2018年のカレンダーも、12月の1枚を残すだけになった。
仕事場にさげてあるのは、去年の菊花賞で泥だらけになって先頭でゴールを駆け抜けるキセキをとらえた、スポーツ新聞のカレンダーだ。隣の部屋のそれは、雪原でじゃれ合う2頭を写した、内藤律子さんの「サラブレッドカレンダー」である。冬毛がモフモフで、いかにも馬産地の眺めという感じがして頬がゆるむ。
2019年版の「サラブレッドカレンダー」も素敵だ。7月の写真は現役引退後のオグリキャップと、古くからのファンを喜ばせる工夫もある。内藤さんの「とねっこカレンダー」も私は好きで、仔馬の表情や仕草を見事にとらえている。サラブレッドの当歳というのは、
――この世にこんなに可愛い生き物がいるなんて。
と感動するほど愛らしい。
内藤さんのカレンダーは、競馬ファンを対象としているので、月曜日から始まり、開催のある土日が右端になっている。それに対し、日本で売られているカレンダーのほとんどは、日曜日が左端、つまり先頭に来ている。が、競馬をする者にとっては、当たり前にひとつながりの土曜日と日曜日が分断されるわけで、これほど使いづらいものはない。
なぜ、世間一般では、こんなに見づらいカレンダーが使われているのだろうか。「カレンダー」「日曜日」「先頭」「なぜ」でネット検索したところ、いろいろ表示されたページのなかで、「レファレンス協同データベース」というサイトの回答がわかりやすいので、引用したい。
「カレンダーが日曜始まりとなっているのは、キリスト教で、週の始めの日をキリストの復活の日(「主の日」)とし、この日(日曜日)から一週間を数えたことによる。
月曜始まりのカレンダーがあるのは、主に手帳関係で、週休2日制の導入の増加が影響したのではと思われる」
キリスト教徒を迫害した歴史のある日本でそれが採用されているのは、明治時代の廃仏毀釈や、昭和になって太平洋戦争に負けたことなどの影響だろうか。
だとしても、昔から「週末」という言葉があり、英語の「ウィークエンド」も土日を指す(金曜日を含めることもあるらしいが)。普通に考えると、「末」や「エンド」は終わりに来るものであって、先頭に来るのはおかしい。
前記の「レファレンス協同データベース」の回答にもあるように、システム手帳の予定表は、だいたい月曜日から始まり、日曜日で終わっている。が、手持ちのシステム手帳を確かめると、予定表は月曜日から始まっているのに、「2019DIARY」と記された表紙に載っている年間カレンダーは日曜日から始まっている。表記の統一という視点からもおかしい。「予定表」と「カレンダー」は別物、ということなのだろうか。
――まあ、どっちでもいいじゃないですか。
と言われそうだが、細かいことを気にしてネタにするのも大切な仕事なので、話をつづけたい。
実は、この年齢で恥ずかしいのだが、私は昨春から透明のマウスピースを用いた歯列矯正をしている。そのため毎月近所の歯科医院に通っているのだが、次の予約を入れるときに見せられる卓上カレンダーが、日曜日が先頭の一般的なもので、見づらくて仕方がないのだ。休診日に赤ペンで斜線が入っているそれを見て話しながら、私はいつも、
――これが毎年クラブ法人から送られてくる、見やすいタイプだったらいいのに。
と思ってしまう。私が休診日に赤線を入れてプレゼントしてあげたいくらいだ。
今回は、先述した内藤律子さんの「サラブレッドカレンダー」をはじめ、馬や競馬に関する作品にはいろいろ素晴らしいものがある、という話にするつもりで書きはじめたのだが、例によって脱線してしまった。
本題に戻ると、キンドルなどの電子書籍が普及した今は、少し前なら読めなくなっていた名作や古典を手軽に入手できる、いい時代になった。
ディック・フランシスの競馬ミステリーシリーズに関しては、以前、特集コーナーで述べたので省略するが、日本の作家による優れた競馬ミステリーもたくさんある。
その代表格が、1982年に出版された、岡嶋二人の『焦茶色のパステル』だ。第28回江戸川乱歩賞を受賞した、岡嶋のデビュー作である。敬称略にしているのは、岡嶋二人というのは、井上泉氏と徳山諄一氏という2人の作家によるコンビのペンネームだから。牧場でサラブレッドの母仔と競馬評論家が射殺され、事件の真相を殺された評論家の妻が追っていく、というストーリーだ。『七年目の脅迫状』『あした天気にしておくれ』とともに、岡嶋二人の競馬三部作と呼ばれている。3作ともキンドルで読むことができる。
西村京太郎氏の『日本ダービー殺人事件』は、1974年に刊行された古い作品だが、これもキンドルで入手でき、今読んでも面白い。テレビドラマで人気の「十津川警部シリーズ」のひとつである。
これらと楽しみ方は異なるが、『女騎手』で横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した蓮見恭子さんの新刊『始まりの家』は、競馬関連の作品ではなくても、「競馬が好きな著者の作品」として、読書の楽しみをひろげてくれる。それぞれ複雑な事情を抱え、必死に生きる女たちの人生が交錯し、最後に衝撃的な事実を突きつけられるミステリーだ。
蓮見さんは、先日、中学校の図書室で行われた講演で、中学生に競馬新聞の読み方を教えていた。競馬がテーマだったわけではなく、作家になる過程を説明するために必要だったらしいだが、そうした書き手によってつむがれた作品、というだけでも、競馬ファンが手にとる充分な動機になるだろう。
来週、また札幌に行く。実家のリビングにさげる来年のカレンダーも持って行くのだが、日曜日から始まる、私には見づらいタイプだ。父はろくに見もしないし、予定を書き込むこともないくせに、カレンダーがちょっと斜めになっているだけで文句を言う。感覚としては、インテリアのひとつなのだろう。そういう人が大多数である限り、月曜日が先頭のものに「改善」されることは永久にないのかもしれない。