実際に、クレッグハンマーを用いて測定している様子。1回につき4回おもりを落下させ、その4回目の数値を当該箇所の測定値とするという
多くの競馬ファンができるだけ詳細に知りたい情報のひとつが、当日の馬場傾向。さまざまなデータを駆使する近年の競馬予想において、馬場の情報をいかに取り入れるかは大きなテーマでもある。2020年9月11日、JRAの発表する馬場情報に新しい指標が加わる。
―――「クッション値」。文字通り、馬場のクッション性を数値化したものだが、具体的にはどのようなものなのか? 果たして、予想に影響を与えるような新たな指針となるだろうか? 全3回にわたり、この新要素『クッション値』について識者の見解を紹介していく。
1回目の今回は、JRA施設部専門役(馬場土木担当)・長岡慶幸さんに話をうかがった。※本インタビューは電話取材にて行いました。(取材・文・構成=緒方きしん、写真提供=JRA)
馬場のクッション性を毎週公開! その狙いとは?
―――新しく公表されるようになる「クッション値」。競馬ファンも注目するところですが、その詳細について教えてください。「クッション値とは、競走馬が走行時に芝馬場に着地した衝撃を受け止める際の反発具合を数値化したもののことです。さらにクッション値をもとに、『硬め・やや硬め・標準・やや軟らかめ・軟らかめ』とわかりやすい形で、5段階で分類したクッション性の評価基準も併せて掲載します。これによって、ファンの皆様は各競馬場における馬場の反発具合を知ることができます。クッション値は、現在JRAのホームページ上で公表されている馬場情報のページに掲載される予定です」
今後、開催前日の午前中と開催当日の7時〜8時半頃に計測したクッション値が、それぞれ開催前日(金曜日)の昼過ぎ、開催当日の9時30分頃に発表されるようになる。
このクッション値という数値は、大きければ大きいほど反発の大きい馬場状態=硬め馬場ということを示す。陸上競技場のトラックに使われているゴムチップ舗装であればクッション値は『22』、調教で使うウッドチップコースであればクッション値は『4』。ウッドチップコースの軟らかさは、反発が少なくタイムも出にくいクッション性ということがわかる。実際の馬場では『12』以上が硬め、『7』以下が軟らかめという評価基準になっている。
―――このたび、新たに『クッション値』の公表に踏み切った理由を教えてください。「現在、JRAでは馬場状態を『良・稍重・重・不良』の4段階で評価していますが、良馬場の範囲というのはかなり広いのも事実です。この広い良馬場範囲を細分化するための指標として、2年前に含水率、そして今回、新たな指標としてクッション値の情報提供に踏み切りました。2013年に、今回使われるクレッグハンマーという測定器を導入し、芝馬場のクッション性測定を開始しています。もともと、馬場の管理をするうえでクッション性の確保は重要課題でした。開催をやっていない期間にエアレーションを実施するなどさまざまな対策をしていますが、その効果測定としてクレッグハンマーを使用していました。その後、データの蓄積によりクッション性測定器としての有用性・正当性が確認されたため、馬場に関する透明性を高めていく意図も含め、ファンの方々へ公表することになりました」
じつは過去30年間、JRAは『硬度測定車』という専用の車両によりクッション性を計測してきた。しかし車両を使用することで、馬場コンディションによっては轍(わだち)が残るという懸念があった。さらには計測に3〜4時間ほど要するという問題もあったため、当日のデータ発表というのは現実的ではなかった。しかし、クレッグハンマーの導入によって、約30分程度で計測が完了するようになったため、当日朝の値を計測するのも可能になったのだ。
クッション値と馬場表層状態の相関関係を表した表。反発性の高い馬場状態ほどクッション値は高くなる
より詳細な情報をファンに! 馬場状態の細分化を可能にする新機軸へ
―――すでに毎週発表されている『含水率』との違いはどこにありますか?「大きな違いは、その測定対象の『層』です。馬場表面ではなく少し下層(表面から5〜10cmの深さ)の水分状態を測定する含水率と違い、クレッグハンマーによる計測は表層の芝草(地上部の葉茎や地下部の根茎)部分を含んだ『芝馬場表層全体』を測定対象にしています。つまり、含水率は芝部分ではなく、その下にある路盤砂の軟らかさに関係してくる数値ですが、クッション値は芝を含んだ計測値になります。もちろん、路盤砂が水分を含んで軟らかければ馬場全体も軟らかくなるので、含水率とクッション値に相関関係はありますが、測定対象が異なっているので、クッション値はやはりこれまでにない新しい指標といえます」
