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その“もどかしさ”が好きだった ステイゴールド物語

  • 2018年07月31日(火) 18時15分
ステイゴールド

▲ netkeiba Books+ からその“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜の1章、2章をお届けいたします。


シルバーメダルコレクター、ブロンズメダルコレクターは数あれど、ステイゴールドほどファンに愛された馬はいないだろう。“らしさ”を垣間見せたデビュー戦から香港ヴァーズでの大団円まで、当時の関係者の証言も交えながら、全50戦の軌跡をたどる。

(文:木村俊太)


第1章 脈々と遺伝してきた「やんちゃ」

 
 名前には「ゴールド」の文字。でも、レース成績は50戦して「シルバー」が12回、「ブロンズ」が8回。この、名前と実績とのギャップこそ、ステイゴールドが多くの人に愛された最大の理由に違いない。いいところまで行きながらもなかなか勝てない馬のファン心理は、学校の三者面談で「この子は“やればできる子”なんです」と先生に叫びたくなる親の心境に似て、深い愛情と限りない信頼に満ちている。

 先生はいう。「もう少し落ち着きが出てくれば、お勉強にも集中できると思うんですけどね」。わかっています。わかっているので、あとちょっとだけ、成長を待ってあげたいんです。この子は将来、きっと世界で活躍するようになります。この子の才能を信じてあげたいんです。

 のちにステイゴールドと名付けられることになる黒鹿毛の牡馬は、1994年3月24日、北海道白老町の白老ファームで生まれた。父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ、母の父ディクタスという血統。母馬のゴールデンサッシュは、1988年にマイルチャンピオンシップを勝ったサッカーボーイの全妹だ。

 ここに挙げたステイゴールドの近親馬たちだが、揃いも揃って見事なまでに気性の荒い馬ばかり。サンデーサイレンスの気性の荒さは有名だが、母ゴールデンサッシュもなかなかのもので、種付け時、発情していても種牡馬に対して攻撃的で、噛みついて追い払おうとすることもあったという。全兄サッカーボーイも気性の荒さでは有名で、仔馬時代の牧場関係者も「見たことがないほど」の気性の荒さだったと証言している。

 さらに、この兄妹の父ディクタスも気性の荒い馬だった。イギリスの3冠馬ニジンスキーの引退レース(チャンピオンステークス)で、絶対的な一番人気のこの馬を出走前の馬場で追いかけ回し、消耗させたというエピソードがあるほどだ(ニジンスキー2着、ディクタス4着)。

 そんな血統のステイゴールドも、当然のように気性の荒い馬だった。母馬の後ろを追っていた仔馬時代はともかく、離乳して、育成牧場であるノーザンファーム空港牧場へと移ると、押さえていた蓋を開けたように、激しい気性が誰にでもわかる形で顕れるようになった。

 ブレーキング(馴致)はどんな馬に対しても、馬が馬具に慣れ、背中の重みに慣れるまではとても慎重に行われる。馬はここで、自分の背中には人が乗るのだということを覚えるのだが、ステイゴールドはなかなか自身の背に人を乗せようとしなかった。

 とにかく、乗れば振り落とすの連続。立ち上がるのは当たり前。放牧場では、他馬を追いかけ回して、乗っかったり、噛みついたり。やがては、馬房にあった治療用の高額機器を蹴飛ばして破壊するなどということまでやらかす始末だった。

 一言でいえば「やんちゃ」だったわけだが、この荒い気性の「やんちゃ」ぶりはステイゴールドの長い競馬人生にずっと付き纏う問題となった。いや、もしかしたら、この「やんちゃ」のコントロールは彼の一生のみならず、産駒たちの一生にも大きな影響を与えるものになったといえるかもしれない。

■プロフィール
馬名:ステイゴールド
生誕:1994年3月24日
生産地:白老町
生産者:白老ファーム
馬主:社台レースホース
管理調教師:池江泰郎(栗東)

■血統
父:サンデーサイレンス
母:ゴールデンサッシュ
母の父:ディクタス

(2章につづく)
ステイゴールド

▲ netkeiba Books+ からその“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜の1章、2章をお届けいたします。(写真:JRA)


