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【三浦皇成×藤岡佑介】第1回『先輩騎手も心配した、デビュー1年目の“三浦皇成狂騒曲”』

  • 2019年04月24日(水) 18時02分
with 佑

▲平成元年生まれの三浦皇成騎手が今回のゲスト! (C)netkeiba.com


今回が平成最後の『with 佑』。ということで、平成元年生まれの三浦皇成騎手がゲストです。三浦騎手がデビューしたのは2008年。わずか5か月で函館2歳Sを勝利すると、同年は年間91勝まで勝ち星を伸ばし、武豊騎手の持つ新人年間最多勝記録を大きく更新しました。超大型新人の誕生に、競馬界は大フィーバー。しかし、その状況には、先輩の佑介騎手たちも心配するほど。18歳で背負った重圧を、三浦騎手が改めて振り返ります。

(取材・文=不破由妃子)


良くも悪くも周りに大人がいすぎた…


三浦 ジョッキー同士の対談は初めてなので、ちょっと緊張してます…(苦笑)。

佑介 初めて!? そうか…確かに皇成がジョッキーと対談しているのは見たことがないかも。昔から単独の取材が多いもんね。

三浦 そうですね。(福永)祐一さんの回もそうでしたけど、競馬に対する考え方とか『with 佑』は勉強になることが多いです。そんなことを考えながら見ていたら、競馬好きな友達に「お前、そろそろ『with 佑』くるぞ」って言われて、本当にその3日後くらいに今回のオファーがきたんですよ(笑)。

佑介 マジで!? それはすごいタイミングやな。皇成は基本的に話すのが好きだから、対談は向いているかもね。黙れって言っても喋っているタイプ(笑)。

三浦 はい(笑)。

──今回は平成最後の『with 佑』です。皇成さんは、まさに平成元年生まれですよね。

佑介 ということは、皇成ももう30歳か…。自分で年を取ったなぁとは思わないけど、後輩が30歳とかなんかビックリするわ(笑)。

三浦 そうですよ、今年の12月で僕も30歳になるんですよ。だから、平成生まれといっても全然若くない。だって、もうすぐ“令和生まれ”が出てきちゃうんですから。

with 佑

▲デビュー当日の特別戦で初勝利を挙げた三浦皇成騎手 (撮影:下野雄規)


──おふたりは所属こそ関東と関西でわかれていますが、昔から夏の北海道で交流があったんですよね。

佑介 そうですね。僕らのさらに上の先輩たちが、よくご飯に連れて行ってくれたりして。

三浦 当時の北海道では、どちらかというと関西の先輩たちと一緒にいることが多かったかもしれませんね。

佑介 それでなくても、皇成にはみんな注目していたからね。言うまでもなく、デビュー当時の勢いはものすごいものがあったし、俺も「いや〜、勝つなぁ」と思って見てたよ。なにしろ新人の頃から普通に巧かったし、函館2歳Sを勝ったのもデビューした年だったよね?

三浦 はい。フィフスペトルで勝たせてもらいました。

佑介 あのレースを見て、巧いなぁと思ったもん。新人にして勝ち方をわかっていたというかね。あの頃の北海道といえば、いわゆる重鎮たちが上位を占めていて、いくら大型新人とはいえ北海道では好きにさせないぞ、みたいな空気感があったにも関わらず、終わってみれば「アイツ、すげー勝つな」みたいな(笑)。

三浦 1年目でいえば、その空気感を知らなかったのがよかったのかもしれません(笑)。おかげでがむしゃらにいけたので。でも、すごく怒られたりもして、今思えば勉強になりましたね。

佑介 でもまぁいくら巧かったとはいえ、1年目にあれだけ勝ったことで、2年目からが難しくなるだろうなぁと思ってたよ。乗せる側の期待はどんどん大きくなって、当然いい馬がどんどん回ってきて…。

 皇成は当時から受け答えとかもしっかりしていたけど、やっぱりまだ子供だったし、良くも悪くも周りに大人がいすぎたよね。いろんな方面から人が集まりすぎているように見えたし、俺たちにはわからない大変さがあるんだろうなぁっていうのはすごく感じてた。

三浦 今思えば、1年目は完全にキャパオーバーでしたね。

佑介 だよな。かといって、関東と関西で離れていたから小まめに面倒を見てあげることもできなかったし、俺も含めて関西のジョッキーたちは、なんとか上手く育っていってくれたらいいなぁと思って見ている人が多かったと思う。

 ただ、そのあと皇成が抜け出してこられなかった現実を見て、「あれだけのスタートを切った皇成が一気にトップまでいけなかったということは、今後しばらくベテランを脅かす存在が出てくることはないだろう」っていう話をみんなしてた。

──さきほど佑介さんが「いろんな方面から人が集まりすぎた」とおっしゃっていたように、ホントに“三浦皇成狂騒曲”というような騒ぎっぷりでしたからね。そういった状況に一番戸惑っていたのは、ほかでもないご本人では?

三浦 いきなり世界がガラッと変わったので、ついていけなかったというのが正直な気持ちです。なんていうのか、いろんなことをただこなしているような感じで…。

 だから、たらればですけど、馬に乗ることだけではなく、人との接し方だったり受け答えだったり、その後の対応だったり、ひとつひとつの事柄に対してもっと誠意をもって対応するべきだったなとすごく思うんです。今思い返すと、本当に反省すべきことばかりですね。ただ、今話したようなことを当時の僕に言っても無理だったでしょうね。

with 佑

▲三浦騎手「いきなり世界が変わって、ついていけなかったというのが正直な気持ち」 (C)netkeiba.com


佑介 うん、そうだと思う。俺が皇成と同じ状況になったら、確実にもっと浮かれていたと思うし。

三浦 僕もね、周りのバックアップと勢いだけで飛び出してしまったことをわかっていた一方で、やっぱり過信もあったと思います。そんななかで、いい馬がどんどん回ってくるようになって。でも、いい馬っていうのは、それだけ扱いが難しいんですよね。そういうトップホースたちに、まったくもって対応できませんでした。

佑介 それを感じたのはいつ頃?

三浦 もう2年目の春くらいには感じていましたね。1年目の終わり頃に「これからは本場で乗る」と決めて、実際にそうしていたんですけど、周りは僕に対して勝っているイメージがあるから、本場でも勝ち負けの馬が回ってきたんです。

 でも、そういう馬は競馬の組み立て方も全然違うし、そもそも返し馬での扱いからして違う。そういう違いに本当に対応できなくて…。当時は毎週毎週、週末がくるのが憂鬱でした。

(文中敬称略、次回へつづく)
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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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