▲7年前に東京競馬場を駆け抜けた永井孝典騎手
7年前、ジョッキーベイビーズで東京競馬場を駆け抜けた少年が、本物の騎手になる夢を叶えました。地方競馬の園田・姫路競馬で騎乗する永井孝典騎手(20歳)。物心がつく前から競馬中継を見ていた少年は、憧れのジョッキーベイビーズに出場後、JRA競馬学校は不合格になるも地方競馬場でその夢を叶えました。そして、デビュー1年目には田中学騎手が保持していた新人最多勝記録を更新。府中のターフでの経験は、彼の人生にどんな影響を与えたのでしょうか。今回の「ちょっと馬ニアックな世界」は、ジョッキーベイビーズからトップジョッキーを目指す永井騎手のお話です。
歓声がすごくて楽しくて「いつかここで乗りたい!」
愛知県出身の永井騎手。物心つく前から家では自ら競馬中継をつけて見ていたそうです。小学生の時、父親に中京競馬場に連れて行ってもらうと、コース沿いのラチにくっついて駆け抜けていく馬や騎手を「すごいなー」と目を輝かせて見つめていました。そんな彼が乗馬クラブに通い騎手を目指したのは自然な流れだったかもしれません。
「そういえば、ジョッキーベイビーズってやっているけど、どこでやれるんやろ?」
小学校高学年になるとそんな思いを抱き始めました。
「でも、分からなくて。中学1年生までしか出場できないので、小学6年生の頃には諦めていました」
ところが、母親の知り合いの繋がりで体験乗馬をしに行ったARC乗馬クラブでたまたまジョッキーベイビーズの練習をしているのを見かけます。
「すぐにその場で『やります!』って言いました」
小学6年生の1月の出来事でした。
ジョッキーベイビーズに出場できるのは中学1年生まで。最後のチャンスにかけ、約半年間みっちり練習に励みました。
「練習はむちゃくちゃ厳しかったです。トモをどう使わせて乗るかとかも指導いただきました。鐙も、いまレースで乗るよりも短くして乗っていました。あの時が一番がんばっていたかもしれない、というくらいで、帰りに母に泣きついたりしましたね(笑)」
東京競馬場で行われるジョッキーベイビーズに出場するには各地区の予選を勝ち抜かないといけません。愛知県の永井騎手は高ボッチ高原観光草競馬大会(長野県)に出場。日本一標高が高い場所で行なわれる草競馬として有名です。
「夏でも涼しくて、コースにはラチがない所もありました。起伏がすごいコースで、小さいポニーは上り坂で常歩になってしまう馬もいました」
永井騎手はベイビーズブレスという牝のポニーと出場。
「予選2位までが地区決勝戦に進めるのですが、最後のコーナーで前の2頭が壁になってしまいました。ギリギリなんとか行けるだろうと思い、コーナーで最内の草むらみたいな所に突っ込んで、ギリギリ勝つことができました。僅差での勝利だったので、先生から『ドキドキさせるな』ってめっちゃ怒られました。でも、怒られて覚醒したんです。決勝では『よっしゃ、やったろう!!』ってスイッチが入って。地区決勝戦ではしっかり勝つことができ嬉しかったです」
こうして東京競馬場で行われるジョッキーベイビーズに出場できることになりました。
「東京では楽しもうと思いました」
2011年11月6日、お昼休み。前日に初めて乗ったポニーのコリスとコンビを組みました。
スターティングゲートはなく、スタートラインからの一斉スタート。抜群のスタートを決めると、先頭でレースを引っ張ります。ラスト100mを切っても先頭をキープし、押し切れるかと思えたところ、大外ラチ沿いいっぱいに追い込んでくる馬がいました。内外離れた一騎打ち。
外から追い込んでくる馬が見えると、「あーーーっ!」と声を上げながら必死に追いましたが、わずかに交わされたところがゴール。2着でした。
「どうしようもなかったです。でも、僕だけ真っすぐ走れていたんですよ。歓声がすごくて楽しくて、いつかここで乗りたい!って思いました」
田中学騎手が持つ新人最多勝記録を24年ぶりに更新
ふたたび大歓声を背に東京競馬場を駆けることを夢見て、JRA競馬学校を2度受験しましたが、不合格。
「中学卒業後は信楽牧場で研修をさせていただいていたのですが、2度目の不合格後、園田競馬の栗林徹治調教師を紹介していただき、その縁で田村彰啓厩舎に所属させていただくことになりました」
地方競馬教養センターを経て2017年4月、園田競馬場でデビュー。
騎手激戦区と言われる園田・姫路競馬で1年目に33勝。田中学騎手が持つ新人最多勝記録を24年ぶりに塗り替えました。
▲騎手激戦区と言われる園田・姫路競馬で1年目に33勝
▲田中学騎手が持つ新人最多勝記録を24年ぶりに塗り替えた
「1年目はデキすぎていました。なんか…勢いって止まるもんですね。そうなるやろうなとは思っていましたが、今年に入ってすぐの頃は勝てなくなって焦りました。後輩の石堂(響騎手)が入ってくると騎乗馬も減りました。特に、僕は前に行くのが得意なんですが、逃げ・先行馬が彼にいってしまって…」
自身が3kg減の恩恵で騎乗馬が集まってきたように、後輩にもそういった馬が集まりました。頭で分かってはいても、勝ち星が伸び悩む状況に焦りを募らせていたようです。
「いろいろ考えましたが、今は勉強の時間かなと思います。何も分からないまま1年目は結果が出すぎました。チャンスがきたときにモノにできるように勉強しておきたいですね」
首を傾げ、口元を引き締め何度も考えながら、現状をそう語りました。誰よりも彼自身が結果に納得がいかず、苦しい時間を過ごしているのかもしれません。しかし、騎乗数はデビュー年の昨年よりも増え、重賞レースへの騎乗や他地区へ遠征する機会も増えてきています。
これからの飛躍を誓う永井騎手に、改めてジョッキーベイビーズについて振り返ってもらうと、笑顔でこう話しました。
「大勢の人の前で乗るのに慣れることができましたし、ジョッキーベイビーズは『楽しい!』と感じながら乗っていました。その感覚のまま騎手デビューしているので、今もレースがとにかく楽しいです!」
7年前に駆け抜けた舞台にJRA騎手としてはデビューできませんでしたが、場所を変え奮闘しています。時に悩むことがあっても、前に進む原動力は7年前に感じた「レースに乗る楽しさ」でした。
今年もジョッキーベイビーズの季節がやってきました。この中から、また未来の騎手が生まれるかもしれませんね。