既報のように、8月31日午後7時、種牡馬として社台スタリオンステーションに繋養されていたドゥラメンテが急性大腸炎のため死亡した。9歳という若さだった。
父キングカメハメハ、母アドマイヤグルーヴという超良血。生まれたときから、いや、生まれる前から期待されていたこの馬は、人々の思いに見事に応えた。
美浦・堀宣行厩舎に所属し、2014年10月の2歳新馬戦でデビューして2着。11月の2戦目で初勝利を挙げ、セントポーリア賞も連勝。2015年、共同通信杯(2着)を経て臨んだ皐月賞でGI初制覇を遂げた。つづく日本ダービーをレコードで勝って二冠制覇。JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。
骨折休養を経て、2016年の中山記念で復帰戦勝利を飾り、次走のドバイシーマクラシックと宝塚記念では2着。その後、競走能力喪失と診断されて現役を退いた。
通算9戦5勝。種牡馬としては現3歳世代がファーストクロップで、弥生賞ディープインパクト記念を制したタイトルホルダーなどの活躍馬がいる。
馬名の意味は、音楽用語で「荒々しく、はっきりと」。
その名のとおり、皐月賞で見せた後方一気の豪脚には、暴力的と言っていいほどの迫力があった。
前にも書いたが、私はこの馬が勝ったダービーを、東京競馬場内の競馬博物館で行われていた特別展「伝説の騎手 前田長吉の生涯」のトークショーにともに出演した、長吉の兄の孫の前田貞直さんと観戦した。貞直さんは、長吉の写真を手に、ドゥラメンテが勝つ瞬間を見届けた。つまり、私が初めて最年少ダービージョッキー・前田長吉と一緒に見た「競馬の祭典」が、このダービーだったのだ。
ダービー優勝直後の会見で、堀調教師はこう話した。
「(管理馬が)荒々しいと言われることは、我々スタッフとしては恥ずかしいことです。今日はそんなに荒々しくなかったと思うのですが、いかがでしょうか」
翌年、ドバイのメイダン競馬場のパドックを歩きながら、顔でパンチをして堀調教師のメガネを飛ばした。そうした激しさゆえか、落鉄した右前脚の蹄鉄の打ち直しをさせず、裸足のまま走ることになった。それでも2着に来た爆発力もまた、その激しさに由来するものだったのかもしれない。
ドゥラメンテのパドックといえば、皐月賞や中山記念で見せた歩き方が思い出される。周回しながら、ときおり前脚を大きく上げる、変わった歩き方をしたのだ。特に右前脚を大きく振り上げ、勢いよく、かつリズミカルに降り下ろした。これは「スペイン常歩」というらしく、ノーザンホースパークにいるポニーのヤマちゃんが、同じような歩き方をしている動画を見たことがある。
思えば、同期にキタサンブラック、シュヴァルグラン、リアルスティール、サトノクラウンといった大物のいる、強い世代だった。
その頂点に立った、荒々しい名馬、ドゥラメンテ。天国では安らかに眠ってほしい。
産駒は5世代しか残せなかったが、父を超える強さと個性を持った二世の登場を、楽しみに待ちたい。
JRAの騎手で初めて、丸山元気騎手が新型コロナウイルスに感染したと報じられた。同じく8月28日と29日に新潟で騎乗した騎手たちは9月1日にPCR検査を受け、同日に佐賀競馬場で行われたサマーチャンピオンでは、松山弘平騎手、幸英明騎手、福永祐一騎手が、ほかの騎手へ乗り替わりとなった。
丸山騎手の一日も早い回復を祈りたい。
現在のデルタ株の感染力の強さからして、これからも騎手の感染者は出るだろう。ワクチン接種を済ませた人も、そうでない人も、これまでどおりか、それ以上に、三密回避などの感染対策に留意してほしい。
8月20日に2回目のワクチン接種(ファイザー)を済ませた私は、本稿がアップされる翌日に、ようやくしっかりした抗体が出来上がることになる。だからといって「解脱した」などと浮かれたことは言わず、極力ステイホームをつづけ、それでも外出しなければならないときは、例えば、電車内に談笑している人間がいたら車両を移ったり、店で案内された席が隣のグループと近かったり、仕切りが不十分だと感じたりしたらすぐに店を出たり、帰宅したら、手洗い、うがいのほか、手に触れた所持品をアルコールティッシュで消毒する――といった、自分なりの感染対策をつづけていきたい。