いよいよ明日30日から園田競馬場でも一般ファンの入場が再開されます。園田では3月から始まった無観客競馬。その間、新聞社に属さない私も写真撮影は許可されたものの、検量室付近への立ち入りや、関係者への直接の接触が禁止となり、電話取材をするか、遠くから眺めて想像を膨らませる日々でした。
最も想像を膨らませたのは今月24日に行われた地方全国交流重賞・園田プリンセスCで撮影した1枚。ある専門紙記者のひと言がきっかけで、よ〜く見直してみると、そこには2013年に廃止された福山競馬場と、それを愛する人々の姿が浮かんできました。そんな「ちょっと馬ニアックな世界」を今週も覗いてみましょう。
勝負ズボンに刻まれた廃止競馬場
9月24日に行われた重賞・園田プリンセスC。2歳牝馬による戦いで、今年も北海道勢が強く、勝ったのはラジアントエンティ(北海道・角川秀樹厩舎)で、2着に北海道デビューから兵庫に移籍したアイルビーゼア(兵庫・新子雅司厩舎)、3着マイハンプス(北海道・斉藤正弘厩舎)という結果でした。
レースから一夜明けた日のこと。
「昨日、3着だった松井伸也騎手(北海道)の勝負ズボン、見た?」
園田・姫路の専門紙・競馬キンキの中司匡洋記者から聞かれました。はて、何のことだろう?と思って撮影した写真を見返してみると、マイハンプスに騎乗する松井騎手の勝負ズボン右側に「福山魂」との文字が入っていたのでした。
▲マイハンプスの本馬場入場での1枚。この大きさではなかなか気づかないのですが……
▲拡大してみると、たしかに「福山魂」の文字が!
「俺も気になってたんやけど、レース後のコメントを聞くのに精一杯で、『福山魂』のことまでは聞けへんかってん」と中司記者は残念そうに話しました。(専門紙・スポーツ紙の記者は通常通り取材ができます)
現在も高知で生き続ける福山けいば
松井騎手は2002年4月、広島県の福山競馬場でデビューした35歳。デビュー年は9勝にとどまりましたが、着実に勝利を積み重ね、2010年には47勝を挙げて福山リーディング10位に入りました。その後、2013年3月末に福山競馬場が廃止されるまで11年間、福山で騎乗し、廃止後に北海道へ移籍したのでした。※勝利数は福山のみ
ちょっと気になって、「福山魂」でインターネットを検索してみると、高知競馬場で今年3月に第2回が開かれた「福山けいばメモリアル競走」の写真を発見。その騎手紹介式でも「福山魂」の勝負ズボンを履いていました。
「福山けいばメモリアル競走」とは、2016年に第1回が行われ、福山けいばにかつて所属していた騎手のほか、広島県出身だったり期間限定騎乗を行ったことがあるなどゆかりのある騎手が集まって、実施される騎手交流レース。
その騎手紹介式や、福山けいばメモリアルの実況を担当した西田茂弘アナウンサー(元福山けいば実況アナウンサー)は今年、4年ぶりとなる第2回開催を前にこんなことを話していました。
「普段、調教やレースに乗ってらっしゃる高知の騎手がいる中で、騎乗馬をお借りしてメモリアル競走をさせていただくことは本当に感謝の気持ちでいっぱいです。だから、4年に一度くらいがちょうどいいんじゃないかなって個人的には思っています」
▲現在は笠松競馬場や門別競馬場などでレース実況を行う西田茂弘アナウンサー(左)
写真は東川公則騎手の引退セレモニーでの一幕
こうして相手を思いやる優しさに溢れた福山の人々だからこそ、メモリアル競走も実現したのでしょう。
そして、西田アナによると松井騎手の「福山魂」ズボンは「遠征に行く時は結構意識して履くようにしているみたいです」とのこと。
廃止から7年が経った今も、騎手として育った場所への愛着を感じます。
▲「福山魂」の文字は右足にだけ入っているため、右回りコースではレース中には見えません
ちなみに、今年の福山けいばメモリアルの騎手紹介式で松井騎手は西田アナから福山時代の思い出に残っている馬を聞かれ、「初騎乗・初勝利を挙げたアサヒサンダーと、良くも悪くもモナクカバキチです」と答えていました。
モナクカバキチは地方競馬平地最多勝記録の55勝を挙げた馬で、松井騎手は同馬とのコンビで6勝を挙げました。
「調教では気難しい面がありましたが、レースでは真面目で、いろいろ学びました」ということです。
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こうして園田プリンセスCの1枚の写真をきっかけに調べていくと、在りし日の福山けいばやそこで戦っていた人馬の姿が見えてきました。
「新型コロナウイルスのせいで取材ができない……」とフラストレーションを抱える日々でしたが、普段通り取材していたら、もしかしたら何となく見過ごしていたかもしれません。
少しずつ変わっていく新たな日常も、いいものかもしれませんね。