カメラ目線のキクノエンブレム(提供:Hさん)
“意気地なし”から名誉挽回!
Hさんにとってキクノエンブレムは、乗っていて自分の中から楽しいという気持ちが湧き上がってくるような馬だった。だが必ずしもそうではないケースもあったらしい。
「最初の頃は下手するとロデオみたいになって、騎乗者がなかなか降りられなくなったりもしていました。降りた後に男性指導員が2人で曳いて戻っていくのを見たこともあります。自分の影に驚いたり、近くに人が軽く走ってきただけで、ピーッと鳴いて横っ飛びもしていました。それでも洗い場に入ると、何事もなかったように大人しくしていました」
そのせいか危ない、落とされる、何かあると吹っ飛んでいくという印象をキクノエンブレムに持つ人も少なからずいたようだ。
「でも暴走して止まらないということはないんですよ。ピーッと鳴いて横っ飛びをした時には、ダメだよと手綱を引けば収まってくれました」
クラブでは馬場馬術の練習を主にしていたHさんだが、キクノエンブレムが元々は障害用としてリトレーニングされた馬だったこともあり、障害飛越の練習にも本格的に取り組み、競技会にも出場した。Hさんではない騎乗者で、入賞の経験もある。ただオクサー障害(障害物を2つ置いて、幅を出した障害)で物見をすることがよくあった。
「競技会で1度うまくいかないと、自信を失ってしまうように私には感じました。そういう時にはインストラクターが乗っても、上手には飛べなかったこともあり、キクノは意気地なしと思われていたふしがあります」
御殿場での競技会にて(提供:Hさん)
しかしHさんをはじめ、キクノエンブレムに能力があることを理解している会員もいた。
「ただ何かあると自信をなくしてしまうので、乗り手が大丈夫、あなたはできる子だからと励ましてあげていました。キクノ自身にももっと認めてもらいたい、本当の自分はもっと違うという気持ちがあったのではないかなと、当時は想像していました」
そのような経緯があり、クラブ側も無理してまで障害を飛ばせず、馬場馬術に転向させようという判断になったようだ。
そんなキクノエンブレムも、様々な経験を積み、Hさんはじめ理解ある人の励ましを受けて変化を遂げた。
「キクノは胴体が普通の馬より長い上、それまでは障害を飛んでいたので、体を伸ばして走っていました。それを馬場馬術的な動きをさせようとすると、体を収縮させなければいけません。でもある程度の技量がないとそれはできないんですよね。ですから最初は1級の経路にある8の字を描くこともできなかったので、練習前に上級のインストラクターが乗って、8の字を描いてもらったこともありました。体がほぐれていないと、自分で手前をパンパン替えてしまうこともありました。それがいつの間にか3級、2級のライセンスの経路をスムーズに回れるような馬になったのです」
競技会に連れて行っても大人しく、誰が乗っても手間がかからない。跳ねたりもしなければ、元々が素直で穏やかな馬なので皆に好かれ可愛がられる。そのような馬へと変身したキクノエンブレムは、会員にも人気となり、レッスンでの指名も増えていった。
お誕生日会でお祝いしてもらっているキクノエンブレム(提供:Hさん)
「意気地なし」のキクノエンブレムはもはや過去の話となり、仕事のできる馬として名誉も挽回できた。
そしてHさんはレッスンで騎乗する以外に、時間のある時には手入れをするなど、キクノエンブレムに常に気を配り、愛情を注ぎ続けた。
(つづく)