ずっと迷っていたのだが、今年も年賀状を出すことにした。郵便は通信手段のひとつなので感染拡大防止には無関係のようでありながら、ハガキという実体のあるものを間接的に手渡しすることになる。そのため、今年は年賀状を自粛するという知人もいる。
私の場合、コロナ以上に、末期がんの父が年内もつかどうかと医師から言われていたので、決めかねていた。
私は毎年、有馬記念が終わってから、印刷した賀状に一筆添えている。今年は有馬記念の翌28日の月曜日に書いて、当日か火曜日に出すことになりそうだ。投函したあとに不幸があった場合はどうなるのか調べてみたら、郵便局に「取戻し請求」というのができるらしい。父は典型的な「KY(空気を読まない)」なので、そうなりそうな気がしないでもないが、年明けまでもってくれという願いをこめて書くことにしたい。
今年3月に亡くなった競馬コラムニスト、かなざわいっせいさんの追悼本『かなざわいっせいさんの仕事』(三才ブックス)は、書店調査などを見ると、まずまず売れているようだ。
序章にあたる「かなざわいっせいさんに捧ぐ」には、コビさんこと小桧山悟調教師、亀和田武さん、有吉正徳さん、乗峯栄一さん、金子茂さん、そして私が寄稿している。かなざわさんと一緒に暮らしていた時期もあったコビさんの追悼文には、亡くなるまでのやり取りなど、初めて知ることも記されていた。悲しくなったが、とてもあたたかい文章だった。かなざわさんを「おいちゃん」と呼んで慕っていた、コビさんの長男の哲平君の本文イラストもとても可愛らしくていい。
最後の章に、かなざわさんの手書きの遺稿が掲載されている。
物書きの仕事というのは、1割か2割の才能と、8割か9割の根気と気力と努力、要は粘り強さが勝負なのだが、かなざわさんの遺稿を見て、その1割か2割の才能に、私のような凡人にはどうにも逆転できない差があることを、あらためて知らされた。
文字によって表現される小説やエッセイ、詩歌などが「文芸」と呼ばれるのは、なるほど、こういうことかと思った。日本語というのは、使い方を変えることによって、こんなふうに気持ちの動きを受け手に伝え、折り重ね方によって自分らしさを出しつつ、ユーモラスにすることも、重々しくすることもできるのだ――ということを、これもあらためて教えられた。かなざわさんの文章は、まさに「芸」なのである。
そんなかなざわさんでさえ、「編集者に目の前で原稿を読まれるときが一番緊張するんだよなあ」と話していたことがあった。ただ楽しんで書いていたわけでもなければ、自身の才能に溺れていたわけでもなかった。
かなざわさんは、ナリタタイシンやマヤノトップガンなどの生産者として知られた川上牧場で「夏期限定牧夫」として働いていたこともあった。そのマヤノトップガンが勝った宝塚記念で大勝負をしたときのエッセイも本書に掲載されている。
トップガンのほか、1992年のシンザン記念を勝ち、ダービーでミホノブルボンの3着となったマヤノペトリュースにも、田原成貴さんが騎乗していた。
先日、成貴さんと電話で話したとき、かなざわさんが亡くなったことを伝えた。成貴さんはかなざわさんと話したことはなく、亡くなったことも知らなかったというが、もちろん、どんなものを書いていた人かは知っており、残念がっていた。
先週の本稿に、成貴さんと最後に会ってから20年近くになる、と書いたが、電話で連絡は取り合っていた(電話でも連絡のつかない時期もあったが)。何人かの編集者に成貴さんを著者とする企画を提案し、回答が保留になっている間に、東スポに先を越されてしまった。
が、これが呼び水になるような気がする。
私が提案している成貴さん関連の企画も、すぐにとは言わないが、実現できると思う。けっして安請け合いしているわけではなく、成貴さんのように、たくさんの人に求められている人は、今の時代、沈黙をつづけることのほうが不自然だからだ。出すぎたことを言うようだが、何かを発信しつづけることも、かなざわさんの本のタイトルではないが、成貴さんの仕事のひとつだと思う。
プロバイダ責任制限法が改正されて、匿名で誹謗中傷する人間の情報開示がしやすくなったら、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを始めるよう勧めてみたい。
今年の本稿の更新はこれで最後になる。1月9日に「令和最初の年末年始」というタイトルで今年の第1回を書いたときは、まさか、こんな年になるなんて思いもしなかった。新型コロナウイルス感染拡大防止のためJRAで無観客競馬が始まったのが2月29日。10月から制限付きで観客を入れた競馬が行われるようになったものの、感染拡大がつづくなか、その制限が取り払われそうな見込みはまったく立っていない。
一日も早く収束し、平時に戻ってくれることを祈りたい。
それではみなさま、よいお年を。