▲ベーシカル・コーチング・スクールで過ごすナリタタイシン(撮影:佐々木祥恵)
牧場の全員から愛される存在に
ナリタタイシンが暮らす育成牧場のベーシカル・コーチング・スクールが開場したのは、今から23年前のことだった。
「中間育成には離乳後の当歳もしくは1歳を扱うパターンと、1歳秋から調教をするパターンの2種類があるのですが、ウチの牧場は両方を行っています」(ベーシカル・コーチング・スクール代表の高橋司さん)
「僕は20代の後半まで東京にいたのですけど、馬とは全く違う仕事をしていました。僕が物心ついた時に、父と母は生産牧場を始めていたのですが、高校から外に出て、こちらに戻ってきたのが29になる手前くらいでした。大学を卒業して空手の道に進んだ時点で、親父に勘当されていたんですけど(笑)。けれども空手の道に区切りをつけて、勘当されている立場でもあるので、辞める時にも親父にきちんと話をしておこうと戻ってきたら、父の体調が悪くなっていました」(高橋さん)
しかも高橋さんの父親は、育成牧場を立ち上げたばかりだった。
「育成を立ち上げたその月に、僕は挨拶に戻ってきたんです。育成施設もまだ中途半端で、馬も人も揃っていなくて、その状況を見てそのままにはしておけないですよね。僕も実家に戻っても特にやることもないわけですから、ごく自然な形で目の前にある仕事をすることになりました。親父はすぐに入院して、そのまま亡くなりました」
▲放牧地から帰るナリタタイシン(C)netkeiba.com
育成牧場をするために東京から戻ってきたわけではなかったのだが、偶然戻ってきた時期に育成牧場がオープンし、間もなく父親が天国へと旅立った。何者かに呼び戻されたかのようなタイミングに、高橋さんも驚いたという。
「当時から今も相棒として一緒に仕事をしてくれているアイルランド人の場長がいてくれたんですよね。彼は私がこの牧場を続けるのであればここにいるけれど、辞めるのであればアイルランドに帰ると…。牧場で育ったとは言っても育成業務はもちろん、ましてや経営ともなったら全く別物ですから、ただ少なくとも現場を守ってくれる彼がいてくれるのであれば、やってみるかと踏ん切りをつけて、育成牧場に携わることになりました」(高橋さん)
取材前から気になっていたのは、ベーシカル・コーチング・スクールという、育成牧場としては珍しい名称の由来だった。
「北海道の育成はデビュー前の若い馬の調教が主ですから、基本的な教えをしっかりやろうというのがまず1つです。あと当時は、今ほど人手不足ではなかったので、牧場に初心者を受け入れることが少なかったんです。その状況の中でウチは初心者を受け入れて業務ができるようにしていこう、そして人馬ともに基礎的な教育や基本を大事にしていこうというのが由来となっています。最後にスクールとつけたのは、ファームとかセンターはよくありますので、最後にスクールとつけました。しばらくは人材育成所と誤解もされていましたけど(笑)」(高橋さん)
一時期は勘当されてはいたものの、最終的には亡くなった父の遺志を継いで始めたベーシカル・コーチング・スクールに、今度は種牡馬を引退したGIホースのナリタタイシンが余生を過ごすためにやって来た。
「来たばかりの頃は、元気一杯でした。牡だろうが牝だろうが、タイシンがいる放牧地に隣接している場所を通らせられませんでした。牡の育成馬と一緒に洗い場に繋ぐということも、当時はあまりしなくて、あくまでも1頭で扱うという形でした。乗用馬としての可能性を探ることも考えましたが、4シーズンとはいえ種付けをしていますので、そこから乗用馬にするのは難しいでしょうしね。アイルランド人の場長も、種馬の経験がある馬は若い馬の誘導馬に向かないので、そのような仕事に使わないのだったら去勢する意味がないと助言してくれましたので、去勢はしませんでした」
▲現在は落ち着いているが、来たばかりのころは元気いっぱいだったという(C)netkeiba.com
山路秀則オーナーが存命の頃は、預託している育成馬の様子を見にベーシカル・コーチング・スクールにもよく訪れていたという。
「オーナーは『タイシン元気にしとるかー』って鼻面を撫でていました。タイシンもまだ若かったので、パクッと行くものですから、『いい加減にせいや』と馬と戯れていらっしゃいましたね。タイシンを管理していた大久保正陽元調教師も、調教師引退間際に会いにいらっしゃっていました。まだその頃は体がパンパンに張っていましたので『現役みたいな体しているな。ワシの方が年取ったなあ』と仰っていました」(高橋さん)
とある養老牧場からオファーが来たこともあるという。
「タイシンと同世代の子たちもいますから、ということでお話を頂きました。ウチも育成の牧場ですし、馬もまだ若かったですからね。先方は引退した馬を数多く扱っていましたし、その方が馬が長生きできるのではないかとも考えました。先代の山路オーナーが亡くなられていたこともあり、僕も1度はそちらの方に傾きかけて、現場のスタッフに聞いてみたら『えー?いなくなっちゃうんですか』と反対にあいました。僕としては忙しいから大変かなと思ったのですけど『タイシン1頭くらい大丈夫ですよ』とか『いなくなると寂しい』という声が上がって、タイシンを先方に送り出す理由もなくなりましたので、養老牧場さんにはすみませんとお詫びをしました」(高橋さん)
▲放牧中、草をたくさん食んだ痕跡が…(C)netkeiba.com
そしてタイシンの飼料や放牧時間の調整などは、そのスタッフたちが毎日心を込めて行っているのだった。
(つづく)
ナリタタイシンを見学ご希望の方は下記を(「競走馬のふるさと案内所」)をご参照ください。
https://uma-furusato.com/i_search/detail_farm/_id_1216