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【ネヴァブションのドラマ・第二章】3世代6頭に託された夢――『持ち乗り厩務員としてともに戦った40戦』青木孝文調教師 (前編)

  • 2018年03月01日(木) 18時02分
ノンフィクションファイル

▲2010年AJCC優勝時のネヴァブション、得意の中山で同レース連覇を飾った (撮影:下野雄規)


多くのファンに愛されたネヴァブションが、一昨年の冬、突然天国へと旅立った。残された産駒は3世代6頭。担当厩務員だった青木孝文調教師と廣崎利洋オーナー、奇跡ともいえるめぐり合わせで再び動き始めたネヴァブションのドラマは、2018年、産駒のデビューという大きな局面を迎えようとしています。青木師のインタビュー(3/1前編、3/2後編)、廣崎オーナーのインタビュー(3/8前編、3/9後編)、そして産駒の貴重な動画を踏まえ、奇跡のドラマをお届けします。

(取材・文=不破由妃子)



出会った頃のネヴァブションは本当に怖かった


 2016年11月、繋養先のアロースタッドで1頭の種牡馬が天国に旅立った。

 ネヴァブション──現役時代は中長距離重賞の常連として、多くの競馬ファンに愛された“いぶし銀”であり“個性派”。全8勝中、重賞3勝(2007年日経賞、2009年・2010年AJCC)を含む5勝が中山という巧者であり、競走能力に陰りが見え始めた晩年も、「中山のネヴァブション」には一票を投じ続けたファンも多かったのではないか。

 2歳10月のデビューから10歳の11月まで、幾度かの長期休養を挟みつつ、競走馬生活は8年に及んだ。そして全54戦中、持ち乗り厩務員として40戦をともに戦ったのが、今年開業2年目を迎えた調教師・青木孝文である。担当期間は、およそ6年半。2011年、ネヴァブション8歳時のAJCC(3着)を最後に、担当を離れざるを得なかった経緯がある。

 2013年の暮れにネヴァブションが引退し、翌2014年4月には、青木自身が伊藤正徳厩舎から小桧山悟厩舎に転籍。時の流れのなかで、次第にネヴァブションの影は遠のいていったが、「最後まで担当できなかったことは本当に悔しかったし、今でも正直、心残りではあります」と、忸怩たる思いが消えることはなかった。

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▲「最後まで担当できなかったことは本当に悔しかった」と語る青木孝文調教師


 長いあいだ、宙に浮いていた青木の無念──しかし2015年12月、青木は5度目のチャレンジで見事調教師試験に合格。それを機に、ネヴァブションと青木の物語が再び動き始めたのだ。そして2018年、その物語は大きな局面を迎えようとしている。

 2004年10月、成島英春厩舎の厩務員としてトレセン入りした青木は、翌4月に伊藤正徳厩舎に移り、そのわずか2カ月後に任されたのが当時2歳のネヴァブションだった。

「2、3歳くらいの頃は、まさに“怪獣”(笑)。ブーブーブーブー鳴いている馬でね。僕もまだ若くて、技術的に未熟だったところもあったと思うんですけど、最初は本当に怖かったですもん。とはいえ、決して難しい馬ではなく、欲望のままに生きている感じで、逆に単純だったのかも。2歳のころから女馬が大好きでね、前を女馬が歩いていようものなら、それはもう大騒ぎでした(笑)。

 そうやって我の強さを見せていた反面、最初は体がものすごく細くて、攻め馬でも全然進んで行かなくて。こんなこといったらブションに失礼かもしれないけど、まさかあそこまで出世するとは、僕も含めて当時は誰も思っていなかったんじゃないかな」

 デビューから3戦目に初勝利を挙げ、翌1月の京成杯でも3着に入るなど早くから能力の片鱗を示したが、その後は500万条件で足踏みが続き、夏の福島で2勝目を挙げるまでに8戦を要した。が、秋を迎える頃には馬が一変。九十九里特別(3歳上1000万)を制した勢いで菊花賞の抽選を突破し、最後の一冠を目指す18頭に名を連ねるまでに。ちなみに、当時24歳だった青木にとっても、これが記念すべきGI初出走であった。

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