▲山梨県にある谷口牧場で暮らすアルゼンチンタンゴ
タンゴを支える23名の愛情
心から愛したライスシャワーがターフに散ったのち、悲しみに暮れていたAさんはやがて「競馬よりも馬を救う方に回ろう」という方向に転換していった。Aさんは個人的にも馬を引き取って預託をしているが、アルゼンチンタンゴと同じようにつま恋乗馬倶楽部で生涯の一時期を過ごしたフジヤマケンザンを見守る「ケンザンの会」の一員でもあった。
またAさんは、昨年閉鎖したイーハトーヴ・オーシァンファーム所有だった3頭の馬たちが新天地で安心して過ごせるよう奔走もするなど、馬たちのために多忙な日々を送っている。
そのAさんがライスシャワーと同じリアルシャダイを父に持つアルゼンチンタンゴを支援する「タンゴ君を支える会」を発足させた。会員は、Aさん含めて現在23名。発足の際に「ケンザンの会」にもAさんは呼びかけ、賛同した12名が「タンゴ君を支える会」に名を連ねている。
ほか、競走馬時代のタンゴファン、乗馬時代のタンゴに乗っていた人、ネットで知ったという人、珍しいところではAさんがタンゴの写真入り年賀状を作成するために訪れた写真屋さんでタンゴの画像に一目惚れした人が会員となっている。
この23名の人々の温かい愛情に支えられながら、清里の澄んだ空気の中でタンゴは彼らしく今を生きている。
▲現在、タンゴは23名の会員によって支えられている
実は去勢をされていない馬は、他の預託馬とのトラブルを避けるために、受け入れを断られるケースが多い。だが谷口牧場では牡のままのタンゴを快く迎え入れている。これにも理由があった。
「かつてウチにはヒカルイマイの産駒のヒカルマイハート(セン・1982年生まれ)という馬がいました。Aさんは、その馬に人参やリンゴを送ってくれていたのです。その繋がりがあって、タンゴを預からせて頂くことにしました」
▲タンゴを預かる谷口牧場
ヒカルマイハートの父ヒカルイマイは、オーストラリアから輸入された血統不祥のミラを先祖に持つため、純粋なサラブレッドとはみなされず、いわゆるサラ系の馬であった。(現在はサラ系の馬にサラブレッドを8代続けて交配されれば、サラブレッドとみなされるようになっている)ヒカルイマイ産駒のヒカルマイハートが谷口牧場にいることを知ったAさんは、折に触れて人参やリンゴを送り続けていたのだ。
さらには谷口牧場には、高齢馬を扱ってきた豊富な経験があった。これもタンゴの預託先の大きな決め手となった。厩舎内の壁面には、かつてこの牧場で余生を過ごして虹の橋を渡っていった数々の馬たちの名が刻まれたプレートが飾られている。そのうちの1頭にフェブラリーS(GI)の前身、フェブラリーH(GIII)やダート戦時代の札幌記念(GIII)の勝ち馬・リキサンパワーの名前があった。
▲▼谷口牧場に在籍した馬たちのプレートが飾られている
リキサンパワーは1981年4月21日に新冠町の新冠伊藤牧場で生まれた。父はオーバーサーブ、母イスズアロー、母父アローエクスプレスという血統で、美浦の高松邦男厩舎からデビュー。函館3歳Sを皮切りに、重賞の常連となり、皐月賞(GI・18着)や菊花賞(GI・14着)にも出走している。
芝のレースでも勝ち星はあるが、550キロ前後の大きな馬体を生かしてダート戦では無類の強さを見せた。競走馬登録抹消後は1998年から種牡馬として繋養されていたが、1996年の3頭を最後に種牡馬を引退。第三の馬生を谷口牧場で送っていた。
「去勢されてウチに来ましたが、きつい気性でしたね。前を通ると結構噛まれた人も多くて…。うっかりしているとガブッとやられてしまいます。調馬索で運動をさせていると、耳を伏せてこちらに向かってきますからね。体も大きかったですし、本当にきつい馬でした。種牡馬もやっていたので余計でしょうね」
