障害馬術オリンピック代表の佐藤英賢選手(写真提供:佐藤英賢選手)
今回、netkeibaがお届けするのは『競馬』ではなく『馬術』。東京オリンピックの総合馬術、馬場馬術、障害馬術競技に出場する代表選手たちに直撃インタビューを実施!
選手ご本人から馬術の魅力やそれぞれの競技の見どころをご紹介して頂きます。そして二人三脚で歩んできた“愛馬”たちとの軌跡、これまでの苦悩や様々なエピソードを大舞台を前に改めて振り返って頂きました。
今回登場するのは、北京五輪以来の障害馬術競技に出場する佐藤英賢選手。13年ぶりに再び出場するまでの長い道のりには、様々な人生経験、馬と人との出会いがありました。
(取材・構成=赤見千尋)
※このインタビューは電話取材で行いました
北京五輪出場後、競技から離れ日本でサラリーマン
──佐藤選手は長野県小川村のご出身で、ご実家がお寺で乗馬クラブが併設されているという、珍しい環境で育ったんですね。
佐藤英賢選手(以下、佐藤) そうなんです。寺の次男に生まれて、家が乗馬クラブをしていましたので、小さい頃から馬が身近にいる生活でした。父はモスクワ五輪の代表候補、兄はロンドン五輪代表で妹も日本で活躍しています。家族みんなが馬術のことをよくわかっているという、ちょっと特殊な環境ですよね。
馬術が身近にある環境で育った佐藤選手(写真提供:佐藤英賢選手)
──さらに経歴も珍しく、高校卒業後はベルギーに渡り、2008年の北京五輪に出場した後、いったん競技から離れてサラリーマンをしていたと伺いました。
佐藤 2014年から4年半、完全に競技から離れて愛知県豊田市で過ごしました。きっかけは何かと聞かれるといくつもあるのですが、幼い頃からずっと馬術漬けで進んで来て、他の世界を知らなかったというのが大きいです。結婚して家庭を持っていましたので、例えば今自分が大きな怪我をして仕事が出来なくなった場合、どうやって家族を食べさせたらいいかとか、当時はまだ20代だったので、競技に戻る戻らないは別として、一度社会勉強をするべきだと考えました。
──どんな職種だったんですか?
佐藤 不動産業です。これまでやって来た世界とはまったく違って、何をどうしたらいいか全然わからなくて。最初は市役所で書類をもらってくることも出来なかったですし、営業をする時に地主様とどう話していいかもわからなかったです。何もかも初めての世界で、キツいなと思うこともありましたが、いろいろな方と巡り会うことが出来て楽しかったですし、あっという間の時間でした。
──2019年に競技に復帰され、ドイツに渡った時には、東京五輪を目標にということだったのでしょうか?
佐藤 もちろんその気持ちはありましたが、4年以上馬に乗っていないのに「オリンピック目指します!」とは言えないですよ。それよりも、違う仕事をした今の自分のメンタルで、改めて競技をしたらどうなるかという気持ちが大きかったです。
──復帰後は違いがありましたか?
佐藤 一番変わったなと感じるのは、実際の競技のことよりも、人とのコミュニケーションが前より深く取れるようになったことです。馬術競技は馬が相棒で、競技会の中では自分と馬だけですが、1頭の馬を育てるためにはトレーナーや普段の世話をしてくれるグルーム、体調を見る獣医師、蹄を調整してくれる装蹄師などたくさんの人たちがいます。以前は「こうやって欲しい」と僕が伝えて、それをやるかやらないかというだけだったんですけど、今はもっと深く考えて、こういう会話をすればこう動いてくれる、助けてくれるということがわかりました。チームの方々にいかにいい仕事をしていただくかが大切ですし、一人でも欠けたら成り立たないということを実感しています。
──復帰するにあたって、仕事を辞めてドイツを拠点にするというのはとても大きな決断だったと思うのですが。
佐藤 僕自身は高校卒業直後からベルギーにいましたし、ドイツに行くということに対してそれほどハードルは高くありませんでした。妻はやるだけやってみなという形で応援してくれて、今でもずっとサポートしてくれるので、本当に感謝しています。
13年ぶりの五輪出場、馬にも周りの方々にも「感謝」
──いろいろな経験を積んで、13年ぶりの五輪出場を掴みました。現在のお気持ちはいかがですか?
佐藤 出場が決まったことは嬉しいですが、動物相手の特殊な種目なので、まずは馬が無事に東京に着いて欲しいという気持ちです。当日になって五輪の舞台に立ったら、やっと実感出来るんじゃないかと思います。
──16日(金)からドイツで検疫が始まるそうですね。
佐藤 はい。検疫所は2頭連れて行って、どちらか調子のいい方を東京に連れて行く予定です。ただありがたいことに2頭とも素晴らしい馬で、どちらも調子がいいので、どっちを連れて行くかが嬉しい悩みですね。
チャカーノJRAは私が所属している厩舎の生産馬で、僕と出会う前からとても活躍していました。トレーナーから「乗ってみるか?」と言われた時は嬉しかったですし、実際に乗ったら完璧で、本当に素晴らしい馬です。
もう1頭のサフィアデラックJRAは、2019年に僕がドイツに来た時に最初にコンビを組んだ馬です。それまでも世界選手権や大きな大会で飛んでいた馬で、僕にとっての先生みたいな感じですね。
チャカーノJRAは、佐藤選手と出会う前から活躍(写真提供:佐藤英賢選手)
サフィアデラックJRAは、先生みたいな存在(写真提供:佐藤英賢選手)
2頭とも、ここまでの馬に乗せていただけるチャンスはなかなかない、というくらい素晴らしい馬で、どちらと東京へ行ってもいいと思っています。こういうめぐり逢いを作っていただいて、周りの方々に感謝しています。
──馬術競技はグリーンチャンネルでも中継されますので、競馬ファンの方々も注目しています。
佐藤 ありがたいです。障害馬術は障害物をいかに落下させずに速く走るか、ということが重要な競技で、落下させないためには踏み切りが大事ですし、高い障害を飛び越える時のジャンプなど、競馬とはまた違った馬の魅力を見ていただけるのではないでしょうか。日本では馬術はマイナーな競技ですが、東京五輪をきっかけにたくさんの方に知っていただき、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「東京五輪をきっかけに、たくさんの方に馬術を知っていただけたら嬉しいです」(写真提供:佐藤英賢選手)
(文中敬称略)