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天国の母に届けるために

  • 2018年11月01日(木) 12時00分
 先日、JRA六本木事務所で「優駿エッセイ賞」の選考委員会が行われた。16篇の予選通過作品から1篇のグランプリ、2篇の次席、5篇の佳作を選ぶ作業だ。

 私が選考委員に加わったのは2014年。今年が5回目であった。

 今回は、過去4回とは比べ物にならないほどの短時間で選考委員会が終了した。それは、最初にグランプリがすんなり決まったからだ。毎年、上位の数作品による激戦となり、どれをグランプリにするかで各委員の意見が分かれて時間が長くなっていた。が、今回は、吉永みち子さんが「軸が決まると、買い目が決まるのも早いわね」と笑ったように、次席と佳作もぽんぽんと決まった。

 長年選考委員をつとめてきた芥川賞作家の古井由吉先生は、もうすぐ81歳と高齢で、体調面からも厳しいということで、昨年限りで退任された。予選通過作16篇のプリントアウトが物理的にもずしりと重いこともあってか、いつも何も持たずにいらしていた。それでも、各作品のディテールまでしっかり覚えていた読み込みの深さには毎回驚かされた。私を含むほかの選考委員が「先生」と呼んでいたのは古井先生だけだ。特に定められていないのだが、みなが先生を「選考委員長」のように思っていた。階段の昇り降りもキツそうなのに、お酒はよく飲む。飲み過ぎに気をつけて、これからも私たちの手本となる素晴らしい作品を書きつづけてください。

 11月20日発売予定の競馬ミステリーのタイトルをグーグルで検索して驚いた。もう予約が始まっている。『ダービーパラドックス』である。集英社文庫から、単行本を経ない文庫オリジナルとして発売される。それはいいとして、いつも使っている楽天ウェブ検索で『ダービーパラドックス』を入力すると、「武豊-ウィキペディア」が最上位に出てくる。「ダービー」と「タイムパラドックス」がキーワードに引っ掛かるからか。

 本を出すのは昨秋の『誰も書かなかった武豊 決断』の文庫以来約1年ぶりだ。

 私が本を出しつづけたいと思う一番の理由はごく個人的なことで、2年前に亡くなった母の納骨堂に供えるためだ。納骨堂は札幌の生家に近い寺にある。仏壇と同じ形をした上部と、骨壺がおさめられている下部の間に引き出しがあり、今は、昨年上梓した『絆〜走れ奇跡の子馬〜』とそのDVDと前述の『決断』が入っている。

 私が本を出すのを誰よりも楽しみにしていたのが母だった。亡くなる前年から寝たきりになって言葉を話せなくなり、最後の数カ月は私を目で追うのも難しくなっていた。返事がなくても私は語りかけていた。『絆』のドラマ化が決まったのも亡くなる少し前で、「役所広司さんが主演だよ」と言ったとき、母の目の光が少しだけ動いたような気がした。私の感覚としては、あのころも今も、同じことをしているだけのように思っている。

 ――おふくろに読んでもらえるものを書く。

 いつもそう考えている。専門知識が求められ、言わずもがなの部分を書かないほうがいい場合も多い競馬の文章でも、あえて説明的な部分を残すようにしているのは、それがあるからだ。

 といったわけで、本を出したらすぐ帰省して、墓前に供えるようになった。我ながら間が抜けていると思うのだが、生前からそうしていたらもっと喜んでもらえただろうに、するようになったのは母が死んでからだ。なるべく発売日前に見本を持って行くようにしているのだが、今回は11月18日に東京競馬場でトークイベントの仕事があるので、翌週になりそうだ。

 先週末まで東京競馬場で行われていた「ニッポンの競馬小説展」に拙著『虹の断片』も展示されていた。今週末から行われる「秋の特別展! 良血は世界を巡る〜奥深きサラブレッド血統展」は私が監修者となっており、先述したトークイベントでは鈴木淑子さんとご一緒させてもらうことになっている。

 天国の母に「私の話のあとは宣伝かい」と言われそうだが、許してほしい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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