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「ビッグレースを勝てなくても…」キクノエンブレムの運命を変えた かけがえのない出会い(1)

  • 2021年04月13日(火) 18時00分
第二のストーリー

現在はオーナーととある牧場で過ごすキクノエンブレム(提供:Hさん)


穏やかな余生を送る1頭の元競走馬


 馬は出会った人によって、運命が変わる。第二の馬生を歩み余生を過ごせる馬もいれば、処分の道を辿る馬もいる。重賞勝ちを収めても、気が付けば消息不明になる馬もいれば、ビッグレースを勝てなくても、ある人にとってとても大切な馬になり得ることもある。今年20歳になるキクノエンブレムもある人との出会いによって、運命が変わった1頭だ。現在は空気のきれいなとある牧場で、今のオーナーの愛情を受けて穏やかな余生を送っている。

 キクノエンブレムは2001年5月1日に、北海道浦河町の鮫川啓一さんの牧場で生まれた。父ジェイドロバリー、母はグリーンアマラード、その父ミルジョージという血統だ。母系を辿っていくと、トサモアーという牝馬に辿り着く。トサモアーは、鮫川啓一さんの曽祖父・鮫川由太郎さんが導入したスターリングモアの孫にあたる。このトサモアーから、以前当コラムで紹介したポジーをはじめ、重賞勝ちのあるオースミハルカ、オースミグラスワンなど活躍馬が出ている。デビューから無傷の6連勝で大阪杯を優勝しGIウイナーとなったレイパパレも、このトサモアーの血を引いている。

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当歳のあどけないキクノエンブレム(提供:Y.Hさん)


 競走馬となったキクノエンブレムは、2004年にJRAからデビュー。2008年の3月9日の中山競馬場でのレース(1000万下・11着)を最後に競走馬登録が抹消された。JRA・地方通算31戦6勝(JRA1勝、地方5勝)という成績を残した。

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現役時代はダートを主戦場として頑張っていた(提供:Y.Hさん)


 引退後は乗用馬になるべくリトレーニングを受けた乗馬クラブを経て、別のクラブへと籍を移した。そこで出会ったのがHさんだった。

 Hさんは幼少の頃から馬が好きで、馬に乗りたいという夢を抱いていた。だが子供の習い事としては敷居が高く、社会人になってから自分の得た収入で馬に乗り始めた。

「馬が好きな理由をよく聞かれますが、なぜ山に登るのか、そこに山があるからではないですけど(笑)、ただ馬が好きなんです。それに集中力のない私が、馬に乗っている時は嫌なことも忘れて集中できるんです」

 乗馬の魅力にすっかり嵌ったHさんは、熱心にクラブに通い、レッスンに励んだ。

Hさんを笑顔にしたキクノエンブレム


 やがてイギリス生まれの元競走馬によく乗るようになった。

「私は一目惚れタイプで、この子が好き、この子の顔が好きと思って乗ると、相性が良いんです。そのイギリス生まれの馬とも相性が良くて、私の技量的にはまだまだだったのですが、周りからもすごくその馬と合っている、うまく乗っていると言ってもらえていましたし、クラブ内の大会でも賞を頂いたりもしていました」

 その馬は性格も良く会員にも人気で、レッスンの予約もたくさん入っていて稼働率も高かった。だがその馬は内臓が弱くてすぐに疝痛を起こし、その影響もあってすっかり痩せてしまい、人を乗せることが難しい状況になってしまった。Hさんは少しでも穏やかな時間を過ごさせたいと、クラブにも相談し、引き取って別の場所に移動することが決まった。だが状態がさらに悪化し、移動を目前にして天に召されてしまった。

 Hさんは悲しみにくれた。もうクラブに通えなくなるのではないかと周囲も心配したほどの落ち込みようだった。だがHさんは、その馬を失っても決して乗馬は辞めようとは思わなかった。逆に泣きながらでも乗らなければならないという強い気持ちに導かれ、馬が亡くなった翌日も馬上にいた。そんなHさんにクラブのインストラクターは、今度はどの馬に乗ってみたいかを尋ねた。

「なぜ自分でもそう言ったのかわからないのですが、キクノエンブレムに乗ってみたいと答えていました」

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「キクノエンブレムに乗ってみたい」そう答えたHさん(提供:Hさん)


 Hさんは主に馬場馬術の練習をしており、試合では馬場馬術競技に出場していた。一方キクノエンブレムは、障害飛越用の馬だった。その頃クラブでは、障害用の馬に馬場馬術を練習している人が乗ることはまずなかった。だがインストラクターは快諾し、Hさんは初めてキクノエンブレムに跨った。

「いざ乗ってみると、一歩がとても大きくて駈歩が伸びる感じで、亡くなった馬に申し訳ないと思うくらい楽しくて仕方なかったんです。時々、人が乗ることを楽しんでいないのが伝わってくる馬もいるのですけど、あれだけ落ち込んでいた私にも、キクノエンブレム自身が楽しんでいるのが伝わってきました」

 それ以来、Hさんはキクノエンブレムに乗れば乗るほど、その楽しさが増していき、引き取るはずだった馬を失った悲しみも徐々に癒えていったのだった。

(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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