父が肺炎で入院したので、また札幌に来ている。25日、木曜日の最終便で帰京し、翌朝、相馬野馬追取材に旅立つ。今回は集英社文庫の担当編集者と3泊4日ずっと一緒だ。で、29日、月曜日の野馬懸が終わると帰京し、都内で編集プロダクションの社長と打ち合わせをし、翌日また札幌に来る。
普段は忙しいふりをしているだけなのだが、今回は本当に忙しい。
「お忙しいところ申し訳ありません」
「ご多用の折恐れ入ります」
私に連絡をくれる人も、私が人に何かを頼むときも、一種の慣用句として、そう言うことが多い。が、場合によっては、「能力以上の仕事を受けて、こなし切れずにいるところごめんなさい」と言ったかのように受け取られることもある。
「お前な、忙しいって決めつけているけど、おれがどのくらい仕事を抱えているかを知ったうえで言っているのか」
「おれは『忙しい』とも『疲れた』とも言ってないよ」
一度ならず、そんなふうに返されたことがある。ずいぶん前のことだ。
若いころ、私の周囲には、意地の悪い人や、ひねくれた人がたくさんいた。正確に言うと、私が若くて力がなかったから、裏表のある人間が、汚い裏側の顔を見せたり、悪意をぶつけてきたりした。嫌な思いもしたが、そのおかげで信用してはいけない人間を見分ける目が少しは養われたので、若者の特権を生かすことができたとも言える。
先週の函館2歳ステークスを新種牡馬キズナ産駒の牡馬ビアンフェが制した。
ビアンフェは、父のダービーと同じ1枠1番からじわっとハナに立った。単騎逃げの形になったのは、ゲートを出て1ハロンを過ぎてからだった。
そのまま先頭を走り、4コーナーで藤岡佑介騎手の手が動いていたので苦しいのかなと思ったが、直線で手前をスイッチするとさらに末脚を伸ばした。最後まで失速することなく、2着を1馬身3/4突き放す、強い競馬だった。
序盤の脚の使い方や、手応えが悪そうに見せながら伸びるところ、ストライドの大きな走りなどから、距離延長が不安どころか、むしろ、もっと長いところのほうがよさそうな印象を受けた。
ともあれ、世代最初の重賞を勝ってしまうあたり、さすがキズナ、持っている。
ビアンフェの生産者は父と同じノースヒルズ。馬主は、ノースヒルズの前田幸治代表の長男の前田幸貴オーナーだ。先月、6月30日のラジオNIKKEI賞をブレイキングドーンが勝ち、所有馬による重賞初制覇を果たした。早くも重賞2勝目を挙げ、それが父と叔父の前田晋二オーナーに栄冠を与えたキズナの産駒によるものなのだから、幸貴オーナーも持っている。
昨年馬主になった前田幸貴オーナーは、私より30歳ほど若い。弟さんも競馬が好きだというから、将来「日本のヴェルテメール兄弟」と呼ばれるようになるかもしれない。
彼らは、私が若いころにしたような思いをすることは少ないと思うが、揉み手で近づいてくる人間のなかにはおかしな者も多いだろうから、気をつけてほしい。
話は戻るが、父が肺炎になったおかげで、すい臓がんの治療スケジュールが大きく狂ってしまった。今入院している病院と、抗がん剤を処方してもらっている消化器内科、手術するかもしれない消化器外科は、すべて違う病院だ。入院が長引くことがわかるたびに各病院に調整の連絡をしているのだが、看護師に取り次いでもらって医師に確認した結果を折り返し電話してもらうなどしなければならないので、ひどく時間がかかる。
83歳で肺炎になると体力の落ち方が大きいので、手術そのものも考えてしまう。はっきり言って、終末に向かって行くにあたり、どの道を通るか……という話なので、楽しいものではない。
そんななか、唯一テンション上がったのは、9月に上梓する競馬ミステリー第3段『ジョッキーズ・ハイ』のカバー装画のラフが送られてきたときだ。前2作と同じく武藤きすいさんによる描き下ろしなのだが、人馬が輝いて浮き上がって見える、素晴らしい作品で、とてもラフとは思えない。
これならまた「ジャケ買い」してくれる人が多くなりそうだ。
と、ここまで書いたところで業務の電話が来た。
「今、お話しして大丈夫ですか?」
相手のひと言目はそれだった。
「大丈夫だから電話を取ったんだよ」とも「どうして『お忙しいところすみません』と言わないんだよ」とも言わず、「はい」と答えた。
急に雨が降ってきた。と思ったら、晴れた。日本海が近い地域は、やはり天気が変わりやすい。