総合馬術オリンピック代表のJRA所属、戸本一真選手(写真提供:戸本一真選手)
今回、netkeibaがお届けするのは『競馬』ではなく『馬術』。東京オリンピックの総合馬術、馬場馬術、障害馬術競技に出場する代表選手たちに直撃インタビューを実施!
選手ご本人から馬術の魅力やそれぞれの競技の見どころをご紹介して頂きます。そして二人三脚で歩んできた“愛馬”たちとの軌跡、これまでの苦悩や様々なエピソードを大舞台を前に改めて振り返って頂きました。
今回登場するのは、総合馬術競技に出場する戸本一真選手。JRAの所属でもある戸本選手は、競馬学校勤務や2019年ジャパンCで誘導馬の鞍上を務めるなど競馬ファンにとっても距離が近い代表選手の1人です。競馬と馬術の違いと共通点、共に挑む相棒への想いなどを語っていただきました。
(取材・構成=赤見千尋)
※このインタビューは電話取材で行いました
いつかまた馬事公苑に戻れると信じて
──東京オリンピック出場決定、おめでとうございます! 戸本選手はJRA所属ということで、競馬好きとしては勝手に親近感を持って応援しています。
戸本一真選手(以下、戸本) ありがとうございます。出場が決まって、ひとまずほっとしています。
──イギリスを拠点にしているということですが、以前は栗東トレセンや競馬学校でも勤務された経験があるそうですね。
戸本 JRAに入って2年間は馬事公苑で馬に乗るのが仕事だったんですけど、3年目で栗東トレセンに異動になりまして。競走馬の管理をする仕事、例えば登録や何時の馬運車に乗って出発するとか、馬術とは関係ない事務仕事をすることになりました。当時は選手としてずっと馬事公苑で馬に乗れると思っていたので、正直ショックな気持ちもありました。でもいつかまた馬事公苑に戻れると信じて、1日1頭でも乗れるように、出勤前に馬に乗ってから仕事に行くという感じで馬の上にいる時間を作っていました。
──そこで2年を過ごして、次は千葉県白井にある競馬学校へ、教官として異動されたそうですね。
戸本 僕はJRAに馬術職として入っていますので、この人事はありうる異動でした。ただ馬に乗る仕事には戻れましたが、競馬学校は当然ですが生徒が主役。自分の競技に向けて馬をトレーニングしていくのではなく、生徒が乗りやすい馬を作っていくのが仕事ですから、その部分の難しさはありました。
──選手として競技に参加出来ないことへの葛藤はありましたか?
戸本 当時は20代中盤くらいの年齢で、はっきりとした目標が描けなかったので、メンタル的にキツいところはありましたね。でも栗東トレセンではそれまで出会ったことのないような人たちと出会えましたし、競馬学校では教える立場になったことで自分の頭の中が整理されたこともありました。
それに、「いつか馬事公苑に戻れるから頑張れ」と応援してくれる方もいて。競技者としては遠回りだったかもしれませんが、人として成長出来た時間でした。競技に出られなかった期間があるからこそ、今の環境のありがたさ、楽しさを実感しています。
「あの感動は今でも忘れられません」
──馬術競技と競馬との共通点、違いはどんな風に感じていらっしゃいますか?
戸本 違いはたくさんありますよね。例えば競馬は7歳8歳になると引退する馬も多いですが、馬術は8歳以上から国際大会に出られるというルールなので、9歳からが本格的になっていく年齢なんです。牡馬牝馬の括りもないし、距離とかダート芝とかもない。
出やすいタイミングで出やすいレベルの出やすい競技会場を選んで、数年かけて馬の心と体と頭を育てていく、というイメージです。共通点は、一番は馬がアスリートだということ。同じ馬というアスリートで競走、競技しているので、基本的には人間の言うことをまったく聞いてくれないわがままな馬は勝てないです。
馬術は9歳から本格化、数年かけて馬の心と体と頭を育てていく(写真提供:戸本一真選手)
戸本 実は2019年のジャパンカップで、誘導馬に乗せていただいたんです。その時に、「オリンピックを目指すJRAの職員です」と紹介してもらって、ターフビジョンで僕の紹介映像が流れて。最初にその企画を聞いた時には、ありがたいけれど競馬ファンの方にとってはあまり興味がないのではないか、早く競走馬映してってなるんじゃないかと思っていたんです。でも実際に馬場に入って、「JRA戸本職員です」って紹介していただいた時、うわ〜って大歓声が上がって。誘導が終わって地下馬道に入っていく時も「がんばれよ!」ってたくさんの方々が声を掛けてくださって、とても感動しました。あの感動は今でも忘れられません。
──当時、東京競馬場で見ていました! あの時誘導馬に騎乗されていた方が、努力を重ねてオリンピック出場を果たすと思うと…、こちらも胸アツです。
戸本 ありがとうございます。馬術と競馬の違いはありますが、競馬ファンの方々にとても温かく応援していただいたので、もしその時のことを覚えている方がいたら、あの時のアイツかって思っていただけたら嬉しいです。
“愛馬”ヴィンシーとの出会い
──今回一緒に出場するパートナーはどんな馬ですか?
