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名牝ミラの蹄跡を辿って

  • 2019年10月17日(木) 12時00分
 先日、集英社文庫から書き下ろしで出している競馬ミステリーシリーズの取材で北海道の馬産地を訪ねた。

 明治時代にオーストラリアから日本に輸入された名牝ミラについて、残された資料を見たり、「サラ系」とされた馬たちについて調べるためである。

 まず、浦河の馬事資料館に行き、明治から昭和にかけての種付台帳などを見せてもらった。それらは非公開の資料で、3年前、グリーンチャンネル特番でミラを取り上げたときにも見せてもらった。今回は、ミラに関するもの以外の資料も精査して、当時の馬産全体におけるミラの、そしてミラを含む「濠州産洋種」の位置づけのようなものが、おぼろげにでも見えてくればいいと思っていた。

 午後1時過ぎから夕刻まで保管庫にこもり、担当編集者の「ハンちゃん」こと半澤雅弘さんと資料を読み込み、一頭の馬の血統登録書が発行されるまでの流れをつかむことができた。それらの貴重な資料を見やすく整理し、さらに長時間作業を補助してくれた学芸員の伊藤昭和さん、ありがとうございました。

 馬事資料館は来年、開設40年を迎えるという。それを記念した特別展示なども考えているようなので、楽しみだ。

 その日は「うらかわ優駿ビレッジAERU」に宿泊し、翌朝、放牧地にいる3頭の功労馬を見てきた。ウイニングチケット、スズカフェニックス、そしてタイムパラドックスである。

放牧地でのんびり草を食べているウイニングチケット。


 先日、例の「たてがみ切り取り事件」があったので、近くにいる係員にひと声かけてから見学する、ということになっている。

 浦河から、ミラの末裔の牝馬を繋養している静内の坂本牧場に向かった。

 代表の坂本智広さんが、私たちのお目当ての馬、トウケイルーブルを洗い、馬房の前に置いたジェットエンジンのように巨大なドライヤーで乾かしているところだった。

トウケイルーブル。牝10歳。父サクラバクシンオー、母の父タイキシャト
ル。


 このトウケイルーブルの娘のトウケイミラ(牝2歳、父トウケイヘイロー)が、今、栗東・高柳大輔厩舎でデビューに向けて調整されている。トウケイミラの11代母がミラである。オーナーが、前述したミラのグリーンチャンネル特番を見て、こう名付けたという。現在、JRAに在籍するミラの末裔はこの馬だけだ。

 地方では、トウケイミラの叔母にあたるタイムオブレディー(牝6歳、父デュランダル)が南関東の川崎に在籍している。

坂本智広さんの息子の一政さんに「ルー」と呼ばれると反応するトウケイ
ルーブル。


 トウケイルーブルは、出産が難しくなってきたので、今年で繁殖牝馬を引退し、坂本牧場で、競走馬、繁殖牝馬につづく「第3の馬生」を送ることになったという。

 この牧場では、今年30歳になったテンダークラウンという牝馬も、功労馬として余生を過ごしている。坂本さんによると、テンダークラウンの6番仔として2001年に生まれたトウケイカントリーを購入してもらったことが、「トウケイ」の冠で知られる木村信彦オーナーとの初めての取引だったという。

テンダークラウン。牝30歳。父スリルショー。母の父ミルジョージ。


「ずっと苦楽をともにしてきた馬です。人間に対してはきつく接することもありますが、仔育ては本当に上手でした。繁殖をやめてからは、イヤリングのリードホースをさせていました。こういう大人の馬がいると、1歳馬がムダに走り回らないんですよね」

