東京の仕事場でも札幌の生家でも、パソコンの脇に小さなデジタル時計がある。
ゾロ目の「11時11分11秒」や、右肩上がりの「12時34分56秒」を見るといいことがある――ような気がして、その時刻が近づくと見逃すまいとするので、仕事が手につかなくなる。
1999(平成11)年の6月6日に行われた第66回日本ダービーを勝ったのは、騎手コード番号666の武豊騎手が騎乗したアドマイヤベガだった。本追い切りの日、1本目に坂路を軽く流したときのタイムは66秒6だったという。ちなみにこの日は3回東京6日目だった。
こんなに6が多かったのに1着だった。私の場合も、1並びの時刻を目撃したからといって特にいいことがあったわけではないが、とにかく、何かが揃うと気持ちがいいものだ。
先日、GIを6勝したロードカナロアが、史上33頭目の顕彰馬に選出された。それを知ったのが33頭目にちなんで3時33分33秒だったら面白いのだが、時計を見たかどうかも覚えていない。
ロードカナロアは、記者投票の有効投票数190票のうち、選定基準である4分の3(143票)を超える156票を獲得した。得票率は82.1%。顕彰馬の対象となった2015年は60.7%、16年は63.1%、昨年は73.4%で、わずかに4票だけ及ばなかったが、4度目でついに殿堂入りを果たした。
年々少しずつ得票率が上がっており、どのみちいつかは選出されたと思われるが、この春、産駒のアーモンドアイが二冠牝馬となり、ステルヴィオがスプリングステークスを勝つなど活躍したことが、競馬界における存在感をより大きくし、選出を早めたのではないか。
JRA公式サイトの「競馬の殿堂」のページで歴代の顕彰馬のプロフィールを見ることができる。制定されたのが1984年なので、現役を退いてずいぶん経ってから選出された馬も多い。となると、種牡馬、繁殖牝馬としてどんな馬を出したかも、トータルの印象点に影響していただろう。
かと思えば、トキノミノルやテンポイントのように、種牡馬になる前に世を去った馬や、シンボリルドルフのように、殿堂入りしてから産駒のトウカイテイオーが活躍したケースなどもあって面白い。
そのページには歴代の騎手・調教師の顕彰者も紹介されている。現行の顕彰者の基準は、騎手の場合、中央競馬における通算勝利度数がおおむね2000勝以上となっている。
インパクトや貢献度という意味では、ミルコ・デムーロ騎手とクリストフ・ルメール騎手も、将来、殿堂入りして不思議ではないように思う。
現在、デムーロ騎手はJRA通算850勝、ルメール騎手は816勝。年間100勝ペースを12年つづければクリアできる計算だ。来年から数えたとして、12年後は2031年。そのときデムーロ騎手もルメール騎手も52歳。
52歳といえば、シアトルスルー以来41年ぶりに無敗で米国三冠を制したジャスティファイの主戦のマイク・スミス騎手も52歳だ。私は、武豊騎手が1991年にエルセニョールでG3のセネカハンデキャップに参戦(1着)したとき、ジョッキールームでスミス騎手と話したことがある。
当時、武騎手は22歳で、スミス騎手は誕生日前だったので25歳。私も26歳と若かった。武騎手にとって、これが海外重賞初騎乗。現地の新聞に「もしユタカ・タケが勝ったら裸踊りをする」と書いたハンデキャッパーがいたりと、必ずしも歓迎ムード一色ではなかったなか、スミス騎手は「わからないことは何でも訊いてくれ」と武騎手に語りかけてきた。ナイスガイで、奥さんもびっくりするほどの美人だった。
話が逸れた。要は、52歳は、騎手としてまだまだピークとしてやれる年齢だ、ということだ。
デムーロ騎手とルメール騎手なら2031年まで待たなくても、もっと早く2000勝するだろう――と言いたいところだが、彼らのパイさえも確実に持って行きそうな大物が、JRAの通年騎手免許を受験するという。
ジョアン・モレイラ騎手である。1979年生まれのデムーロ騎手とルメール騎手より4歳若い、1983年生まれの34歳。さっき52歳でもピークと書いたばかりだが、ジョッキーの30代半ばというのはバリバリのピークである。
2016年夏、短期免許で来日し、札幌でJRA最多タイ記録の騎乗機会7連勝をやってのけたとき、私もそこにいて、あぜんとしたのを覚えている。その後も、勝因は「モレイラが乗っていたから」としか言えないようなレースをいくつも見せてきた。ニックネームのとおりの「マジックマン」だ。
今後の動向に注目したい。
「33頭目」の殿堂入りという話から、歴代の名馬について書こうかと思っていたら、ぜんぜん違うところに着地してしまった。
今、デジタル時計で「2時22分22秒」を見逃した。