どこまで好調を維持するか興味深い一方…
先週の競馬では逃げ切り勝ちが目立った。特に7月5日(日)は、函館メインの巴賞でトーラスジェミニが、CBC賞でもハンデ51kg、13番人気のラブカンプーが、さらにラジオNIKKEI賞でも内田博幸騎手に乗替ったバビットが逃げ切った。地方競馬では水沢の栗駒賞で中央から移籍2戦目のプレシャスエースが逃げ切り、さらに夜になってイギリスのエクリプスSでもガイヤースが逃げ切った。
3日ほどさかのぼって2日(木)の門別でも、1000mの重賞・グランシャリオ門別スプリントをコースレコードで逃げ切ったのが、3歳牝馬のアザワクだった。2歳時にはJpnIIIのエーデルワイス賞でも2着などその後の活躍が期待されたが、3歳になっての重賞初制覇。鞍上は、デビュー2年目の小野楓馬騎手。3歳牝馬で別定51kgという斤量ゆえ巡ってきたと思われるチャンスで、思い切った見事な騎乗だった。
びっくりさせられたのは、そのグランシャリオ門別スプリントの数時間後。ホッカイドウ競馬から送られてきた『発売金額レコード更新について』というリリースだ。
この日の門別競馬1日の売上、11億3944万5570円が、ホッカイドウ競馬における1日の売上のレコードを更新。さらに前週から6日間開催の1開催での売上でもレコードを更新したと。
グランシャリオ門別スプリントが中央との交流レースなどではなく、地元馬限定の重賞という日のレコードということでまず驚いた。要因のひとつに、この日ほかに開催されていた地方競馬は浦和、園田だけ、門別がナイター単独開催だったことが挙げられるが、それにしても11億円にはびっくりだ。
さらに1日発売額の従来の記録(11億987万9300円)が、1991(平成3)年10月10日で、29年ぶりの更新だったことにも驚いた。
平成3年といえば、バブル景気は後退期に入っていたが、地方競馬全体で年間売上のピーク、9862億円を記録したのがまさにこの年。10月10日は札幌競馬場で第3回ブリーダーズゴールドCが行われた日だった。
中央と地方の交流はごく限られたレースでしか行われていない時代で、地方での交流重賞は大井の帝王賞と、平成元年に新設された、このブリーダーズゴールドCだけだった。この年、勝ったのは中央のカミノクレッセ。大差はついたが2着が岩手のスイフトセイダイ、3着が地元北海道のタキノニシキ、4着が笠松のタイプスワローと、地方馬が中央馬と互角に戦える元気な時代だった。
当然のことながら、馬券の広域的な場外発売などは行われておらず、発売されていたのは札幌競馬場の本場と、道営の専用場外だけ。もちろんこの時代、地方競馬には電話投票などもない。体育の日の祝日とはいえ、北海道だけで1日に11億円も売れたのはすごい。
地方競馬では一部地域で、近隣の主催者同士で試験的に場外発売を実施しているところもあったが、広域の主催者をまたいでの場間場外発売が行われたのは1996(平成8)年8月15日の旭川・ブリーダーズゴールドCが初めてのこと。
主催者をまたいでの広域場外発売がなかなか進まなかったのは、「他場の馬券を売れば、それだけ売上を奪われる」という考えがあったから。ネットでの発売が売上の多くを占めるようになった今では考えられないことだ。
新型コロナウイルスの影響で無観客開催となって以降、地方競馬の売上が伸び続けている。無観客となった直後の3月こそ、地方競馬全体の1日平均で前年同月比93.8%とやや落ち込んだが、4月は119.7%、5月は127.6%と伸びた。
ネットのみの発売となっての、この売上の伸びの要因は何か。この間、プロ野球やJリーグなどのメジャースポーツがストップしていた。夜の飲み屋も休業要請となった。今でもまだ外に大人数で飲みに行くのはやめておこうという人も多いだろう。平日夜の娯楽として地方競馬が売れたのだろうか。この売上の伸びがどこまで続くのかは、ちょっと興味深い。
と同時に、いつかは再び来るであろう落ち込んだときのことも今から考えておく必要はありそうだ。