クレッグハンマーでの計測では、1回につき4回おもりを落下させ、その4回目の数値を当該箇所の測定値とする。この計測方法により、表層の芝草(地上部の葉茎や地下部の根茎)、そして路盤といった、芝馬場表層全体の値を把握することができる。
芝そのものでもクッション値は変わるため、洋芝の北海道開催ではクッション値が低めで、野芝であればクッション値が高めで計測される。水分量を測るだけだった含水率と比べ、芝の種類ひとつをとっても明確な差が出てくるのが、この『クッション値』の特徴のひとつだ。
この図を見ても、『含水率』と『クッション値』の測定個所はまったく異なることがわかる
―――海外では別の機器を用いて計測した『馬場硬度』を発表している国もあるようですが、違いはあるのでしょうか?「確かに世界の競馬強豪国にも、馬場の状態・硬度を公表している国はあります。実際にそうした国々で使用している機材は、JRAでも実験的に使用したことがあります。フランスではペネトロメーター、英米ではゴーイングスティックという計測器が主に導入されていますが、これらは金属棒を馬場に突き刺すことで硬さを調べる計測器です。しかし、それらは細い根が下方向に伸びる洋芝では有効な方法ですが、日本の多くの競馬場で導入されている野芝では横断方向にほふく茎と呼ばれる強靭な根が発達し、この根に当たるかどうかでデータにバラつきがありました。そこで、野芝にも正確性を損なわず適用できる測定器として導入したのがクレッグハンマーでした」
今回、JRAで導入されたクッション値のポイントは『馬場を、点ではなく面で捉える』ということにある。クレッグハンマーでは前述の通り、金属棒を突き刺すのではなくおもりを落下させることで反発力を計測する。
サッカーやラグビーの芝生においてはすでに使用実績のある信頼性の高いものであり、海外でも香港・シャティン競馬場のオールウェザーで実績がある。しかし、競馬の芝コースで使用するのは世界的にも希少なケースらしく、導入から発表に至るまでに年月を要したのも頷ける。
昨年には海外の主要競馬場でクレッグハンマーによる計測を実施し、おおむね標準〜軟らかめの間に収まることも確認。馬場のクッション性から世界との共通点や差異まで判明しそうだ。
実際の測定で使用されるクレッグハンマー。人力で持ち運ぶことができ、従来よりも正確かつ容易くクッション性を測ることができるようになった
従来の『馬場の常識』を突き破れるか? 内・外における『クッション値』
―――今回は内柵から2〜3m地点の平均値での公表となるそうですが、馬場の内・外のクッション値に差はないのでしょうか?「内外の違いでは、クッション性にそれほど差がないことが明らかになりました。ただ測定条件を合わせるため、クッション値を計測するのは芝のある地点となります。開催が進むと芝が掘れてしまいますが、そういう箇所は避けて測定しています。また、内外を分けての発表となると数値が複雑になるデメリットもあり、わかりやすさを追求した結果、平均値での公表となりました」
クッション値の計測地点は、ゴール前から4コーナーにかけての各ハロン地点で5箇所ずつ。その平均値を算出し、『クッション値』として公表することになっている。内側の馬場の荒れについては計測対象になっていない点には注意が必要ではあるものの、従来の「開催後半は馬場状態(クッション性)が内・外で差が出る」というイメージは、それほど正しいものではないようだ。
クッション値の公表により、さまざまな観点で馬場状態の真相を想像できるようになるのは、競馬ファンにとって大きな変化であることは間違いないだろう。JRAもクッション値の測定前には必ず、異常値が出ないかの機器テストを実施し、さらには各競馬場に予備機を配置するなど、正確性が高い情報の提供に向けて万全の態勢を整えている。
―――このクッション値は、実際のレースにはどのような影響がある値なのでしょうか?「展開にも左右されるので一概にはいえませんが、数値が高くなると馬場は『硬め』となるため、タイムは速くなる傾向にあります。もちろん、相手関係や展開など他のファクターも絡んでくるので確実なものではないですが、馬場を考えるための新しい要素としては機能するはずです。このクッション値から、新しい傾向などを見つけていただき、新しい予想ファクターとして活用してもらえたらと思っています」
クッション値の反発具合のイメージ図。蹄が地面を捕える芝表層部分を計測対象としており、新たな予想の指針となるか
このようにして提供される、新要素「クッション値」。馬場の硬さ・軟らかさを知るのには、かなり有用性の高い情報になる。一方で、まだまだ未知のデータであることは間違いなく、向き合い方に頭を悩ませるところだ。果たして、馬券巧者たちはこの新要素をどう捉えるのだろうか? 次回は、穴の万哲ことスポニチ・小田哲也記者に見解をうかがっていく。