今週のオークスで、桜花賞馬アーモンドアイが二冠制覇を狙う。
レースレコードの1分33秒1で決着した桜花賞は圧巻だった。桜花賞は昔から「テンよし、中よし、終いよし」の馬でなければ勝てないと言われ、厳しい流れの激戦になることが多かった。であるから、いわゆる「熱戦」がしばしば見られるレースではあったのだが、しかし、今年の桜花賞にはまったく種類の異なるインパクトがあった。
ゴール前の5秒ほどは、アーモンドアイの強さにただただ圧倒され、驚かされ、ポカンとするしかなかった。
ディープインパクトが3コーナーからマクった2006年の天皇賞・春や、オルフェーヴルのラストランとなった13年の有馬記念など、勝ち馬の呆れるほどの強さに、思わず笑いそうになったことはあった。
しかし、桜花賞では、ほとんど初めてと言っていい経験だった。
アーモンドアイが桜花賞の直線で使った脚には、歴代の名馬に匹敵する鋭さと迫力があった。3歳春の「女の子」でありながら、牝牡の違いを超越した強さを感じさせる。
父がスプリント王のロードカナロアということで距離を不安視する向きもあるようだが、クリストフ・ルメール騎手が「頭がいいし、余計なエネルギーを消費しない」と自信を見せているように、おそらく壁にはならないだろう。オークスは、「あの末脚をどこで爆発させるか」がテーマというか、見どころのレースになるのではないか。
ということで、いささか気が早いが、桜花賞とオークスを勝った二冠牝馬について調べてみた。
オークスが創設されたのは1938(昭和13)年。当初は阪神優駿牝馬という名称で、阪神競馬場で行われた(1943年の第6回は京都)。桜花賞ができたのは翌1939年。当初は中山四歳牝馬特別という名称だった。
なお、第1回オークスをアステリモアで勝った騎手は、のちに日本にモンキー乗りを普及させる保田隆芳だった。このとき18歳8カ月。史上最年少クラシック制覇記録として、今も残っている。
また、1943年のオークスが京都で施行されたのは、同年春、阪神競馬場が海軍に引きわたされ、所属の人馬が京都競馬場に移籍していたため。このときの勝ち馬はクリフジ。ダービー、オークス、菊花賞の変則三冠を制した歴史的名牝で、主戦騎手は最年少ダービージョッキーの前田長吉だった。
話が本題から逸れたが、桜花賞とオークスの牝馬二冠が揃ったのは1939年、今から79年前のことだった。戦争のため、桜花賞は1945年と46年、オークスは1944年と45年が中止になったため、1944〜46年の3年間は二冠揃っての開催とはならなかった。つまり、今年は、二冠牝馬が出現し得る77回目の機会ということになる。
昨年までの76回のチャンスで、三冠牝馬を含め、13頭が二冠牝馬となっている(うち三冠牝馬は4頭)。約5.8年に1頭の割合で出現しているわけだ。
史上初の二冠牝馬となったのは1952年のスウヰイスーだった。
2頭目以降は次のようになる。
1954年 ヤマイチ
1957年 ミスオンワード
1964年 カネケヤキ
1975年 テスコガビー
1976年 テイタニヤ
1986年 メジロラモーヌ(初の三冠牝馬)
1987年 マックスビューティ
1993年 ベガ
2003年 スティルインラブ(三冠)
2009年 ブエナビスタ
2010年 アパパネ(三冠)
2012年 ジェンティルドンナ(三冠)
1939年に二冠が揃ってから52年にスウヰイスーが勝つまで13年も二冠牝馬が現れなかったのは、当初はこれら2つのレース両方に出る馬が少なかったからかと思って調べたら、そうではなかった。
39年こそ1頭もいなかったが、40年は桜花賞が5頭立て、オークスが9頭立てという少頭数でありながら、ルーネラとヤタガラスが両方に出て、ルーネラが桜花賞2着、オークス1着になっている。
41年は、それぞれ9頭立て、8頭立てで、4頭が両方に出て、そのうちブランドソールが桜花賞を勝ち、オークスで4着になっている。
昔から二冠を狙う馬は存在して、両方を制するのは大変だったのだ。
スウヰイスーの牝系からは1998年にフェブラリーステークスを勝ったグルメフロンティア、ミスオンワードの牝系からは1985年のダービーと菊花賞で2着となったスダホークといった活躍馬が出ている。
マックスビューティの曾孫のココロノアイが2015年のチューリップ賞などを勝ち、ベガの孫のハープスターはその前年、2014年の桜花賞などを勝っている。ブエナビスタは言わずと知れたビワハイジの牝系で、近親に活躍馬がたくさんいる。
血の力も二冠獲得へのバックボーンになってくるとしたら、フサイチパンドラとの母仔2代GI制覇をやってのけたアーモンドアイは、その意味でも資質十分と言える。
今年のオークスのゴールでは5.8年に1度の輝きが見られるか、楽しみに待ちたい。