新型コロナウイルス感染拡大防止のための無観客競馬は、今週で9週目となる。
無観客競馬5週目にあたる3月末から口取り撮影や表彰式が行われなくなり、検量室周りの取材が制限された。また、馬主会は、GI出走馬の馬主以外の入場を自粛するようになった。
4月に入ってからも、競馬場やトレセンで、人と人との接触を少なくするための対策が取られ、大阪杯が行われた無観客競馬6週目を前に、JRAから、騎手たちに不要不急の外出を控えるよう通達が出された。
東京など7都府県に緊急事態宣言が発令されたのは4月7日(火)のことだった。桜花賞(4月12日)を含む無観客競馬7週目を迎えるにあたり、競走馬の他ブロック競走への出走制限、騎手の移動制限などの措置が発表された。また、競馬場、トレセンへの取材規制がさらに強められ、記者クラブ加入社や専門紙の記者など、一部の取材者しか入場できなくなった。
皐月賞が行われた無観客競馬8週目からは、GI出走馬の馬主も入場を自粛することになった。その週の月曜日には、日本騎手クラブが観戦拡大防止を支援するための基金を積み立てることを発表。金曜日には、地方競馬との交流競走の一部を取りやめるむね、JRAから発表があった。
当然と言うべきか、私の仕事にも影響が出ており、普通なら会って話を聞く取材が、現時点で2本、電話取材になった。
少しでも移動を伴う仕事は断りたいのだが、働かないと食えなくなる。
働くことをここに書くのを恥ずかしく感じるというのは、悲しい。しかし、今は、自分が無症状感染者だと思って行動すべきという考え方には賛成だ。外で動くことを極力避けなければならない。
「働く」という字は、「人」が「動く」と書く。
武田鉄矢さんのようなことを言ってしまったが、本来、人は、動くことによって何かを生み出し、社会における自身の存在意義を見つけ、価値ある一個人となる。
それができないのは、つらいし、苦しい。「休業と補償はセットで」と言われているが、「働けなくなること自体の苦しみ」に、もっと目を向けるべきだろう。
私の仕事は、例えば、スターホースの動向を取材して書いたノンフィクションであっても、競馬ミステリーであっても、いわゆるエンターテインメントであることに変わりはない。私にとっては仕事だが、世の中のほかの人々にとっては「不要不急」の遊びにほかならない。それもまた悩ましい。
日本最大の書店グループである紀伊國屋書店の店舗で、今営業しているのは3分の1以下だ。それとてほとんどが時間を短縮しての営業である。
また、全国の競馬場やウインズのターフィーショップもすべて休業中だ。
数百円や、高くても千円台の書籍の(おおむね)10パーセントの印税を収入源としている作家にとって、これは痛い。
今ちょうど、全国の競馬場やウインズ、Aiba、テレトラックなどに置かれているフリーマガジン「うまレター」5月号の連載エッセイのゲラのやり取りをしている。本来なら、5月1日に配布が開始される号だ。浜近英史編集長によると、コロナ禍が始まってからも、従前どおり、競馬場などへの配本はつづけているという。コロナ禍が収束して競馬場などに観客を入れるようになったら、3月号、4月号もまとめて置かれるようだ。
この先、売り場がどうなるかわからなくても、発刊予定に組み込まれている限り、私としては、書くしかない。
昨日、ようやく、競馬ミステリー第4弾『ノン・サラブレッド』の第1稿を担当編集者のハンちゃんに送ることができた。解説は、大学の先輩でもあるKさんにお願いしたいと思っているのだが、断られると困るので、名前は伏せておく。
実は、『ノン・サラブレッド』を100ページほど書いたところで、前提の部分に大きな矛盾というか、齟齬があることに気づき、愕然として1週間ぐらい何も書けなくなった時期があった。JAIRS、馬の博物館、社台SS、新冠牧場、浦河馬事資料館などに取材し、私の話を聞いてもらったうえで書いたので、「どうして誰も気づいてくれなかったんだ」と逆ギレしたくなる気持ちを抑え、ない知恵を絞り、どうにか書き上げた。書いている間、これに関しては1円も入ってこないのだが、今思えば、「仕事をしている」という事実だけで幸せだった。
桜花賞も皐月賞も、無観客になったのが返す返す残念な好レースになり、とてつもなく強い無敗馬が頂点に立った。
このところ同じことばかり言っているが、こんなときでも競馬を見られる幸せを、味わいつづけたい。