▲16年お世話になった美浦から栗東へ、騎手人生のターニングポイント (C)netkeiba.com
先月24日に現役を引退した中谷雄太元騎手。最終騎乗目前での引退発表とあって、メディアでは“電撃引退”と報じられましたが、自身の中では長く悩んだ日々が続いていたと言います。
引退を決意するに至った本当の理由は何だったのか、勝負の世界に生きる中でどんな葛藤があったのか――今まで語られなかった胸の内を独占告白。4日間連続のロングインタビューでお届けします。
(取材・文=不破由妃子)
※このインタビューは取材対象者と十分な距離を保ち、換気も行いながら実施しました。
トップステーブルにお世話になる喜びとプレッシャー
──加藤征弘厩舎に所属したことがきっかけとなり、リスタートが切れたというお話でしたが、確かにその後は勝ち星こそ波がありながらも、騎乗数は目に見えて増えていきましたよね。
中谷 そうですね。そんななかで、「関西馬にも、もっと乗りたいな」という気持ちが強くなっていって。当時、矢作先生とは、関係者の食事会や飲み会でよく顔を合わせていて、「お前、どこにでもいるな」なんて言われながら、お話する機会が増えていたんです。
その流れで、「栗東に行きたいので、厩舎を手伝わせてもらえませんか?」とお願いしたのが始まりで。「うちは来る者は拒まずだから、別に手伝いに来るのは構わないよ」と言っていただき、最初は2013年の暮れの中京開催の1カ月間のつもりで来たんですけど…居心地が良すぎて、年明けにまた来ちゃいました(笑)。
その中京開催の1カ月間では、矢作厩舎の馬には1鞍しか乗っていないんです。それでも栗東にいたかった。ちょうど2014年の年明けの開催が中京→小倉→中京だったんです。で、「それなら中京が終わるまでの3カ月は関西を拠点にしたい」と思って、結局そのまま居付いちゃった感じです。
──今となっては、そのときの決断が中谷さんのジョッキー人生を変えたわけで。ホントにタイミングって大事ですね。
中谷 はい。でもね、栗東に来て2〜3カ月経った頃だったかな、朝起きたら天井がグルグル回ってたんですよ。
──天井がグルグル!?