▲尾島徹調教師&佐藤友則騎手、仕事もプライベートもほぼ一緒にいた2人
8月のとある平日、金沢競馬場で行なわれた重賞レース。佐藤友則騎手(笠松)はいつもとは違う特別な鞍と腹帯でレースに挑んでいました。「正直、レース前はあまり自信がなかった」と打ち明けますが、直線では目の覚めるような末脚で差し切って勝利。滅多にしないというガッツポーズをし、「徹(とおる)〜っ!」と叫びながら地方重賞・MRO金賞のゴール板を1着で駆け抜けました。
叫んだ名前の相手は、これが重賞初制覇となった尾島徹調教師(笠松)。そして特別な鞍や腹帯は、尾島厩舎カラーにロゴマークを入れて佐藤騎手が作った「尾島厩舎専用馬具」でした。騎手デビューして間もない頃から仕事もプライベートもほとんどを一緒に過ごしてきた2人。今回の重賞初制覇には苦楽を共にしてきた2人の思いが詰まっていました。
「徹のそんな姿、もう見たくなかった」
2年違いの同じ日に生まれた佐藤騎手と尾島師。佐藤騎手がデビューした翌年、尾島師も笠松競馬場で騎手デビューをしました。当時を佐藤騎手はこう振り返ります。
「(尾島)徹とは同じ誕生日で、デビューしてからほぼ毎日、一緒にご飯を食べたりうちの実家に泊まりに来たり。僕も徹のお母さんと仲がいいんです(笑)」
友達であり、仲間であり、兄弟のようでもあったという2人。
しかし2007年、デビュー8年目だった佐藤騎手は後輩・尾島師に勝ち星を追い抜かれました。
「やっぱり嫉妬心や悔しさがありました。でも、僕も気持ちが落ちていた時期だったので、そんなに気にはならなかったです」
一方、尾島師は当時の心境をこう語ります。
「僕はたまたまいい馬に巡り会えて結果が出ていただけで、笠松で一番上手いのは佐藤くんだとずっと思っていました。騎乗フォームが綺麗で馬の邪魔もしません。調教師になってから思ったんですが、こちらが指示をしなくても『こうしてほしい』という意図を組んでレースをしてくれるんです」
勝ち星こそ尾島師の方が上回っていましたが、お互いに認め合っていました。
ところがある日、佐藤騎手は尾島師に「早く引退しろ」と言ったことがありました。それは決して悪意からではなく、尾島師は当時の状況をこう説明します。
「もう体重が苦しかったんです。佐藤くんも僕が重たいのを知っているので、お風呂場で『辞めろ。早く引退しろ』って言っていました(笑)。JRA福島競馬場に遠征した時は江田さん(照男騎手)にも心配していただいたり。もう潮時だなと思いました」
佐藤騎手は「徹がずっと苦しそうにしていて、そんな姿をもう見たくなかった」と言います。
2015年、尾島師は調教師試験に合格し、騎手を引退。
「合格した時は馬に乗りたいとは全く思いませんでした。これでもう減量しなくていいんだって思いましたね」
25歳で初めて笠松リーディングに輝いてから前年まで6年連続で地元トップ3に入る活躍を見せていました。当時まだ31歳。体力的にも技術的にも充実期を迎えている頃にキッパリと引退を決断するほど減量に苦しめられていたことは想像に難くありません。今でも笠松競馬の関係者からは「尾島は体重が苦しくて早く引退したからな…」と惜しむ声が聞かれます。
一番、一緒に勝ちたい人
2015年9月、尾島師は厩舎を開業。
まだ笠松リーディングを獲ったことがなかった佐藤騎手に尾島師は「僕が佐藤くんを10年連続リーディングにする」と言えば、佐藤騎手は「僕も徹をリーディングトレーナーにする」と誓い合いました。
また、厩舎カラーのワインレッドとのちに厩舎のロゴマークとなる「矢の刺さったハート」を入れた鞍や腹帯を佐藤騎手は製作。「尾島厩舎に乗る時だけはこの馬具を使う」と特別な思いを込めていました。
▲「尾島厩舎に乗る時だけはこの馬具を使う」佐藤騎手が製作した尾島厩舎専用馬具
尾島厩舎は開業から約2カ月後の重賞・東海菊花賞(名古屋)をクワイアーソウルで2着。年末には東京2歳優駿牝馬(大井)をミスミランダーで3着など早くから重賞戦線でも活躍しました。