 坂本さんはそう言って微笑む。

 さて、ミラに話を戻すと、ミラは明治34(1901)年から繁殖牝馬として新冠御料牧場で繋養された。現在の家畜改良センター新冠牧場である。

 そこを訪ね、新冠御料牧場がミラを購入した年の事業録を見せてもらった。根岸競馬場を運営していた日本レースクラブから、ミラを含む繁殖牝馬を購入するための臨時支出の許可を求める書類や、月ごとの日誌などから、その時代の空気を嗅ぎ取る、という取材だった。新冠牧場次長の安齊典隆さん、長時間のご対応、ありがとうございました。

 新冠牧場を出て、競馬ミステリー第2弾『キリングファーム』を書くときも相談に乗ってもらった、静内・藤沢牧場の分場に向かった。「エバーグリーンセールスコンサインメント」のあるところだ。

 到着して事務所の近くに車を停め、代表で、道議会議員でもある藤沢澄雄さんの息子の藤沢亮輔さんに電話をした。

「ハーイ、今おりて行きまーす」

 スマホに当てていない右の耳も声を拾ったように感じたのは気のせいかな、と思っていると、短パン姿の亮輔さんがニコニコしながら事務所への下り坂を歩いてきた。

 まったく寒そうにしていない亮輔さんに、担当編集者のハンちゃんと私は、放牧地や厩舎を案内してもらった。

藤沢牧場分場。ドナパフュームの2019と藤沢亮輔さん(奥)とハンちゃん。


 イヤリングの放牧地には、ジェンティルドンナのいとこという超良血で、普段の動きからしてずば抜けていると亮輔さんが絶賛するドナパフュームの2019などがいた。私たちが入って行くと、当歳馬たちと、「コンパニオンホース」と呼ばれる、リードホースのような役割を果たす繁殖牝馬が、草を食べたり、食べるふりをしながら寄ってきた。

 別の日に、日高町庫富(くらとみ)のフジモバイアリースタッドを訪ねた。netkeiba.comに連載した「絆〜ある人馬の物語〜」や、競馬ミステリー第1弾『ダービーパラドックス』を書くときなどに、いろいろ知恵を借りた藤本直弘さんの牧場だ。

 一昨年の4月15日にアップされた本稿に、フジモバイアリースタッドで自家生産馬のオネストジョンが種牡馬として繋養されていることを書いた。そのときは気づかなかったのだが、この馬は、明治40(1907)年に小岩井農場がイギリスから輸入した「小岩井の牝系」の出身なのである。オネストジョンの11代母ヘレンサーフは、ウオッカやスペシャルウィークにつながるフロリースカツプや、ニッポーテイオーやテイエムオーシャンにつながるビユーチフルドリーマーなどと一緒に輸入されたのだ。オサイチジョージ、ヒシミラクル、マイネルホウオウなどもヘレンサーフの末裔だ。

オネストジョン。牡15歳。父エイシンダンカーク、母の父トウホーカム
リ。


 フジモトバイアリースタッドには、今年から種牡馬となったストゥディウムもいる。これはほかの牧場で生産され、馬主から預かっている馬だ。2015年の羽田盃やダービーグランプリなどを勝っている。

ストゥディウム。牡7歳。父ルースリンド、母の父ジェイドロバリー。右
は藤本直弘さん。


 ストゥディウムは、今年、この牧場にいる2頭の牝馬に種付けしたという。

 藤本さんにミラとトウケイミラについて話すと興味を示し、タブレットで調べてすぐに顔を上げて笑った。

「へえ、偶然だね。このトウケイミラ、さっき案内したエイトカラーファームズで育成されていたんだって」

 そう言って、その施設を使用している株式会社エクワインレーシングのサイトにある坂路調教の動画を見せてくれた。「これ、馬っぷりがいいし、雰囲気が親父さん(トウケイヘイロー)に似ているね」

 私もハンちゃんも、トウケイミラがどこで育成されていたかは知らず、ただ藤本さんが関わっている育成所を見学するという目的でエイトカラーファームズに行っていた。期せずして、追いかけている馬と同じ道を辿っていたのだ。

 トウケイミラは10月9日のゲート試験に合格したという。デビューが楽しみだ。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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