また北海道に来ています。すい臓がんを患っている父の受診、入院、手術に付き添うためです。父は昨秋も入院し、手術に向けた放射線治療を受けていました。それはがんを根治することが目的ではなく、がんを叩いて手術をしやすくするための治療でした。いずれにしても、すい臓の下半分を脾臓ごと切り取ってしまう大手術です。今年84歳ですから、おそらくこれが最後の手術となるでしょう。
さて、北海道で「震災」というと、2018年9月6日の胆振東部地震のことです。関東以北では2011年3月11日の東日本大震災を一番に思い浮かべる方が多いでしょうが、関西に長くお住まいの方にとっては、1995年1月17日の阪神・淡路大震災かもしれません。
本稿が公開される翌日、2020年1月17日で阪神・淡路大震災の発生から四半世紀になります。もう25年と感じるでしょうか、それともまだ25年と思うでしょうか。
私たちが毎年、その日が訪れるたびに記憶を呼び起こす(あるいは呼び起こすよう促される)のは、忘れてはならないこと、時間が経過してから思いを馳せるべきことがあるからだと思います。
1995年はどんな年だったでしょうか。
3月20日には忌まわしい地下鉄サリン事件が発生しました。嫌な記憶のほうが人間の心をとらえる力が強いせいか、どうしてもマイナスの記憶から先に蘇ってきます。
しかし、競馬界に目を転じると、1995年は悪いことばかりではなく、むしろ、後に日本の競馬を発展させる足掛かりになる出来事もいくつかありました。
まず思い出されるのは、前年の旧3歳世代から産駒がデビューした大種牡馬サンデーサイレンス旋風が吹き荒れたことです。
旧3歳王者となったフジキセキはすでに引退していましたが、皐月賞をジェニュイン、ダービーをタヤスツヨシ、オークスをダンスパートナーが制するなど、クラシックを席巻しました。
サンデー産駒ではありませんが、5月6日にはスキーキャプテンが日本馬として初めてケンタッキーダービーに参戦しました。帰途のサンディエゴで、武豊騎手と親交があり、この年からメジャーリーグベースボールでプレーしていた野茂英雄元投手と会うことができ、女房役のマイク・ピアザ捕手と握手し、コンクリートから出た鉄筋をつかんだかのような剛性感に驚かされたのは、個人的にいい思い出になっています。
オークス馬ダンスパートナーはフランスに遠征し、G3のノネット賞で2着、G1のヴェルメイユ賞で6着となり、帰国初戦の菊花賞では1番人気に支持されるも、マヤノトップガンの5着でした。
また、12月の香港国際カップをフジヤマケンザンが制し、1960年のハクチカラ以来35年ぶりに日本馬による海外重賞制覇を果たしました。ハクチカラは、1958年の春、保田隆芳元騎手とともに戦後初の海外遠征に出て、保田氏が同年秋に帰国してからもアメリカに残り、大仕事をやってのけた名馬です。
このように、1995年は日本の人馬が海外に積極的に出た年であったと同時に、国内でも大きな動きがあった年でした。
地方馬が指定されたトライアルで優先出走権を得れば、中央のクラシックに出走できるようになったのです。安藤勝己元騎手とともに、笠松から中央のクラシック戦線に乗り込んできたライデンリーダーが4歳牝馬特別を勝ち、桜花賞で1番人気に支持され4着となるなど、象徴的な存在になりました。
ライブリマウント、ホクトベガといった中央の馬が地方の交流競走で活躍するなど、今の時代の「当たり前」が産声を上げた時期でもあったのです。
武豊騎手が結婚し、通算1000勝を挙げたのも、宝塚記念でライスシャワーが骨折して世を去ったのも、有馬記念をマヤノトップガンが勝って田原成貴元騎手が投げキッスのパフォーマンスをしたのもこの年でした。
阪神・淡路大震災が発生したのと同じ年に競馬界でこれだけのことがあったのです。「うん、そうだったね」とすぐ頷けることより、「そうだったかな」ということのほうが私は多かったのですが、みなさんはいかがでしょう。
人間の記憶の確かさと不確かさの両方が作用するからこそ、時間は薬になるのだと思います。阪神・淡路大震災の場合は、四半世紀のときが薬にもなっているでしょうが、まだ痛みも残っています。
震災はもちろんなかったほうがいいに決まっているのですが、前述した3つの震災があったからこそ、「こんなときに競馬をやっていいのか」「こういうとき競馬に何ができるのか」といった、それまであまり深く考えられていなかったことを、多くの人が真剣に考えるようになりました。
2020年はどんな年になるのでしょうか。
私の場合、何月に出すどの本がどれくらい売れてほしいとか、細かいことを言い出すとセコさがバレるので具体的にはやめておきますが、ともかく、生きていてよかったと思える時間を少しでも得られるようにしたいと思っています。その時間には自然と競馬が関わってくるはずです。昨秋のチャンピオンズカップのように、書きたい、と強く思わされるレースを何度でも見たいですね。