戸本 ヴィンシーJRA(以下、ヴィンシー)という名前で、セルフランセというフランスの種類です。念のため検疫は予備馬もしますけど、何事もなければヴィンシーだけ日本に渡る予定です。いつどんな競技場に行っても物おじしないですし、大きな競技会になればなるほど、ちょうどいい精神状態になるんです。馬によってはナーバスになってしまったり、張り切り過ぎてしまう馬もいる中で、まるで鉄の心臓を持っているようだなと感じていて。でも普段はただただ可愛くて、世界で戦ってきたとは思えないくらいボケっとしているので、頼もしいパートナーでありながらとても可愛い馬です。
鉄の心臓を持ちながら、時折可愛らしさも見せる“愛馬”ヴィンシー(写真提供:戸本一真選手)
──どんな風に出会ったんですか?
戸本 もともと活躍していて、有名な馬だったんです。競技会で飛んでいる姿も見ていて「いい馬だな」と思っていました。毎年大きな大会で結果を出している馬だったので、乗用馬のマーケットの中で「あの馬が売りに出たぞ」とざわついたくらいです。
──それほどすごい馬なら、初めて乗った時の感触も素晴らしかったですか?
戸本 そう思いますよね。競技場で馬を見た時はすごくシャキシャキ動いていたし、購入するにあたって試し乗りはいらないくらいだろうと思いました。でも一応乗りにフランスまで行って乗ったら、まあ乗り難くて驚きました。競技会で見ていたイメージとまるで違ったので、どうしようか迷ってしまったというのが第一印象です。
結局師匠から「今日は乗り難くても、上手に乗っていけばあれだけのパフォーマンスが出来るとわかっている馬だから、もっと馬に慣れて、もっと自分が乗りやすいと感じる馬にしていけばいい」と言われて決めました。当時ヴィンシーは9歳で、東京オリンピックまで3年でしたから、11歳という乗馬として最高のタイミングで東京を迎えられるということも大きかったですね。
──最初のコンタクトがマイナスな印象だったとは、意外です。
戸本 そうですね。でも後々ヴィンシーの性格がわかっていくと、普段はのんびりしていてあまりやる気がない感じなので、競技会で見たイメージとまるで違うというのも納得です。そこから一緒にトレーニングを積みはじめて短期間で結果が出ましたから、やっぱりすごい馬ですね。
──せっかく短期間で結果が出ましたが、そこから1年延期ということになりました。
戸本 もちろん昨年やって欲しかったという気持ちもありましたが、ヴィンシーが2019年のシーズン終盤に屈腱炎を発症してしまって。屈腱炎は競走馬もよくなると思いますが、治療に半年くらいは掛かりますよね。オリンピックまで9か月くらいしかないというタイミングで休養して、2020年に入ってから乗り始めて、間に合えばいいなという時期に延期が決まったんです。延期自体は残念でしたが、ヴィンシーの肢のことを考えればラッキーな時間でした。そこから2020シーズンはまったく乗らずに1年間休養しまして、今肢はなんともない状態です。
──ヴィンシーは日本に来るのは初めてですか?
戸本 初めてです。飛行機での長距離輸送では、怖くて怖くて飛行機から降りてくると痩せてしまっている馬もいますが、ヴィンシーは鉄の心臓なので、リラックスしていられるのではないかと思います。それに会場は馬事公苑ですから、僕が長年馬に乗ってきた場所です。母国開催というだけではなく、自分のホームで戦えるというのも大きいですね。
──では、東京オリンピックに向けて意気込みをお願いします。
戸本 2018年の世界選手権で、総合チームは団体で4位に入ることが出来ました。その時までは「いつかメダルを獲りたい」という大きな夢だったんですが、4位になったことで夢ではなく現実的な目標としてメダルを獲るという気持ちでやってきました。
総合馬術は3日間で、馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の3つの種目を同じ人馬で戦います。選手によっては、馬場は得意だけどクロスカントリーが苦手だったり、初日に凄い点数を出して首位に立った選手が、そのまま逃げ切れるという種目じゃないんです。日本チームは2日目のクロスカントリーと3日目の障害が得意ですから、3日間を通して順位が変動し、最終種目が終わるまで順位が分からないという面白さも楽しんでいただけたら嬉しいです。
総合馬術競技に出場する戸本選手。個人、チーム共にいざメダル獲得へ!(写真提供:戸本一真選手)
(文中敬称略)
(明日は、障害馬術の佐藤英賢選手が登場します!)