昨年、安田記念、スプリンターズステークス、そしてマイルチャンピオンシップとGIを3勝したグランアレグリアが、4月4日の大阪杯に向かうことが明らかになった。
藤沢和雄調教師が「距離を延ばしていくことも考えている」とコメントしていたとおりの有言実行である。コントレイルやデアリングタクト、クロノジェネシスなど、強豪ひしめく中距離界の争いがますます面白くなりそうだ。
それはいいのだが、私は、スポーツ誌のウェブ連載で、「今年一年の全GIの勝ち馬を予想する」という企画を編集部のリクエストで行い、高松宮記念の勝ち馬をグランアレグリアとしていた。同馬が大阪杯の前週の高松宮記念に出走するわけがないので、GI戦線が開幕する前に、早くもひとつ外れてしまったわけだ。ちなみに、大阪杯の勝ち馬はコントレイルとした。デアリングタクトやクロノジェネシスも出てきたら、今年の大阪杯は、とてつもない超豪華メンバーとなる。
GI戦線の皮切りとなるフェブラリーステークスの勝ち馬は、タイムフライヤー(牡6歳、父ハーツクライ、栗東・松田国英厩舎)にした。2月限りで定年のため引退する「マツクニ先生」こと松田国英調教師が、ここで有終の美を飾る――というドラマに期待した部分も、もちろんある。
個性的で、話が面白く、数々の名馬を育てた伯楽が、またひとりいなくなる。
私がマツクニ先生にたびたび話を聞くようになったのは、ダイワスカーレットが3歳だった2007年ごろからだった。
ダイワスカーレットは、2000mの新馬戦でデビューし、2戦目は1800mの中京2歳ステークス、3戦目は1600mのシンザン記念と、少しずつ距離を縮めながら使われた。「優駿」のインタビューで、その理由を問うと、こう答えた。
「ダイワスカーレットはスピードがあるので、普通なら、使い出しは1400mがいいと思われるはずです。しかし、私は、卓越したスピードがある馬ほど、最初は長いところを使い、道中リラックスして走ることや、タメをつくること、ジョッキーとコミュニケーションをとりながら走ることなどを教えるべきだと思っています。『三つ子の魂百まで』と言うように、最初に1200mや1400mの速いレースをしてしまったら、ずっとそのイメージで競馬をすることになってしまう。そこを勝ったとしても、先々に勝てるレースの幅は狭まりますよね」
マツクニ先生の功績としてまず挙げられるのは、2004年にキングカメハメハで史上初めてNHKマイルカップと日本ダービーの「変則二冠」を制したことだろう。初めて変則二冠獲りにチャレンジしたのは2001年のクロフネで、NHKマイルカップを勝ったが、ダービーは5着だった。翌2002年のタニノギムレットは、NHKマイルカップは3着で、ダービーを制した。毎年のように有力馬をそこに送り込むだけでもすごいが、本当に達成してしまうところが、「伯楽」と呼ばれる所以である。
管理馬にハードトレーニングを課すため、屈腱炎などの故障が多く、陰で「壊し屋」と呼ばれていることを承知していた。「鍛える」ことと「傷める」ことの狭間で感じる恐怖に押しつぶされそうな調教師生活だったのではないか。
もうひとつ、マツクニ先生の大きな功績は、自身の厩舎で仕事をした弟子たちを大きく羽ばたかせたことだ。
友道康夫調教師、角居勝彦調教師、高野友和調教師、そして村山明調教師が、調教助手や厩務員、村山師は騎手として所属し、のちに調教師となって成功した。
周知のように、角居師も、2月一杯で調教師を引退する。
引退を発表したのは3年前、2018年の1月のことだった。そのときから、師匠と同じタイミングで競馬サークルを去ることを意識していたのかもしれない。
マツクニ先生は1950年生まれで、角居師は私と同じ1964年生まれだ。以前も書いたように、私が師と仰ぐ伊集院静氏も、マツクニ先生と同じ1950年生まれである。背中を追いかけるには、このくらいの年の離れ方がいいのだろうか。角居師は、メルボルンカップやドバイワールドカップを勝ったり、牝馬のウオッカでダービーを勝ったりと、師匠を超えたと言える実績を残したが、私にはまだできていない。
マツクニ先生のほかにも、石坂正調教師や西浦勝一調教師など、今年は大物調教師の引退が多い。
今の70歳はまだまだ若い。これもたびたび書いていることだが、一律に定年を区切りとするのではなく、もっと調教師をつづけたい人は、1年引退を延ばすごとに退職金を一定割合で減らしていき、定年で辞めたい人は満額もらえる――という流動的な形にしてもいいのではないか。池江泰郎元調教師がディープインパクトの産駒を管理できないタイミングで引退することになったとき強くそう思ったし、今も同じように感じている。
名馬の代弁者は、そう簡単には現れない。