今月8日、中・長距離戦線で活躍したラスカルスズカ(セン馬、父コマンダーインチーフ、母ワキア)が疝痛のため、繋養先のホーストラスト北海道で世を去った。24歳だった。
稀代の快速馬サイレンススズカの半弟として注目されたラスカルスズカは、武豊騎手を背に、旧4歳だった1999年6月に函館芝1800mで行われた4歳未勝利戦を5馬身差で圧勝。2戦目の北洋特別では古馬勢を3馬身差で切って捨て、つづく日高特別で3連勝を決めた。
次走の神戸新聞杯で3着となって菊花賞の出走権を獲得。菊本番では蛯名正義騎手が手綱を取り、皐月賞馬テイエムオペラオー、ダービー馬アドマイヤベガ、そしてナリタトップロードの三強に次ぐ4番人気に支持されて、3着。勝ったナリタトップロードからクビ差の2着がテイエムオペラオーで、さらにクビ差という接戦だった。
柴田善臣騎手が騎乗したジャパンカップではスペシャルウィークの5着。翌2000年の初戦、武騎手に手綱が戻った万葉ステークスを勝ち、オープン初勝利を挙げる。
次走の阪神大賞典ではテイエムオペラオーの2着に敗れるも、ナリタトップロード(3着)にはクビ差先着した。そしてつづく天皇賞・春。出走馬は12頭。道中は縦長になった馬群の後方で折り合いをつけた。ライバルのナリタトップロードは4番手、テイエムオペラオーは7番手。ラスカルスズカはその3馬身ほど後ろにつけている。
3コーナーで急に馬群がかたまり、まずトップロードが動いた。すぐさまオペラオーが外から並びかけようとする。武騎手は、ナリタタイシンでビワハヤヒデとウイニングチケットを差し切った1993年の皐月賞のように、二強がやり合っている、その隙を突く狙いなのか。ラスト600mで軽く仕掛け、二強が併せ馬の体勢になってから、直線入口でゴーサインを出した。
そこから一気にかわしたかったところだが、さすがにオペラオーは強かった。ラスカルスズカは懸命に末脚を伸ばしたが、オペラオーに3/4馬身及ばぬ2着に敗れた。さらに3/4差の3着はトップロードだった。
次走の金鯱賞は3着。つづく宝塚記念では、序盤は後方につけながら、向正面で内から一気に進出する奇襲をかけ、3コーナーではオペラオーより前に出ていた。そのまま内から先頭に立って直線に入り、スタンドを沸かせたが、オペラオーの5着に終わった。
相手を絞り、「この馬に先着することが自分の勝利につながる」という、武騎手ならではの凄味のある騎乗を見せたものの、ここまでだった。
その後も、2002年の中山記念で3着になるなど活躍したが、2003年のマーチステークスで12着に敗れたのを最後に、屈腱炎のため引退。2004年からブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となった。産駒には、現役時代5勝を挙げたほか、2009年の阪神牝馬ステークスで4着になるなど活躍したサワヤカラスカル、マイラーズカップと毎日王冠2着、エプソムカップ3着と健闘し、マイルチャンピオンシップに2度出走したサンレイレーザーなどがいる。
ラスカルスズカは、2010年限りで種牡馬を引退したあとノーザンホースパークで乗馬となり、乗馬引退後、2017年4月から、岩内のホーストラスト北海道で余生を過ごしていた。
重賞未勝利というのが意外に思われるほど、大舞台で存在感を示した。その力強い走りで、惜しまれながら世を去った半兄サイレンススズカと共有する血の力の素晴らしさを再認識させてくれた。
一昨年、本稿でも紹介したことがあるのだが、ホーストラスト北海道代表の酒井政明さんによると、ラスカルスズカは気が強く、基本的にひとりでいることを好んだという。
「ほかの馬と一緒に集団で放牧しても、自分から輪のなかに入っていくことはできませんでした。もともと疝痛を起こすことが多かったので、夜は厩舎に入れて、昼間は1頭で放牧していました」
私が見に行ったときも、ラスカルスズカは厩舎のなかにいた。
ホーストラスト北海道で余生を過ごしていたラスカルスズカ。2018年撮影。
ずっと1頭でいることが多かったのだが、昨年、トウショウビーム(セン馬、17歳)が入ってきてから、少し状況が変わった。
「ラスカルと似た性格の馬だったので、同じ放牧地に入れてみたんです。すると、互いに距離を置いてはいましたが、一緒にいても大丈夫になりました。集団放牧できるかどうかには向き、不向きがあって、特に、種牡馬を経験した馬は、時間のかかることが多いですね」
そう話した酒井さんも、現役時代からこの馬が好きだったという。
「ファンが多く、うちの施設では、断然、見学に来る方が多かったですね。今月7日に疝痛を起こして、一時は落ちついたのですが、翌朝また痛がって、治療をしたのですが、亡くなってしまいました」
検体の結果、胃袋を押さえる大網(だいもう)という組織が老化のためはがれ、ねじれて糸状になり、腸に絡まっていたという。
「そこから来る痛みだったようです。獣医さんには老衰と変わらない状態だと言われました。それでも、いつも、もうちょっとどうにかできなかったものかと反省しています。仕方ない、で済ませては、頑張って生きた馬たちに申し訳ないですから」
酒井さんはそう話すが、私は、ラスカルスズカが競馬場で走っている姿と、ホーストラスト北海道で酒井さんたちに大事にされて寛いでいた姿しか見ていない。私が知っているラスカルスズカは、頑張って自分の仕事をし、そして、幸せな余生を送って旅立った。
天国でものんびり過ごしてほしい。