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モーリス ラストラン回想録 ―メジロの血が遺したもの

  • 2018年12月17日(月) 18時15分
モーリス

▲ netkeiba Books+ から『モーリス ラストラン回想録』の序章、1章をお届けいたします。


近年、最強のマイル王として君臨したモーリス。一流馬が生まれながらに持っている華麗な血統背景が存在するわけでもなく、そのサクセスストーリーは波乱万丈そのもの。2016年香港カップで有終の美を飾ったラストランを回想録として描きつつ、血統背景や現役生活などを述懐していく。

(文:緒方きしん)
(写真:下野雄規、高橋正和、HKJC、JRA、netkeiba)


序章 スタート前〜その日、香港には数々のタレントが顔を揃えた


 あくまで「手ごろな価格」だった1頭の幼駒が、グッドホースへ。やがて、その馬は国内No.1マイラーへと成長し───そして。


 2016年12月11日のシャティン競馬場には、例年以上に日本からの熱視線が集まっていた。エイシンヒカリ、ステファノス、クイーンズリング、ラブリーデイ…そして、モーリス。日本だけでなく世界でもトップクラスに君臨するであろう名馬たちが日本から遠征していた。

 それに呼応するように、オッズもモーリスの1番人気を筆頭に、上位4番人気までを日本馬が占めているという状況だった。それもそのはず───彼らは、世界で活躍してきた猛者たちだったのだから。

 2016年、ドバイワールドカップを制覇したのは、アメリカのカルフォルニアクロームという馬だった。2014年のアメリカ2冠馬であり、芝・ダート問わずGI勝利を収めている名馬である。その実績で、1年を間に挟んだ2014年と2016年の2度年度代表馬を獲得するという、非常に珍しい偉業を達成している。

 2度目の受賞を強く後押ししたのが、上述したドバイワールドカップでの勝利であり、その勝ちっぷりは彼をワールドサラブレッドランキングの暫定首位へと押し上げた。そして、そのワールドサラブレッドランキングの首位が入れ替わったのは5月末のこと───フランス・イスパーン賞のレース後だった。

 かわりに首位に躍り出たのは日本の逃げ馬・エイシンヒカリ。好メンバーが揃ったフランスの歴史あるGIを8馬身差で圧勝した実力に、世界からの注目が集まっていた。

 日本で2頭目となるワールドサラブレッドランキングの首位になったことだけでなく、その逃げっぷりの豪快さに、国内外でファンが急増。一躍、時の馬となった。そんな彼が香港カップに参戦。前年度の同レースを制覇していることもあり、地元香港での注目度は非常に高かった。

 香港実績といえば、そのほかの日本馬も同様である。ステファノスは前年度に香港のGI競走で2着、ラブリーデイは同年春の香港GIで4着と、遠征実績のある実力派が揃っていた。

 そして、何よりモーリスだ。すでに香港のGIで2勝しているモーリスは、当然のように注目の存在だった。しかし、それまであげていた2勝はどちらもマイル戦。「距離の対応はできるのか?」という声があがるのも当然だった。モーリスが2000m以上の距離で勝利したのは、前走の天皇賞(秋)のみ。ファンは、彼の血統や走法から、その適性を推し量るしかなかった。

 ここで勝利し、海外GIで3勝という称号を手に引退をするのか、それとも───。そのときにスポットがあたったのは、モーリスの牝系に流れる「メジロ血統」であり、モーリスが描いてきた成長曲線であった。それを紐解く前に、まずは本馬場入場を見守ろうと思う。

モーリス

2016年香港カップ入場




パドックでエイシンヒカリが放馬するというアクシデントもあったものの、コースに出ると各馬が集中を一段階深める。
強者揃いの香港カップ出走馬たちは、着々とゲートインを進めていった。


(1章につづく)
モーリス

▲ 初のGI勝利となった2015年安田記念


第1章 スタート〜『愛されてきた血統』に生まれて



シャティン競馬場にファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。

モーリス

2016年香港カップスタート




綺麗に揃ったスタートだった。
モーリスも、後方にポジションをとるものの、出遅れに出遅れを重ねた若かりし頃の姿は、そこにはなかった。
モーリスの出遅れで思い返されるのは、平成の始まりとともに現れた、当時の『出遅れの代名詞』とも呼べる名牝の姿だ。

 
 その名牝は、平成最初のオークスで、ゲート内で立ち上がってしまい大きく出遅れ、敗北を喫した。その後も一線級の牡馬を軽く捻ることもあれば牝馬に大負けすることもある、いわゆる『気分屋』として名を馳せる。多くの競馬ファンが、そのポテンシャルと不安定さに心を奪われた。

 その牝馬は、メジロモントレー。モーリスの祖母である。

モーリス

1990年アルゼンチン共和国杯



 モーリスが「メジロ血統の結晶」と呼ばれる所以は、このメジロモントレーによるところも大きい。「メジロ」を支えた牝系のひとつの、代表格ともいうべき1頭である。しかしあえて、その「メジロ血統」が「メジロ血統になる以前」の物語から、この血を振り返っていきたい。


───これは、マイル戦ではないのだ。2000mで凌ぎを削る香港カップは、まだゆっくりと思いに耽るだけの時間をくれる。


 日本最初の重賞馬は、ハクリユウという馬だ。岩手県で生産されたハクリユウは、1932年に創設された日本最初の重賞・目黒記念を制して北海道で種牡馬となり、菊花賞馬マルタケや目黒記念勝ち馬エスパリオンなどを送り出した。半妹のスターカツプは繁殖として成功を収め、孫のシラオキはスペシャルウィークやウオッカを輩出した日本有数の牝系「シラオキ系」の祖となっている。今も人気の名牝系だ。

