波乱を起こすとしたら「皐月賞善戦組」
グレード制が敷かれた1984年以降、「3戦3勝、4戦4勝」で日本ダービーに挑戦した馬は計8頭。うち7頭が1-3番人気になったが、その成績【1-0-0-7】。勝ったのは2005年ディープインパクトだけという不思議な記録がある。しかし、重箱の隅…のようなジンクスは、父ディープインパクトの最良の後継馬にもなろうかというコントレイルには無縁か。皐月賞で土はついたが、同じくハーツクライの最良の後継馬となって不思議ないサリオスにも……。高速の芝なのにスローはありえるが、乱ペースにはなりそうもない。
例年、新星が誕生する青葉賞の勝ち馬は、皐月賞5着のサトノフラッグに弥生賞で完敗していた馬。京都新聞杯の勝ち馬は皐月賞10着馬であり、プリンシパルSの1着馬は皐月賞14着馬。コース、距離は変わるが、いきなり力関係激変の可能性は低い。
皐月賞を勝ったコントレイル、半馬身差2着サリオスを同ランクとすると、そのあとは3馬身半も離れていた。上位馬にこんな差がついたのは珍しい。1984年以降では、脚部難で日本ダービー不出走の1985年の2冠ミホシンザン(2着に5馬身差)、1994年の3冠馬ナリタブライアン(2着に3馬身半差)、2011年の3冠馬オルフェーヴル(2着に3馬身差)以来の大きな差だった。
つづく2馬身半差の完勝が、1987年の2冠馬サクラスターオー、1992年の2冠馬ミホノブルボン、2005年の3冠馬ディープインパクト、2012年の2冠馬ゴールドシップであり、ほかに2008年のキャプテントゥーレの2馬身半差があるだけ。皐月賞で決定的にも近い3馬身半の差をつけた2頭(コントレイル、サリオス)には、歴代の名馬に並ぶような大きな可能性を示す記録と思える。
近年はレース数を絞ると同時に、ステップも多様化するが、有力馬の大半が皐月賞出走馬なのは不変。過去10年、日本ダービーで3着以内に快走した30頭のうち「20頭」が皐月賞組(連対馬20頭では15頭)。まして挫折馬の少ない今年は、18頭中13頭が皐月賞出走馬でもある。皐月賞組の1-2着独占が10年間に5回もある。
では、皐月賞は別扱いとして、「日本ダービーを前に、30頭は3歳になってどんなレースに出走していたのか」(ダブる馬もいる)。ベスト5は以下の通り。
▽弥生賞…………9頭(勝ち馬4頭)
▽共同通信杯……8頭(勝ち馬2頭)
▽スプリングS …6頭(勝ち馬3頭)
▽青葉賞…………5頭(勝ち馬0頭)
▽京都新聞杯……4頭(勝ち馬2頭)
もし、皐月賞で1-2着した人気の2頭が能力全開とならない波乱があるとしたら、今年は「皐月賞善戦組」だろう。その筆頭は、弥生賞馬サトノフラッグ(2着ワーケア)。皐月賞3着ガロアクリーク(スプリングS1着)、共同通信杯1着ダーリントンホール、スプリングS2着ヴェルトライゼンデをピックアップしたい。なかでは、皐月賞は心身のリズムもう一歩で凡走したサトノフラッグの巻き返しに大きく注目したい。意外なスローになるようだと、武豊騎手のロングスパートもありえる。