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砂の王者ライブリマウント 無類の強さを発揮した現役時代(1)

  • 2018年07月24日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲1996年川崎記念(ユーザー提供:kjytdirtes bhtjafさん)


冠名“ライブリ”は間違いから?!


 1989年に中央競馬と地方競馬の交流レースとして創設されたのが、ホッカイドウ競馬で行われているブリーダーズゴールドC(現在は牝馬限定戦)だ。当時、中央競馬はダート競走に重きを置いている時期ではなく、現在のように番組も充実していなかった。

 第1回は10月10日に札幌競馬場でダート2400mで行われ、笠松所属で安藤克己が騎乗したフェートノーザンが優勝。その後はプレジデントシチー、カミノクレッセ、マンジュデンカブト、ヒデノリード、カリブソングとJRA勢が優勝し続けていた。

 1995年、札幌競馬場から旭川競馬場に舞台は移り、それに伴って距離は2300mと100m短縮、10月から8月へと施行時期も変更となった。また1995年は開放元年と称され、全国各地で中央地方指定交流競走が設けられ、G1競走のトライアルレースに地方馬の出走枠を作り、所定の着順までに入れば地方馬も中央競馬のG1競走に出走できるように制化された、また地方のビッグレース(帝王賞、東京大賞典など)に中央馬の出走が可能となった。

 その1995年前後に大活躍をし、開放元年を象徴する存在となったのが、ライブリマウントだ。同馬は開放元年、前述したブリーダーズゴールドCをはじめ、帝王賞や南部杯などの交流重賞に優勝。中央でも当時G2だったフェブラリーSや平安S(G3)、ウインターS(G3)も制し、ダート界の王者として君臨した。またドバイワールドCに日本馬として初めて参戦したのも、ライブリマウントであった。

 時が流れるのは早いもので、ダートの一時代を築いたライブリマウントも27歳になった。競走馬引退後は種牡馬として繋養され、北海道新冠町のにいかっぷホロシリ乗馬クラブでは乗馬としても活躍、2012年に公開された野村萬斎主演の映画「のぼうの城」にも出演の経験もある。そして競走馬時代のオーナーでもある加藤哲郎氏の所有馬として、現在は北海道新ひだか町三石にあるオギオギ牧場で元気に余生を過ごしているのだった。

 ライブリマウントは1991年6月5日、北海道新冠町の若林牧場で誕生した。父グリーンマウント、母シナノカチドキ、母の父はファーザーズイメージという血統だ。オーナーの加藤氏によると、3歳(現2歳)まで買い手がつかず、ある人の紹介で同馬を購入することになった。加藤氏の所有になってすぐに栗東の柴田不二男厩舎に入厩。ちなみにライブリは冠名だが、これには逸話がある。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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