外国人騎手の活躍は今の競馬を印象づけることになるのか
波乱の時ほど騎手の存在が記憶される、果たして今年は…
オークス、そしてダービーとなれば、競馬の実況アナウンサーにとり気分が一番高揚するとき、せめてどちらかは担当したいと思うものだ。実は最初にマイクに向ったオークスで、こともあろうに風邪をひいてガラガラ声になったという苦い思い出がある。
大丈夫かねと先輩に声を掛けられたが、折角のチャンス、大丈夫と言って双眼鏡を手にしてレースを追ったのだが、幸運なことにその年のオークスはわずか9頭立てだった。声の調子が悪くとも、この頭数なら心配ないと、無事しゃべり終えていた。
1969年、シャダイターキンが勝ったオークスで、以後こんな少頭数はない。その場は凌ぐことが出来たが、この経験は大きな教訓になり、とにかく体調管理が第一を心がけ、今日に至っている。
オークスのレース実況は、ラジオとテレビを通じて30回は担当しているが、ラジオ時代では嶋田功騎手の三連覇を含む通算5勝の記録が印象深い。中でも'73年にナスノチグサで勝った翌週のダービーで、タケホープで怪物ハイセイコーを破ったシーンは、競馬史に残る出来事だった。初代オークス男には、こんなエピソードが残されていた。
現役騎手では、武豊、福永祐一の両騎手が3勝しているが、武豊騎手にはデビューから3年目の'89年に実は大きなチャンスがあった。桜花賞馬シャダイカグラでのぞんだオークスで、先頭に立ってゴールする寸前、ライトカラーにクビ交わされて2着だったのだ。
外によれるクセのあるライトカラーを田島良保騎手は、思い切って外に向って押してみたら真っ直ぐ走ってくれた。ゴール前、スタンドから悲鳴が聞こえたよと語っていたが、10番人気を必殺仕事人が先頭に持って来たこのオークスも、印象深く記憶されている。
2013年、武幸四郎騎手のメイショウマンボが9番人気で穴をあけ、単勝が2850円ついたが、それ以後の5年間は、最近の1番人気馬の3連勝を含み、上位人気で決着することが多く、落ち着いたオークスになっている。
波乱の時には騎手の存在が目立って記憶されるものだが、今年は、果たしてどうなるか。近年、桜花賞組が上位にくることが多いだけに、別ルートの忘れな草賞、フラワーカップからの参戦組をと思うが、そうなると、外国人騎手の3連勝となる。これも今の競馬を印象づけることになるのか。