスシャワーだった。
▲的場均騎手とのコンビでGI3勝を挙げたライスシャワー(撮影:下野雄規)
「ステイヤーが好きで黒い馬が好きだったんです」
だが1995年の宝塚記念のレース中に骨折して安楽死処分が下された。さっきまで生きていた馬が、あっという間に亡くなってしまう。Aさんのショックは大きく、夜になると涙を流す日々が続いた。
「私はこの馬を愛していたのだと、失って初めて気づきました」
ライスシャワーの悲劇は、日本初の養老牧場とも言われるイーハトーヴ・オーシァンファームの創設者、故大井昭子氏との出会いのきっかけともなった。Aさんは氏から実に様々なことを教わったという。その大井氏の教えがAさんの礎となり、現在の「タンゴ君を支える会」にも繋がっている。Aさんの話に耳を傾けながら、そう確信したのだった。
AさんやOさんを含めて、引退した競走馬たちに真剣に向き合っている方々と話をしていていつも感心するのは、馬たちへの思いを行動に移したり、形にしていることだ。馬たちのために1歩を踏み出す勇気を持った人の話は、実に説得力があって聞いているこちらが圧倒される。馬を引き取れればそれに越したことはないが、1頭の馬の生涯に責任を持つのは経済的な面を含めてかなり厳しいと言っても良いだろう。
だが「タンゴ君を支える会」のように、1頭の馬を会費によって支援をする方法もある。定期的な支出が難しければ都合がついた時に寄付をしたり、人参やリンゴ、馬たちが必要なものを送るなど、できることは様々だ。
SNSを使って会の存在や引退馬の現実を広めるというのも、支援の形の1つだろう。1人1人が小さくても何らかの行動を起こしていけば、馬たちの未来はもっともっと明るいものになっていく可能性は十分にあるだろう。
▲会の発足・寄付・SNS拡散など、引退馬たちを支援する方法は様々だ
さて乗馬を引退したアルゼンチンタンゴだが、「タンゴ君を支える会」の支援のもとしばらくの間つま恋乗馬倶楽部で暮らしていた。2016年には終の棲家探しが始まったのだが、高齢馬の移動にはリスクが伴う。獣医師による健康診断を受け、輸送時間は3時間程度の場所が条件となった。
また去勢していないため、牡であることを無条件で受け入れてくれること、高齢馬に対する経験が豊富であるという条件下でAさんやOさんらが相談し合い、時には意見をぶつけ合いながら、タンゴのためにと決めたのが、第1回目にも登場した山梨県の清里高原にある谷口牧場だった。
▲タンゴが“第三の馬生”を過ごす、谷川牧場での生活は
(次回につづく)
※アルゼンチンタンゴのFacebook
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