第2章 小柄ながらバランスの良さが目立った幼少期


前章ではステイゴールドの気性の荒さの例として育成牧場での様子にも触れたが、ここで少し時間を巻き戻してみたい。

 ステイゴールドが生まれたのは、1994年3月24日。父は大種牡馬サンデーサイレンス。いや、この表現は正確ではない。サンデーサイレンスが「大種牡馬」と認識されるようになるのは、まだまだ先のことだ。この時点では、初年度産駒のフジキセキやジェニュイン、タヤスツヨシ、ダンスパートナーといった馬もまだデビュー前である。

 ましてや、種付け時はサンデーサイレンスの3年目。初年度産駒の仔馬を見ることはできただろうが、逆にいえば、生の情報はそれだけ。種牡馬としての期待は大きかったが、走るという保証はどこにもない。実際、巨額のシンジケートが組まれ、鳴り物入りでやってきた種牡馬の産駒が、日本の馬場に合わないなどの理由でまったく成績を残せなかったという例も少なくない。

 3年目の種牡馬の種付けは、初年度や2年目の盛り上がりや話題性も薄れはじめ、かつ客観的なデータもないという、いわゆる「谷間」の世代になりやすいといわれる。そのジンクスが当てはまったのか、この世代からは(同期にサイレンススズカという怪物がいるものの)クラシックの勝ち馬が出ていない。サンデーサイレンスが種牡馬として日本で産出した12世代のうち、クラシックの勝ち馬が出なかったのはこの世代と1999年産(2002年のクラシック)だけだ。

 こうした「谷間」とも見られる状況ながら、前章でも見たように、白老ファームが用意した繁殖牝馬は、サッカーボーイの全妹のゴールデンサッシュ。この母自身は未勝利だったとはいえ、牧場としては自慢の良血馬だったはずだ。そこには「谷間」という感覚は見て取れない。

 そして、翌年、この母から黒鹿毛の牡馬が生まれる。のちに管理調教師となる池江泰郎氏は、白老ファームから連絡を受け、誕生から1週間ほどのこの仔馬を見に北海道まで出かけている。

「初めて見た印象は『薄くて小さい馬だな』というもの。でも、バランスはよかった。サンデーサイレンスっぽいっていうのかな。見ていても、きれいな馬でしたね」(池江氏)

 直接、仔馬の馬体を確認した池江氏は、自厩舎での管理を決める。ただ、牧場での短い出会いだけでは、この馬のとんでもなく荒い気性については、とくに印象に残らなかったようだ。

 この馬のオーナーとなったのは、社台レースホース。クラブ会員が一口単位で出資する、いわゆる「クラブ馬主(一口馬主)」である。価格は一口95万円の40口、合計3800万円での募集となった。

 ステイゴールドという馬名は公募によって名付けられたが、これはスティーヴィー・ワンダーの曲で、映画『アウトサイダー』の主題歌のタイトルから付けられている。母馬ゴールデンサッシュから連想されたものだろう。

「いつまでも黄金の輝きのままで」。その名に「常にゴールドメダルを維持してほしい」との思いが込められた黒鹿毛は、関係者、そしてクラブ出資者たちの大いなる希望を背負うことになった。馬房でも馬場でも、ちょっとしたことですぐに暴れ出す「やんちゃ」には、そんなことは知る由もなかったが、その後、彼は関係者はもちろん、馬券以外には利害関係のない一般のファンたちをも魅了する、不思議な走りを見せてくれることになる。

ステイゴールド競走成績


(続きは 『netkeiba Books+』 で)
その“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜
  1. 第1章 脈々と遺伝してきた「やんちゃ」
  2. 第2章 小柄ながらバランスの良さが目立った幼少期
  3. 第3章 「やんちゃ」な性格が阻んだ大きな期待
  4. 第4章 素質を目覚めさせた晩成の血
  5. 第5章 “銀メダリスト”としての覚醒
  6. 第6章 もどかしき日々
  7. 第7章 雌伏からの飛躍、そして海外初勝利
  8. 第8章 本格化の兆しを見せた“事件”
  9. 第9章 遥かなる黄金旅程
  10. 第10章 後世に語り継がれる「やんちゃ」の血
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