▲今だから話せる、競馬学校の試験での仰天エピソードとは (C)netkeiba.com
丸山元気騎手との対談。今回は、時を遡って、丸山騎手がジョッキーになる前の話からスタートします。丸山騎手のお父さんは、高崎競馬の名手・丸山侯彦元騎手。トレセン育ちということで、子供の頃から馬は身近な存在でした。時は経ち、JRAの騎手を目指すことになった丸山騎手。しかし、競馬学校の試験で背伸びをしてしまったことが、後々大きなピンチを招いてしまいます…。
(取材・文=不破由妃子)
自業自得とはいえ…競馬学校の試験は大変でした
佑介 元気はチャラけたところもあったけど、昔からすごく仕事が丁寧。元気の仕事ぶりを見ていると、馬が本当に好きなんだろうなって思うよ。
丸山 動物全般が好きですね。ジョッキーになっていなかったら、厩務員になっていたと思います。とにかく馬の飼育が好きなんですよね。競馬学校の頃も、馬に乗るより厩舎作業のほうが好きでした。
佑介 俺もそうだけど、元気にとっても馬は子供の頃から身近な存在だしね。
丸山 そうですね。中央と地方の違いはありますけど、同じトレセン育ちですから。当然、毎日のように馬を見ていましたし、お手伝い程度ですけど、触らせてもらったりして。
──そういった環境のなか、幼い頃からジョッキーを目指していたそうですが、競馬学校に入った時点では乗馬は未経験だったそうですね。
丸山 そうなんです。環境的にも通うのが難しかったし、お金が掛かることもあって。でも、競馬学校を受けるとき、最初に書類を提出するんですけど、「乗馬経験あり・なし」の項目で「あり」のほうにマルを付けちゃって…。だから、「乗馬経験あり」のほうの部で入学試験を受けました(苦笑)。
佑介 もう時効やな(笑)。でも、経験者のなかに混じっての試験は大変だったんじゃない?