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園田・姫路競馬のジョッキーたちが語る吉田勝彦アナウンサーの思い出

  • 2019年12月17日(火) 18時00分
馬ニアックな世界

▲今週は「競馬実況のレジェンド」吉田勝彦アナウンサーにまつわるお話です


 来年1月9日をもってレース実況を引退予定の吉田勝彦アナウンサー。園田・姫路競馬で64年にわたりレースを喋り続け、独特の口調は“吉田節”と親しまれてきました。約1分30秒、十数頭の馬が走る中に人馬のドラマを織り交ぜ、1つの物語をも紡いできました。地元のジョッキーたちは「吉田さんが引退するのは淋しい」と惜しみます。

 そこで今回の「ちょっと馬ニアックな世界」では園田・姫路競馬のジョッキーたちが語る「吉田勝彦アナウンサーの思い出に残る実況・司会」をリサーチしてきました。

騎手との会話をレース実況に織り交ぜる


●木村健調教師(元騎手)
 昨年、騎手を引退し、調教師に転向した木村健調教師。

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▲木村健騎手の調教師合格セレモニーでの吉田勝彦アナウンサー


 ショウリュウムーンでJRA・チューリップ賞を、タガノジンガロでかきつばた記念(JpnIII)など重賞71勝(JRA含む)を挙げた名手ですが、彼の重賞初制覇の実況は吉田アナウンサーでした。

 遡ること18年前、園田で行われた楠賞全日本アラブ優駿をガバナマイウェーで制覇した時のことが印象に残っていると話します。

「全然人気してなくて(12頭中9番人気)、いまレース映像を見ると『俺、下手やなぁ』って思いますね(笑)。ゴールして流している時に『やったわ、俺!』って思っていたのですが、吉田さんが勝利騎手インタビューで『親父が成し遂げられなかったことを』と言ってくれて、『がんばりました…』と、うわぁぁ〜って泣きましたね」

 木村調教師のお父様も騎手でした。しかし、園田の地で重賞制覇を成し遂げることはできなかったのです。お父様の無念を晴らした木村調教師――この二人のエピソードについてはのちに吉田アナウンサーは木村騎手の調教師合格セレモニーでも語っていますので、ご紹介します。(一部抜粋)

「お父さんも騎手でした。大阪の春木競馬、和歌山の紀三井寺競馬、そういったところで騎手としてやっておられたが、どっちも競馬場がなくなってしまいました。そして園田に移籍してまいりました。

 ところが園田に移籍してきてからのお父さんの乗る馬というのはあんまりいい馬をあてがってもらえなかったんです。そんな無念の思いでレースから上がってくるお父さんを見ながら『僕は大きくなったら騎手になる』。18歳の時に騎手デビューした時にお父さんが果たせなかった夢、これを僕はちょっとでも何とかお父さんの夢を果たしたいという気持ちでこれから騎手としてがんばります、と。あれから24年が経ちました。3560勝、重賞レースは中央含めて71勝。もう次から次へとすごい記録ばっかり」

 家族のドラマをも吉田アナウンサーは伝えてくださいました。

「園田と言えば吉田さんやったもんね、寂しくなります。吉田さんの実況は誰も持っていない特徴があって、あれが良かったですよね。僕らは吉田さんの実況を聴いて育ちましたし、騎手になってからもレースビデオを見ながら『いいなぁ〜』ってやっぱり思いますもんね。NARグランプリも吉田さんと(田中)学くんと僕の3人で行きましたよね」

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▲NARグランプリで吉田勝彦アナウンサー、木村健調教師、田中学騎手での3ショット


●田中学騎手
 2002年、兵庫大賞典でアラブのサンバコールがロードバクシンなどサラブレットを退けて勝利した時、吉田アナウンサーはゴール前で「アラブのサンバコール!」と実況しました。

 この時の鞍上が田中学騎手。

 この実況の話題を振るとこう返ってきました。

「それも良かったですが、僕が一番印象に残っているのはサンバコールの弟・サンクリントで楠賞兵庫アラブ優駿(2003年)を勝った時ですね」

 そこには吉田アナウンサーだからこその理由が込められていました。

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▲田中学騎手が語るのは2002年の楠賞兵庫アラブ優駿での実況


「あの当時、検量室から下見所までみんなでマイクロバスに乗って移動していたんですが、そこに吉田さんがいたんです。サンクリントはド本命やったけど初めての2400mで分からんし、僕は緊張していました。

 自分に言い訳みたいなのをつくる感じで、吉田さんに『負けたら神様のいたずらでしょう』と言ったんです。そしたらそれをレース中に言ってくれたんです。あとから実況を聞いてビックリしましたね。偉そうに言ってしまったから、負けていたらどうしようかと思いましたが、勝てて良かったです。この実況はすごく覚えていますね」

●下原理騎手
 レースではなく、意外なエピソードを挙げたのは2017年全国リーディングに輝いた下原理騎手。

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▲意外なエピソードを挙げてくれた下原理騎手


「実況より、僕の結婚式の司会をしてくださったことが一番思い出に残っていますし、感謝です」

 吉田アナウンサーに聞くと、橋本忠男元調教師の結婚式の司会を皮切りに約80組の司会を行ったといいます。

「25〜26歳の時に新大阪で結婚式を挙げたのですが、嫁さんと一緒に打ち合わせもしました。元々は岩田さん(岩田康誠騎手)が結婚式で司会をしてもらっているのを見て、『いいな〜、僕もしてほしいな』と思っていたんです。僕が初めて重賞を勝ったレースをスクリーンで流してくれて、司会で僕のことをたくさん話してくれました。結婚式での口調も実況の時のような、あのまんまです。お願いして本当に良かったですよ」

●石堂響騎手
 最後は“実況ジョッキー”として朝夕の情報番組やイベントにも出演する石堂響騎手。自身を「実況マニア」と言いますが、その始まりは小学生の頃、JRAからでした。

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▲少年時代から吉田アナウンサーの実況に親しんできた石堂響騎手


「親がいたら実況とか恥ずかしいので、父が仕事、母もパートに行っている時にパソコンでJRAのサイトを開いてスポーツ新聞と照らし合わせて、土日は2場開催なら24レース、ひたすらやっていました」

 地元は大阪。もちろん、吉田アナウンサーのマネもしたといいます。

「実況マニアとしては『ゴォォォルインッ!』とか、吉田節が覚えやすくて、結構マネをしました」

 そういえば、昨春デビューをした時、新人騎手紹介式でも『ゴォォォルインッ!』とモノマネを披露していましたね。

「インターネット上に残っているような『名実況』と呼ばれるレースはだいたい見ています。ロードバクシンとかサンバコールとか」

 今回、アンケートにご協力いただいた騎手の中では断トツで騎手歴は浅いですが、少年時代から吉田アナウンサーの実況に親しんできたようです。

 石堂騎手が話すように「インターネット上に残っている実況は聴いたことがある」という方は多いと思いますが、他にも名実況は数えきれないほどたくさんあります。そこで、そのだけいば・ひめじけいば公式YouTubeに年内をメドに「吉田勝彦アナウンサー名実況集」が公開される予定とのこと。

 木村調教師が挙げた楠賞全日本アラブ優駿(ガバナマイウェー)、田中騎手が挙げた楠賞兵庫アラブ優駿(サンクリント)のレース実況もそちらで聴ける予定です。

 そして、吉田アナウンサーの引退式は来年1月9日最終レース終了後。当日は最終レース名を吉田アナウンサー引退にちなんだものにする計画もあるそうです。

 平日の木曜日にはなりますが、ぜひ当日は園田競馬場に足を運んでいただければと思います。

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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