◆傾向から浮かぶのが、重賞初勝利というシーン
各地に多くの重賞競走が生まれた1965年に、小倉記念もスタートした。その第1回から4年間は実況を担当したので、このレースには強い思いを持ってきた。実況する際、特に注意していたのは、短い直線での攻防だ。小倉競馬場は、1周1600米ちょっとの福島並みの小回りで、しかもほぼ平坦コース。ただし馬場は広いので、思い切って外を回り、300米足らずの直線を追い込んでくるケースも多い。脚がある馬の騎手は馬群の中でじっくり機をうかがいながら、外に出すタイミングを見計らっている。そして直線、馬群から一気に出てくるから油断ができない。
第1回は、ハンデ51キロで10番人気の4歳牝馬ヒロタカクマが勝ち波乱の幕開けだった。その翌年は、春に桜花賞を勝ったワカクモ(その後テンポイントの母になる)が遠征してきて54キロで優勝し、小倉のファンは大喜びだった。古馬陣を相手の勝利でインパクトがあったのだ。
このワカクモはその2年後に再び遠征したが、58キロの極量を背負わされ、51キロの3歳牝馬ペロバツクとの競り合いにアタマ差で敗れていた。そのゴールシーン、実況中脳裏をよぎったのは、前年の第3回、やはり極量59キロを背負って3着に敗れた菊花賞馬ダイコーターの姿だった。
その4年間、牝馬が3勝していて、小倉記念は夏の牝馬という印象だったが、その後現在までの53回で牝馬の勝利は14回だけでそれほどでもない。それより強調できるのが、トップハンデ馬の苦戦が多いということだ。これは当初からの傾向だが、トップハンデ馬の勝利は11回しかないのだ。こうなると浮かび上がってくるのが、小倉記念で重賞初勝利というシーンになる。
その代表例として、第40回のメイショウカイドウが思い出される。ダービー馬タニノギムレットや、天皇賞馬シンボリクリスエスと同期だが、26戦目にやっとオープン入りした遅咲きで、5歳夏の小倉記念が重賞初勝利だった。しかも、翌年は58.5キロを背負って再度1番人気に応えたのだから、さすが武豊騎手と感服させられた。北九州記念、小倉大賞典も勝って小倉三冠馬とも称えられたが、北九州記念がその翌年から1200米になり、今はその三冠の中身が違っているので、今後はそうなりにくいだろう。メイショウカイドウは稀有な例だが、初勝利馬にこういう馬もいたことは記憶しておきたい。