▲今回は川田騎手の原風景に迫ります (撮影:桂伸也)
テーマを設けて川田騎手の脳内を紐解いていく「In the brain」。前回、前々回のコラムでは、川田騎手の“今”に迫りましたが、今回は時間を一気に戻し、少年時代から話はスタートします。
今では日本を代表するほどの騎手となり、自信も持てるようになった川田騎手ですが、意外にもその人生には“挫折”がついてまわりました。川田騎手に“強さ”を与えた数々の出来事――川田騎手の原風景をのぞきます。
(取材・構成=不破由妃子)
「聞こえただろ? お前なんかいらねぇってよ」
「騎手になったきっかけは?」──デビューしてからというもの、何度となくこの質問を受けてきました。
でも、僕にはきっかけなんてないんです。物心がついたときには、父(川田孝好調教師)が騎手、祖父(川田利美氏)が調教師、母方の伯父(宮浦正行調教師)も大井競馬場の騎手という環境で、自宅は佐賀競馬場内にある騎手専用のアパート。登校時は調教の真っ最中とあって、「馬が暴れるから走るな!」と怒られながら学校に向かう毎日で、そのときからすでに、僕のなかでは「将来は騎手になるのが当たり前」でした。
ただ、乗馬を始めるにあたっては、ハッキリとしたきっかけがあり、それは今でも鮮明に覚えています。
小学3年生のときでした。父の厩舎に預託していただいていた馬主さんの娘さんが『マーキュリーライディングクラブ』という乗馬クラブを経営されていて、ある日、「ポニーがいるから乗りにおいで」と誘ってくださったんです。
ふたつ返事で両親とともにお邪魔して、そのときに初めて跨ったのがポニーのティナ。普段からサラブレッドを見慣れていた僕は、初めてポニーを見て「ちっちゃいなぁ。かわいいなぁ」と思いながらも、こんな小さい馬なんか簡単に乗れるとバカにもしていました。
が、父が追い鞭をポンと当てると、突然いなないて強烈な尻っぱね。小さな僕はビューン! と飛ばされて、なんと頭から馬場に突き刺さったんです(笑)。
「大丈夫か!?」と駆け寄る父、心配そうに見ている乗馬クラブの先生、そしてゲラゲラと笑う母…。今でも三者三様の表情がくっきりと脳裏に焼き付いています。ちなみに、僕が宙を飛んでいる様は、スーパーマンのようにキレイだったそうです(笑)。