▲アルネゴーとのコンビで西日本ダービーを勝った倉兼育康騎手
空白の時を超えて出会った1頭の馬と1人の騎手が、西日本の生え抜きチャンピオンに輝きました。9月16日、高知競馬場で行われた重賞・西日本ダービーは後方待機のアルネゴー(牡3、高知・細川忠義厩舎)が目の覚めるような追い込みで優勝。17年間、新馬戦が行われなかった高知に誕生した生え抜き馬と、その間に韓国で勝ち星を積み重ねてきた倉兼育康騎手との「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。
それぞれの道を歩んだ時間
高知競馬場で最後にサラブレッドの新馬戦が行われたのは1998年。廃止の危機に瀕し、賞金や出走手当が下げられていく競馬場に、未来あふれる2歳馬を預ける馬主は少なく、17年間、新馬戦が組まれることはありませんでした。
その頃、倉兼騎手は韓国へ長期遠征をすることを決めました。
「他地区で乗ってみたいなぁという気持ちがあったんですが、高知の馬で南関東などに乗せていただく機会があっても後ろの方を回ってくるだけで…。そんな時、韓国が外国人騎手を募集していることを知ったんです」
2007年7月、倉兼騎手はソウル競馬場で初の外国人騎手として騎乗をスタート。競馬発展途上国の韓国ではあらゆることが日本とは違いました。
「僕の最初の頃の口癖は『馬が走り方を知らない』でした。レースでもスタート直後にみんなが前のポジションを取ろうと斜めに入ってきたりして危なくて、後ろでじーっとしていたので追い込みばかり」
前でやり合う他馬を見ながら落ち着いてレースを進め、追い込んで勝つ――そんなことを繰り返しているうちに、いつしか「追い込みのイク」というニックネームが付きました。
“追い込みのイク”が韓国で通算100勝を挙げた2009年、高知競馬では起死回生をかけた通年ナイター「夜さ恋ナイター」が始まりました。これがヒットし、さらにインターネット投票の追い風を受けて売り上げが徐々に回復していきます。
一方、倉兼騎手は2014年にソウル競馬場で年間101勝を挙げてリーディング2位。さらに最優秀騎手賞に輝いて2016年夏に帰国すると、高知は再び新馬戦が実施されるまでに蘇っていました。
▲2017年には日韓通算2000勝を達成
大目標を前に無念の骨折
倉兼騎手が帰国する前年、2015年に再開された新馬戦は1世代目からディアマルコが誕生。園田や名古屋など全国に積極的に遠征し、昨年は牝馬重賞シリーズ・グランダムジャパン古馬シーズンで女王に輝きました。2世代目からは西日本ダービーを制覇したフリビオン、3世代目はアウトスタンディンと、高知デビュー馬の頭数は多くはないものの、毎年、活躍馬を輩出したのでした。
そして4世代目となる2018年デビューの1頭がアルネゴー。
新馬戦と2戦目では大澤誠志郎騎手が手綱を取り、倉兼騎手が騎乗したのは3戦目から。
「初めて乗った時、返し馬で『この馬、走るな!』って感じたんです。そのレースは800mだったんですが、距離は延びた方が走ると思いました」
その言葉通り、1300mに距離延長された次走も勝利。秋には黒潮ジュニアチャンピオンシップ、金の鞍賞と重賞を連勝しました。
さらにアルネゴーの評価を大きく上げたのは今春の黒潮皐月賞。この日は極端な前残り馬場で、逃げ・2番手の馬での決着ばかりが続いていましたが、アルネゴーは最後方から強烈な末脚で差し切り勝ちを決めたのです。
「こんな前残りの馬場で…!」と地元の騎手や調教師たちは驚きの声を上げました。
ところがその後、剥離骨折が判明。
休養を余儀なくされ、大目標だった高知優駿はナンヨーオボロヅキが完勝するのをただ見つめることしかできませんでした。悔しさを抱えながらも、アルネゴーは西日本ダービーを目指して8月に復帰。復帰初戦、4コーナーでは依然後方でカメラにさえ映っていない所からナンヨーオボロヅキに僅差の2着まで迫るレースをしてみせました。
「復帰初戦は心配もある中で思った以上に走ってくれました。レース後も順調ですが、西日本ダービーは初めての1900mがどうか…そこだけですよね。後方からの馬って言っても、短距離の差し馬もいますからね…」
と倉兼騎手は西日本ダービーを前に距離に不安を抱いていました。
高知優駿馬・ナンヨーオボロヅキはJRAからの移籍馬のため西日本ダービーには出走できませんが、その代わり金沢・笠松・名古屋・兵庫・佐賀から重賞馬をはじめ強力な生え抜き馬が揃う一戦。
期待と不安の入り混じる西日本ダービーは地元のボルドーアストルがレースを引っ張る中、いつも通り後方からレースを進めました。ラスト600mを切ってスパートを開始すると、1900mでも持ち前の末脚を発揮。見事に勝利を飾りました。
「人間の方が気持ちが強くて、早めに動いてしまって少し後悔しました。早く先頭に立って馬が遊んでしまって、どうしようかと思いましたが、『このレースに勝ちたい!』って気持ちでみんなやっていたので」
と最後は気迫での勝利。
▲“追い込みのイク”の叱咤に応え、豪快に差し切って西日本ダービーを勝利!
高知競馬の存続が危ぶまれた時代も愛溢れる実況をし続けてきた橋口浩二アナウンサーは「追い込みのイク、この言葉に尽きます」と称えました。
“追い込みのイク”はこうも話します。
「僕以外の騎手が乗っていたらどんなレースをするのかな?って考えるんです。でも、僕が乗っている限りはこういうレースをしたいなって思います。細川先生も『前にこだわらず、馬のペースで行ったらいい』と言ってくださいます。道中はいつも手応えがなくて不安の中で乗っていますが、動き出すとすごくて、ラスト3Fはこの馬の良さが出ます」
▲西日本ダービーの口取り。左から3番目は管理する細川忠義調教師
高知で新馬戦が実施されなかった空白の17年間。
その時を超えて高知競馬は見事に復活し、アルネゴーは高知デビューの運命をたどり、“追い込みのイク”となって帰ってきた倉兼騎手と出会ったのでした。
細川調教師によると、この秋は園田競馬場への遠征プランも視野に入れているとのこと。
これからの活躍に期待したいですね。