▲「これまで騎手を続けてきたなかでも特別な1勝」川田騎手がホープフルSを振り返る (撮影:高橋正和)
クラシックに向けたトライアル戦線が開幕。重要レースの弥生賞には、無敗の2歳王者ダノンザキッドが出走予定です。主戦の川田将雅騎手は、これまで数々のビッグタイトルを手にしてきましたが、「ホープフルSは特別な1勝」と言います。
「師匠の安田隆行調教師の管理馬でGIを勝ちたい」――その気持ちが強いあまり、ダッシャーゴーゴーでの二度の降着という、悔しい過去を抱えてきました。悲願から解き放たれた川田騎手がいま改めて、安田調教師やスタッフの皆さんへの思いを語ります。
(取材・構成=不破由妃子)
※このインタビューは電話取材で行いました
目指すべきステージはクラシック
──涙の勝利となったホープフルSは、川田さんの強い思いがダイレクトに伝わってきた一戦でした。今回は、そこまでの過程や師匠である安田隆行調教師への思い、直前に迫った弥生賞も含めた春への手応えなど、いろいろと伺っていきたいと思っています。まずは、初コンビとなった東スポ杯2歳Sから振り返っていただけますか?
川田 当日のテンションがとても高くて、返し馬の時点で「このままだと短いところの馬になってしまう。距離を持たせるのは大変だな」と感じる走りでした。
──そうだったんですね。確か1週前の追い切りに騎乗されて、CWで6F79秒5−12秒1。猛時計といえる数字でしたが、そのときの感触は?
川田 ゆったりしたペースの中、我慢をしながらバランスを整えて走らせて、という初コンタクトでした。なので、この速い時計が出てるとは思ってなかったんです。感覚以上に時計が出るタイプだなと認識しました。走る馬の特徴ですよね。
──レースは3番手から。直線はノーステッキで悠々と抜け出してきましたが、戦前に危惧されていたテンションなどはどうだったのでしょうか?
川田 それほど引っ掛かっているようには見えなかったかもしれませんが、やはり見た目以上に終始前向き過ぎる走りでした。かなり力みが強く、道中は我慢することに重点を置き、直線では今後しっかり身体を使って動くための練習をして、ある程度いい内容で走れましたし、いい勉強になったなと思います。
東スポ杯を勝ったとなれば、当然目指すべきステージはクラシック。でも、このままでは2000m、2400mは難しいと感じたので、そこからホープフルSまでの1カ月間は、走りのバランスや精神状態を整えることを優先して、在厩で調整してもらうことになりました。感じたことをすべてスタッフに伝えた上で、ホープフルSまでにもう少し穏やかに走れるようになることを目標に、密にコミュニケーションを取りながらの1カ月間でしたね。
──厩舎とジョッキーの関係性として、理想的な環境ですね。
川田 もともと所属していた厩舎ですし、なかでも先生の息子さんである景一朗さん(安田隆行厩舎の調教助手)には、弟のように可愛がってもらっているんです。だから、感じたことは正直に伝えます。それに、みんなで結果を出したいわけですからね。一方的に僕の意見を押し付けるのではなく、馬にとってどうやっていくのが最善かを話し合いながら、一緒に方向性を決めて作ってもらっている感じです。
本来、馬作りって、そういうものだと思うんですよね。よりよい結果を得るために、レースまでの時間をどう過ごしていくかが大事。学ぶ過程を必要としない完璧な馬なんていませんから。
──そうした濃密な時間を過ごした上でのホープフルS。東スポ杯からどんな変化を感じましたか?
川田 返し馬の時点で、1カ月でここまで変わってくれたかと思うほど、東スポ杯の返し馬で感じた課題がかなり改善されているのがわかって、素晴らしい1カ月を過ごしたことが伝わってきました。「これなら大丈夫」と思えましたね。
「先生は一度も僕のことを責めずに…」
──スタッフと川田さんの思いに、馬がちゃんと応えてくれたんですね。結果的にではありますが、レース自体は難しいレースだったのでは?
川田 かなり特殊なレースになってしまいましたね。出入りが激しくて、どこを切り取ってもスムーズな瞬間がなく、ずっと何かしらに対応しながらのレースでした。そんななかでも勝ち切れたのは、キッド自身の能力の高さと、やはり中間の調整の賜物だと思います。
もちろん一番頑張ったのはキッドなんですけど、日々改善に努めたのは、担当の上野さん(持ち乗り助手)と景一朗さん(攻め専)。おふたりが積み重ねた1カ月という時間が勝たせてくれたように思います。
──勝利ジョッキーインタビューでは、目に涙が…。
川田 あれはちょっと不覚でした(苦笑)。
──“川田将雅”も不覚を取ることがあるんですね。だいぶ親近感(笑)。
川田 その前に、ホッとした気持ちで引き上げてくる途中、馬場の中まで景一朗さんが迎えにきてくれて。そのとき、景一朗さんが泣いていたんです。
──そのシーン、覚えています。助手さんのお顔は見えませんでしたが、川田さんが涙を堪えているのがわかって。
川田 景一朗さんが泣いているのを見て、こちらも我慢ができなくなりました。
▲「景一朗さんが泣いているのを見て…」堪えられなくなった川田騎手 (撮影:下野雄規)
──その感情をリセットできないまま、勝利ジョッキーインタビューに突入したわけですね。あのときは、どんな思いが込み上げましたか?
川田 ん〜、出来のいい弟子ではなかったですし、先生には迷惑ばかりかけて…。
──出来のいい弟子ではなかった、というのは?
川田 先生が望むような弟子ではなかったなと。とにかく“可愛げ”というものがなく、若くて粗相ばかりでしたから。フリーになってからも、ダッシャーゴーゴーで二度も降着になって…(2010年のスプリンターズSと2011年の高松宮記念)。
GI馬になるのに相応しい能力を持っていた馬で、GIで二度も続けてご迷惑をおかけしたのに、先生は一度も僕のことを責めずに、そのまま受け止めてくださいました。本当にありがたかったですし、それ以上に申し訳なかったです。
──「恩返しをしたい」という気持ちをずっと持ち続けていらっしゃいましたものね。
川田 いろいろな出来事があったからこそ、先生と、安田厩舎と、GIを獲りたいとより強く思っていました。間に合ってよかったです。先生も定年が近いですからね。
▲「安田隆行調教師へ恩返しをしたい」その気持ちを持ち続けてきた (C)netkeiba.com
──格別な勝利ですね。
川田 はい。これまで騎手を続けてきたなかでも、ホープフルSは特別な1勝でした。さっきも話しましたが、リズムのいい瞬間が一度もなかったこともあって、直線はひたすら願いましたよ。「頼む! 頼む! 勝ってくれ!」って、しっかり声に出してキッドにお願いしましたから。ホープフルSは、絶対に勝たないといけなかったレース。キッドから僕たちへ、プレゼントをもらったような気がしています。
▲陣営に最高のプレゼントをもたらしたダノンザキッド (撮影:下野雄規)
(文中敬称略、明日公開の後編へつづく)