「いい馬を預けていただいて、すぐに重賞を勝てるかと思っていました。でも、ずっと手が届きかけているのに届かなかったんです」(尾島師)
開業から丸3年を前にした8月9日。金沢競馬場で行われたMRO金賞にドリームスイーブルで遠征しました。
同馬は6月5日東海ダービー(名古屋)4着の後に尾島厩舎へと転厩。
「馬も良く、実績もありました。行く気になったりフワッとしたりが激しくて乗り難しいところがありますが、佐藤くんが調教でもレースでも上手くやってくれて、転厩初戦は初の古馬混合戦でしたが勝つことができました。
でもその後、夏負けしてしまって。追い切りの本数はなんとかこなせたんですが、動きが物足りなかったんです。MRO金賞の最終追い切りは併せ馬で、相手の馬に僕が乗っていたので間近で見たんですが『手応えが悪いな』と感じました。ですから、ギリギリの状態でしたね」(尾島師)
佐藤騎手もこう語ります。
「1400mがベストな馬。でも、徹が長めに乗って距離を持たせられるように工夫をしていました。夏負けしてしまいましたが、馬も調教師も気合いが抜けて結果的にそれも良かったのかもしれないですね(笑)。僕も正直、掲示板にのればいいかなと思っていました」
災い転じて福となす。
状態や距離適性を考慮し、1900mのMRO金賞では3コーナー過ぎまで内ラチ沿いでじっと脚を溜めていました。すると4コーナーで「一気に点火した」(佐藤騎手)とグングン加速し、直線では抜け出していたウォーターループを差し切って勝利しました。
「グッと手応えがきた時、先頭とは結構差があったんですが『交わせる!』と感じました。そしたら『徹、重賞初制覇だわ』ってどんどん気持ちが高揚していきました。ゴール直前ではムチをくるくるっと回してガッツポーズの準備をしていたんです」(佐藤騎手)
▲MRO金賞のゴール、滅多にしないというガッツポーズを見せた佐藤騎手 (提供:金沢競馬場)
尾島師は直線半ばまで冷静に見ていたと振り返ります。
「金沢の調教師から『来るぞ』と言われたんですが、『いや〜、届かないでしょ』と思っていました。ところが、目の覚めるような末脚で差し切ってくれました。勝った瞬間、泣きそうでしたが、周りにみんながいたので堪えていました。佐藤くんが帰ってきたら嬉しくって抱きしめました(笑)。一番、一緒に勝ちたい人でした」
佐藤騎手はこう言います。
「厩務員さんも厩舎としてもケアをしっかりして、やることはやっていたのでみんなで勝ったレースですね。尾島厩舎専用の鞍は金沢に持っていくか迷っていたんですが、持っていって正解でした」
▲厩舎初重賞制覇の大切な口取り写真に、2人そろって笑顔でおさまった (提供:金沢競馬場)
重賞制覇を果たした尾島師。これからの目標を聞くとこう返ってきました。
「大きいレースをいっぱい勝てるように、そしてなんとか笠松リーディングを獲りたいですね。オーナーさんがすごく助けてくださっているので、オーナーさんのためにもリーディングを獲りたいです。『1位の厩舎に馬を預けている』と胸を張っていただけるように」
現在は笠松リーディング2位につけています。
一方、尾島厩舎開業の翌年から笠松リーディングに輝き続けている佐藤騎手は今週から南関東で2カ月間の期間限定騎乗を行います。
「本当はずっと笠松でリーディングを獲り続けたい気持ちはあります。でも、じっとしていてもダメなので初めて南関東へ期間限定騎乗に行くことにしました。僕が行くことで後輩も続いてくれて競馬場全体のレベルアップができたらいいですし、笠松競馬をもっとアピールしないといけないと思っています」
10年前はご飯を食べながら笑い合っていた2人。尾島師は調教師となり、佐藤騎手はリーディングジョッキーとなりました。お互いに見つめる方向は少しづつ変わっていきましたが、勝利を目指すことに変わりはありません。またワインレッドの鞍で、このコンビでの大レースでの活躍を楽しみにしています。