激しい気性だったリキサンパワーも既にこの世にはいないが、この馬らしく一生を終えたのだろうことは想像がついた。
酪農から観光牧場、そして養老牧場へと時代に合わせて転換してきた谷口牧場だが、生き物を扱っているだけに責任は大きい。
「私がいない間に馬たちに何かあっては申し訳ない」という思いもあり、谷口さんは何年も泊まりで家を空けたことがないという。飼い付けから馬房の掃除、馬の放牧に収牧、手入れ、毎日大量に出るボロを処分などなど、牧場の仕事は休みなく続いていく。命を預かるというのは、並大抵の責任感ではできない。だがその中にも喜びはある。
「ピリピリした馬でも、ここに来てから落ち着いてそれなりにリラックスしている姿を目にした時、この仕事をやって良かったと思います」
谷口さんの顔がかすかにほころんだ。
▲タンゴの顔を拭く谷口さん
ヒカルマイハートから繋がっていた縁と谷口牧場がリキサンパワーをはじめ高齢馬を扱ってきた経験値がタンゴの終の棲家の決定打となった。取材をしていると、人や馬との縁、奇跡ともいえる出来事が重なって第二、第三の馬生を過ごしている馬と出会うケースが多々ある。様々な要素が絡み合って、1頭の馬の命の輝きがある。アルゼンチンタンゴもまさにそうだった。
それにしても、取材中、何度アルゼンチンタンゴの雄たけびを聞いたことだろう。谷口さんのお話を録音したICレコーダーにも3、4回収録しているし、動画でも何度も撮影している。
馬が通るたびに雄たけびをあげているアルゼンチンタンゴの姿は、いまや谷口牧場の名物ともなっているが、つま恋乗馬倶楽部で会員として親子でタンゴに乗り、見守り続けてきたOさんも、つま恋時代に似た雄たけびを聞いていた。
▲雄たけびをあげているタンゴの姿は、いまや谷口牧場の名物
「ふすま湯を配ったり、飼い葉の用意をしている時にものすごくうるさい馬がいたのですが、誰だろう?と思ったら、それがタンゴでした」
だがつま恋時代は、乗馬としての自らの立場を十分理解していて振る舞ってもいたようだ。
「洗い場ではお行儀がとても良くて騒がなかったのですけどね。誇り高いところもあって、私や娘が自分のことを1番だと思っているのをよく理解していて、私が他の馬たちに人参を配っていても、最後の人参は自分のだとわかっているので騒がずに大人しく待っているんです」
だが谷口牧場では、馬が目につくたび、馬房の中でも繋ぎ場でも放牧地でも、どこでも雄たけびをあげている。つま恋時代とは別の素顔をのぞかせるタンゴについてOさんは「今は自由に傍若無人にふるまっていいんだと思っているのだと思いますね」と分析していた。
当初はつま恋のある静岡県掛川市から輸送時間が3時間程度と獣医師から診断を受けていたタンゴだが、新天地がよほど合うのだろう。明けて29歳になって30歳を目前にしながら、現在は健康状態に全く問題なく、元気一杯に過ごしている。
「歯が若干悪いというのもあって、食べているわりに体が丸くはならないですけど、29歳ですからね」と谷口さんは目を細めた。
その言葉を聞いていたのか否か、タンゴはまた高らかに雄たけびをあげていた。
▲現在29歳。健康状態に全く問題なく、元気一杯に過ごしている
(了)
※アルゼンチンタンゴのFacebook
https://www.facebook.com/argentinetango1989/ 「タンゴ君を支える会」では、アルゼンチンタンゴの第三の馬生を支援する会員を募集中です。
会費月1000円 年12000円
興味のある方、賛同下さる方は、Facebookにメッセージを送ってください。
※谷口牧場 HP
http://taniguchi-farm.com/