トイトイファームで暮らすコスモラヴモア(提供:トイトイファーム)
牧場の始まりは1頭のヤギから
フェイスブックを眺めていたら、トイトイファームという名の牧場の記事がよく目に入ってくるようになった。トイトイという牧場名の由来が気になっていたところへ「コスモラヴモア」という元競走馬がトイトイファームで暮らしていることがわかった。JRA時代は鈴木伸尋厩舎の管理馬だったので早速鈴木師にラインで知らせた。師はすぐに連絡を取って約1か月後には和歌山県田辺市中辺路町温川にあるその牧場を訪ねていた。
JRAの「引退競走馬に関する検討委員会」の委員でもあり、自らも引退した競走馬を引き取るなど引退馬支援に熱心な鈴木師は、精力的に養老牧場や乗馬施設を回って現状の把握に努めている。トレセン取材の折に師とは引退馬の置かれた状況や課題など、たびたび意見や情報の交換をさせてもらっているが、その行動力の早さはいつも感心させられる。
トイトイファームの10月28日のフェイスブックにも、鈴木師来訪が写真とともに記事になっており、和歌山から戻った師からは、トイトイファームがどのような牧場なのか、また代表の森田竜一さんの動物たちや馬への気持ちを伝え聞いて、是非お話を伺いたいと思い、今回取材することとなった。
鈴木伸尋調教師(右)来訪時の様子(提供:トイトイファーム)
森田さんにトイトイの由来をまず質問してみた。すると「アイヌ語なんです」と意外な答えが返ってきた。私は北海道旭川市出身なのだが、父方の祖父がアイヌ民族と関わりが深く、実家にはアイヌ民族関連の資料等が数多く保存されていた。私自身はアイヌ語は操れないが、幼い頃からアイヌ民族を身近に感じてきたせいか、アイヌ語の持つ響きには割と敏感なのだが、北海道から遠く離れた和歌山にある牧場の名前の由来がまさかアイヌ語だったとは、恥ずかしながら想像ができなかった。
トイトイ(toytoy)とは、土地、畑、土などの意味がある。アイヌ民族はかつては北海道だけではなく、本州にも住んでいたといわれる。そのような元来日本にいる民族の言葉から牧場名を…という森田さんの奥様からの提案だったというが、覚えやすくて親しみのある良い名前だと感じた。
森田さんは、動物園で草食動物の飼育員を10年ほどしていた時代があり、元々動物とは深い繋がりがあった。現在はカイロプラクティックのお店を経営している。「今日は本業の日」とフェイスブックに書かれているが、それが週2回のカイロプラクターとしての仕事のことだった。それ以外はほぼファームの仕事に明け暮れている。
最初は四国の徳島県から来た1頭のヤギだった。その後、耕作放棄地の除草用や飼育が難しくなったヤギを数頭引き取って、子供も生まれ1番多い時で23頭にまでなった。それらのヤギは除草用として貸し出したり、ペットとして譲渡をしてきた。やがて知人から2頭のポニーを引き取ってもらえないかと相談されて、引き受けることになる。動物が増えていったのを機に、トイトイファームとしての活動が始まった。
「(和歌山県)白浜町に住んでいたのですが、もっと広い土地と人のいない場所を探し始めました」
見つけたのが、現在の場所だ。借りるつもりでいたのだが、土地の所有者に直接交渉をすると、購入してほしいと言われて買うことになった。その土地には住居はなかったため、貸家を探したら、牧場予定地から車で1、2分の所に偶然空き家があり、そこも購入する流れとなった。しばらくは白浜町と田辺市を行き来して、ヤギの暮らす小屋や馬房はすべて手作りするなどして牧場を整え、2017年3月24日に田辺市への引っ越しがすべて完了した。
知人から引き取りを相談されたポニー2頭は、4月15日に長野県の軽井沢からトイトイファームに到着した。ヤギたちは「何だ、何だ」という感じで着いたばかりのポニーを遠巻きに見ていた。1頭がこげ茶色なのにグリーン、もう1頭にはアカネという馬名がついていた。これがトイトイファームに来た最初の馬だった。
ポニーのアカネ(提供:トイトイファーム)
こちらはグリーン(提供:トイトイファーム)
グリーンとアカネはわりとすぐ環境に馴染み、ヤギと同じ空間で放牧されている。ポニーたちが闊歩すると、ヤギは逃げる。ただ森田さんによると雄ヤギは凶暴だそうで、八兵衛という雄ヤギに、グリーンは何度かアゴに頭突きを食らったりもしていたが、概ね牧場は平和で、ゆったりとした時間が流れていった。
人の欲のために生まれてきたのに…
そんなある日、森田さんは、競走馬たちが引退した後の現実を知ることになる。
「知り合いの北海道の調教師から引退した競走馬たちの多くが行方不明になっているという悲しい現状を教えてもらいました。その話を聞いて、恥ずかしながら号泣をしてしまったんです」
引退した競走馬たちのほとんどが、乗馬という形で競走馬の登録を抹消される。実際に乗馬になっている馬も確かにいるが、そもそも乗馬になるには適性がなければ難しい。馬を1頭飼育するのにはお金もかかるし、調教に時間を要したり、怪我をしている馬の場合、治癒するまで待ってもらえるのは稀なケースと言ってよいだろう。乗馬になれたとしても、クラブ側が求める働きができなければ乗馬としての寿命も短い可能性が高い。乗馬を引退となると、その先はやはり行方不明という現実が待っている。
行方不明というのは、ほとんどが屠畜だ。
その厳しくも悲しい現実を知った森田さんは、いてもたってもいられなくなり、行動に移す決断をする。人間の欲のために生まれてきた競走馬たちのほとんどが寿命を全うできないという理不尽さが、森田さんを突き動かしたといっても良いだろう。
「知り合いの調教師さんに、素人の私が扱える馬を譲ってもらえないかと相談して、地方競馬で馬を走らせているオーナーさんを紹介して頂きました」
その人物は、自らが所有した愛馬の引退後の行き先を実際に探すという、馬への愛情がとても深いオーナーだ。「寿命まで可愛がってくださるなら是非」とそのオーナーがトイトイファームに託したのが、前述したコスモラヴモア(牡9)だった。
JRA所属時のコスモラヴモア(ユーザー提供:ポンタも大好きさん)
(つづく)
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