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牧場を貸すことに―救世主の正体編―

  • 2020年11月25日(水) 18時00分

10代で夢見た牧場経営 ようやく掴んだラストチャンス


 前回に続いて、牧場を賃貸することになった件について書く。前回、イニシャルでFさんと紹介したが、本名は、藤原照浩さんという。千葉県佐倉市出身の43歳で、今年7月末まで町内のとある牧場に19年間勤務してきた人だ。生産の現場で、出産、種付けから離乳、さらに1歳馬までと生産牧場の飼養管理全般を担ってきたので、経験は十分と言える。

 藤原さんと競馬との出会いは高校1年生の時に遡る。「たまたまテレビでトウカイテイオーのラストランを見ていて、おやっ?と思ったんです。それで、だんだんと競馬を見るようになりました」という。

「その後、1994年には、ナリタブライアンが3歳(当時の馬齢表記では4歳)で3冠馬になり、中山競馬場や東京競馬場にも通うようになりました。もちろん高校生ですから馬券は買えないので、ただ競馬場でレースを生で見るのが楽しみでしたね」(藤原さん)

 10代後半の高校生は、知識欲が旺盛な時期である。ますます競馬に惹かれるようになった藤原さんは、この頃すでに「将来は北海道に行って馬の生産牧場を持ちたい」という意思を固めたのであった。

 高校卒業後は、迷わず北海道の大学を選んだ。将来、牧場を開設するための基礎知識を学ぶために、帯広畜産大学に進学した。

「帯広はとても広々とした街で、他の学生の多くは車を所有していましたが、私は自転車で我慢し、アルバイトでお金をためては海外の競馬場巡りに出かけていました。高校の同級生だった秋山響(現・海外競馬評論家)と一緒に行くことが多かったですね」とのこと。

 そんな折、藤原さんが大学2年生の時に、父親が急逝してしまう。しかし、当初の夢はいささかも揺るぐことなく、大学卒業後は迷わず日高にやってきて、生産の現場で経験を積む道を選んだ。

 大学の後輩になる現夫人も、藤原さんに1年遅れて浦河のとある牧場に就職し、20代後半に結婚、2人の小学生の子宝にも恵まれた。

 そして、今回、縁あって私の牧場を借りて頂くことになったのは、前回紹介した通りだ。

 藤原さんは言う。「43歳という年齢は、たぶんラストチャンスだと思います。これ以上年齢を重ねて行けば行くほど独立が難しくなりますし、かといって、あまり若いうちだと経験がまだ足りないので分からないことだらけです。もちろん私もまだまだ勉強しなければならないことが多く、牧場経営を軌道に乗せるまでは大変だろうと覚悟はしています。でも、やっと自分の牧場が持てるようになったという安堵感も大きいですね。とにかく、何とか末永く生産牧場としてやっていきたいと思っています」

 本来であれば、牧場賃貸である以上、すべて空き家にしてそっくりお貸しするのが筋ではあるだろう。だが、前回触れたように、私の牧場には現在、功労馬が数頭在厩しており、当面はそれらと藤原さんの馬とが「同居」する形となる。かなり変則的な賃貸契約だが、なるべくお互いに協力し合いながら、しばらくの間は共同作業を続けるつもりでいる。

 それにしても、生産牧場を開設しようとすると、何をするにもそれなりの資金力が必要だ。先月初旬、さっそく傷んだ牧柵を更新する作業を開始したものの、藤原さんともどもまず考えたのは「あまりお金をかけない」ということであった。

 牧柵は普通、木材の立て杭と横板で構成される。新品の場合、立て杭は2.4メートル(地中に60〜80センチ程度埋めるので実際の高さは1.6〜1.8メートル程度になる)を2メートル間隔で立てて行き、横板(4メートル)を二段、あるいは三段に打ち付けて行く。

 三段に打ち付けて行くと、メートル当たりの単価はざっと3000円である。つまり、100メートル分の牧柵を三段で作ると30万円のコストになる。

 それに、例えばエゾシカ侵入を防止するためのネットを張ったり、作業を外注するとなればさらに費用が膨らむ。

 いくら零細規模とはいえ、生産牧場の牧柵は総延長が数千メートルに及ぶ。そのために、まだ使えそうな中古牧柵を他の牧場から譲り受けたりしながら、作業を進めて来た。まだまだ修理する箇所が山ほどあるのだが、それらは来シーズンにかけて少しずつ進めるしかない。

 “家主”である私としては、せっかく借りて頂くことになったとはいえ、あっちもこっちも手を入れなければならないところだらけで誠に申し訳ない限りなのだが、藤原さんの牧場がなるべくスムーズにスタートを切れるように協力するつもりでいる。

 明日、新たに藤原さんが預かる繁殖牝馬が2頭、移動してくることになっている。すでに今月初旬、ストームエンジェルという繁殖牝馬が入ってきており、まず3頭で開業することになる。

生産地便り

藤原さんとストームエンジェル


 今後も折に触れて、藤原さんの牧場のことを当欄で紹介して行きたいと思っている。日高では、後継者不在により廃業、休業に追い込まれるであろう生産牧場が少なくないと思われ、そうした既存の牧場を次世代にいかに繋げて行くかがおそらく地域全体の大きな課題になってくるはずだ。藤原さんのような、独立開業を夢見る若者が一人でも多く生産界に参入し、新たに牧場を開設してくれたら、農地も保持され、牧場が牧場として維持されて行く。藤原さんのケースはそんな流れの中にあってひとつのモデルケースにもなり得ると考えている。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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