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どうせ行くならヨーロッパのなかでも一番厳しい場所へ ―7カ月の海外遠征を終えて【第1回】

  • 2018年11月11日(日) 18時01分
キャリアアップ

▲7カ月のアイルランド遠征を終えた野中悠太郎騎手を直撃 (C)netkeiba.com


今年の3月から10月までの7カ月間、アイルランドで武者修行をしてきた野中悠太郎騎手。その間の様子は当コラムで連載として、野中騎手自身に発信していただきました。大きな経験を経て、野中騎手にどんな変化が現れたのか。お話を聞かせてもらいに美浦トレセンを訪れると、そこにはたくさんの記者や関係者に囲まれながら笑顔いっぱいで話をする、野中騎手の姿がありました。ご本人を直撃インタビューします。

(取材・文:不破由妃子)


一瞬で気持ちを察してくれた師匠の愛情


──7カ月に及ぶアイルランド遠征、本当にお疲れさまでした。帰国初週から12鞍に騎乗されましたが、久々の日本の競馬はいかがでしたか?

野中 まずは帰ってきた当週に、しかも天皇賞(秋)の日に12鞍も乗せていただいて、競馬に乗れることがどれだけ幸せで楽しいことか、改めて実感することができました。一番大きな東京競馬場で、当然ながら馬場もきちんと整備されていて。やっぱり施設や設備は日本が一番です(笑)。

──師匠の根本先生をはじめ、周りの方に何か変化を指摘されたりしましたか?

野中 具体的に「ここが変わったね」っていうのはなかったですね。自分としても、一番変わったのは気持ちの面だと思っているので、これから成長した部分をアピールしていければと思っています。

──精神面での変化についてはあとでじっくり伺っていきたいと思いますが、そもそも今回の遠征のきっかけとなったのは、フランスの招待競走に参加されたことだったそうですね。そこで海外への思いを強くされたとのことですが、なぜアイルランドだったのですか?

野中 もともと海外に行くならヨーロッパがいいなと思っていて、なかでもできれば英語圏がいいなと。アイルランドに決めたのは、ヨーロッパのなかでも一番厳しいと聞いていたので。

──あえて厳しい場所を選んだわけですね。

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1996年12月29日、福岡県出身。実家が小倉競馬場の近くだったことから騎手を目指す。同期は加藤祥太、鮫島克駿、三津谷隼人。2015年に美浦・根本康広厩舎からデビュー。兄弟子の丸山元気、妹弟子の藤田菜七子に囲まれながら腕を磨く。馬券穴派からの支持が厚い。

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