 平成を代表するダービー馬の1頭であるスペシャルウィーク、ウオッカの源流ともいえる血統が、戦前からすでに活躍を始めていたというのだから、血統は奥深い。そのハクリユウはモーリスの六代母・コウゲンの父親として今もなお、その血を遺している。

 当時の馬産といえば岩手や千葉が中心で、北海道の馬産は今のような隆盛を誇っていなかった。そんななかで北海道に送られたということで、ハクリユウの種牡馬入りも、それほど多くの期待を集めていたわけではなかったということがうかがえる。そもそも北海道の牧場にいる多くの種牡馬・繁殖牝馬はアメリカからの輸入馬で、なんとか本州の馬産に追いつこうとしていた。

 ハクリユウの配合相手の1頭である第七デヴオーニアも、両親はアメリカからの輸入馬であった。配合は単なる偶然か、この後の発展を見越してか───理由はどうあれ、ここから、この1頭の輸入牝馬から、脈々と「メジロ血統」が築き上げられ、そしてモーリスへと繋がってゆく。

───内国産馬種牡馬といえば、日本では長く冷遇が続いてきた。1950年〜2001年のあいだ、日本の中央競馬リーディングサイアーが輸入種牡馬のみであるという事実からも、その確固たる格差がうかがえる。

「強い馬を生産するなら、輸入血統」

 そういう考え方が強い時代だ。どうしても海外血統を取り入れた馬のほうが、よく売れたし、よく走った。しかし、内国産種牡馬ハクリユウと第七デヴオーニアのあいだに生まれた牝馬(コウゲン)の配合相手に選ばれたのもまた内国産種牡馬で、シマタカという馬だった。

 1950年のダービー馬・クモノハナの全兄であるシマタカも、やはり岩手出身の馬であり、良血馬ではあるものの、ダービーでは8着といったように飛び抜けた戦績でもなかったため、北海道で種牡馬生活をするようになる。

 その後、菊花賞馬コマヒカリらを輩出しているように、良血馬シマタカは内国産種牡馬として輸入種牡馬らに一矢報いる活躍をすることになるのだが、そんな彼と上述のコウゲンのあいだに生まれたのが、メジロクインだった。語り始めてから3世代目で、ようやくこの血統の「メジロ」源流に行き当たる。それでもまだ、1957年のことである。

 この血統が競馬界の表舞台に登場したのは、そのメジロクインの仔から、といえるだろう。内国産種牡馬の名前が並んだ血統表を持つ馬が、GIの舞台に立ったのだ。メジロクインが産み落としたただ1頭の馬───メジロボサツは、400キロに満たない小さな牝馬だった。
 
 菩薩とはサンスクリット語のボーディ・サットヴァ(悟り・生きている者=悟りを目指す者)という発音を漢字にしたものとされているが、メジロボサツの馬生は肉親の死から始まる。難産がたたり、生後すぐに母がすぐ亡くなると、父のモンタヴァルも彼女のデビューを待たずしてこの世を去った。

 人々は憐憫の目を向けるが、メジロボサツはすくすくと育ってゆく。思えば、メジロボサツの父であるモンタヴァルも、短い生涯のなかで愛された種牡馬だった。数多いる競走馬のなかでも、とくにドラマチックな運命を歩む彼の産駒たちは、人々の心を掴んだ。

 レース中の骨折が原因で死亡したGI馬ナスノコトブキ。

 農薬が付着した飼料を食べてしまい菊花賞を回避したモンタサン。

 ベストコンディションで走れさえすれば、もっと大きなタイトルを狙えるはず…そう思わせる産駒たちが揃っていた。なかでもモンタサンの人気は絶大で、みのもんた氏の芸名の由来にもなっている。

 そんな愛されてきた血統がこの牝系に加わり、そしてその血を受け継いだ1頭の牝馬は、素質馬が集まった朝日杯3歳Sを快勝し、その年の最優秀3歳牝馬に選出されている。

─── たった1頭、両親の血を引き継いだ生き残りの牝馬・メジロボサツが、その引退後に12頭もの産駒を送り出し、メジロ血統の礎となる。5頭の牝馬のうち『モーリスへと繋がっていく牝馬』が生まれるのは、初仔出産の1968年から約15年の時を経た、1981年のことになる。

 その間、競馬界ではタケシバオー、スピードシンボリ、タケホープ、そしてTTGといった数々の名馬たちが、ターフを駆け抜けていった。1981年にうまれたのはメジロクインシー。メジロボサツ、最後の仔であった。


モーリスは、自らに流れる古来からの血脈を知ってか知らずしてか、慎重に、だが軽快に、最初のコーナーへと差し掛かっていった。
先頭はすでに、快速馬エイシンヒカリ。
香港巧者ステファノスは虎視眈々と、モーリスをマークしていた。


モーリス

2016年天皇賞(秋)


(続きは 『netkeiba Books+』 で)
モーリス ラストラン回想録 メジロの血が遺したもの
  1. 序章 スタート前〜その日、香港には数々のタレントが顔を揃えた
  2. 第1章 スタート〜『愛されてきた血統』に生まれて
  3. 第2章 第1、2コーナー〜モーリスが香港に辿り着いた理由
  4. 第3章 向正面〜モーリスはいつ『最強レベル』の馬に成長したのか?
  5. 第4章 第3、4コーナー〜種牡馬スクリーンヒーローに流れる、血のロマン
  6. 第5章 最終直線〜世界へ広がる『最強馬』の遺伝子
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